(21日、第106回全国高校野球選手権富山大会3回戦 魚津3―5高岡第一) 夏の甲子園出場2回の伝統校・魚津。スタンドから声援を送り続けてきた応援部が今年で「休部」することになった。現在は3年生の女子生徒4人だけで、卒業とともに部員がゼロ…

 (21日、第106回全国高校野球選手権富山大会3回戦 魚津3―5高岡第一)

 夏の甲子園出場2回の伝統校・魚津。スタンドから声援を送り続けてきた応援部が今年で「休部」することになった。現在は3年生の女子生徒4人だけで、卒業とともに部員がゼロになるという。

 魚津高(旧富山県第三中学校)の創立は1899(明治32)年。甲子園では村椿輝雄投手を擁して初出場の1958年に8強入りした。徳島商との準々決勝で延長十八回、引き分け再試合になった板東英二投手との投げ合いは今も語り継がれる名勝負で、「蜃気楼(しんきろう)旋風」を起こした。

 応援部(団)がいつできたかは不明だが、蜃気楼旋風の時、甲子園で応援している記録も残る。30年ほど前の卒業生によると、在校当時の部員は、高げたに紋付きはかま、バンカラな応援で「近づきがたい雰囲気だった」。かつては新入生が入学すると、応援歌指導があったという。

 毎年10人程度の部員がいたが、徐々に男子生徒が減り、20年ほど前に女子部員だけに。女子はチアリーディング部の名称だったが、そのまま応援部に移行した。現部長の中川智咲己(ちさき)さんは大きな声でエール交換も引っ張っていた。「2年連続で後輩が入らなかったのが残念です。いつか復活してほしいと思います」と話した。(前多健吾)