北口(左)とセケラックコーチは、二人三脚で世界の頂に辿り着いた photo by 松尾/アフロ 女子やり投で日本の投てき種目、フィールド種目で歴史的偉業を次々と成し遂げ続けている北口榛花(JAL)。昨年の世界陸上で初の金メダリスト、世界の強…


北口(左)とセケラックコーチは、二人三脚で世界の頂に辿り着いた

 photo by 松尾/アフロ

 女子やり投で日本の投てき種目、フィールド種目で歴史的偉業を次々と成し遂げ続けている北口榛花(JAL)。昨年の世界陸上で初の金メダリスト、世界の強豪が集うダイヤモンドリーグの年間女王となり、記録面でもシーズン世界ランキング1位と文字どおり世界のトップスロワーに。そして迎えるパリ五輪では自他共に大きな期待がかかる。

 今連載では5回に渡り、その北口の成長を直近で見てきた人たちの証言をもとに、これまでの歩みを振り返っていく。

 第4回は、北口が世界女王となる礎を築いたチェコ人コーチ、ダヴィッド・セケラック氏との出会いと指導について焦点を当てていく。

「北口榛花」目撃者たちの証言 第4回

第1回〉〉〉「やり投」に誘った高校時代の恩師の指導と「最初の約束」とは
第2回〉〉〉高3で「世界一」へ飛躍 恩師、ライバルが見た衝撃の潜在能力
第3回〉〉〉大学2~3年時の伸び悩みをライバルや恩師はどう見ていたか

【フィンランドで運命の出会い】

 北口榛花(JAL)がチェコ人のダヴィッド・セケラック氏に初めて会ったのは、2018年11月。当時日大3年生だった北口が、フィンランドで開催されたやり投の国際会議に参加した時のことだった

 チェコは世界的なやり投強豪国で、現在も男女の世界記録保持者はチェコ人であることもあり、北口は高校の頃からチェコに憧れを持っていた。女子世界記録保持者のバルボラ・シュポタコワ(チェコ)は、自分と同じように上半身の柔らかな動きをしていた。セケラック氏はチェコのU20世代のナショナルコーチを務める人物だ。

「出会った時、ハルカは『コーチがいない』と言っていました。世界ユースで金メダルを取った投げは見ていましたから、こんな強い選手にコーチがいないのはもったいない、と思いました」

 そう言われた北口は「私のことを見てくれますか?」と、持ち前の積極性を発揮。それからメールのやり取りをするようになった。

「ハルカは世界記録を投げたいと言っていましたね。ポテンシャルは高いとわかっていましたが、当時の自己記録は61m台でしたから、世界記録まではどうかな、と思いました。チェコでやりたいと言っていましたが、それは話だけで終わると思っていたんです。しかし、本当にチェコに来ました。(北口の本気度に)驚かされました」

 2019年の2~3月に約1カ月間、セケラック氏のチームが拠点とするドマジュリツェでトレーニングを積んだ。ドイツ国境に近い人口約1万1000人の小さな街だ。

「最初は英語で話し合っていましたが、私がそれほど英語を話せないので、手足を使ってコミュニケーションをしていました」

 当初からチェコでの生活に馴染んだという記事も出ている。大きく見ればそうとも言えるが、チェコの生活に慣れた頃に「『最初は寂しかった』とハルカが言ったことがあった」とセケラック氏。

「トレーニングのルール(強度のことと思われる)もすごく高かったので、チェコでの生活はかなり大変だったと思う。『最初は帰りたかった』と1年後くらいに打ち明けてくれましたね。しかしハルカは徐々に、チェコ語を覚えてくれました。東京でもチェコ語の教育を受けて、難しいことで有名なチェコ語の"R"と"J"の発音も聞き分けている。ハルカは何でも一生懸命にやるので、私もプロフェッショナルのコーチとしてやらないといけないと思いました」

 北口の並外れた行動力、それを支える意思の強さが、日本人とチェコ人コーチのパートナーシップを成立させた。

【北口の練習を見始めた頃の印象は?】

 北口の練習ぶりについても、セケラック氏はかなり驚いた。

「ハルカには試合のモードと練習のモードがあった。ほかの選手は練習で60mを投げ、試合で(少し記録が良い)62mを投げるけど、ハルカは(現在でいうなら)試合で67mを投げても練習では60mにも届かない。練習と試合の切り換えが難しい選手だった」

 前年のシーズン終了後、日大の混成ブロックの練習に加わり、下半身のトレーニングにも積極的に取り組んできた。だがセケラック氏のトレーニングは、種類も違ったと思われるが、前述のように北口にとっては"ルール"が高かった。

「跳んで走る練習、リズムのトレーニングを集中的に行ないました。彼女にとってはすごく大変だったかもしれません。その走りとジャンプのトレーニングを、(投げる)テクニックと合わせるようにもっていったんです。チェコでのトレーニングから2カ月後に日本記録(64m36)を投げて、すぐに結果を出してくれました」

 やり投強豪国のコーチの目には北口の何が、世界で戦う上で武器になると映っていたのだろう。セケラック氏は「フレキシビリティ」という言葉を使った。日本語に訳せば「柔軟性」である。

「ハルカの強みはフレキシビリティです。競泳をやっていたからだと思いますが、やりを持っている手が後ろにありながら、上半身を前のほうに持っていくことができます。それはすごくいいことです。体幹も強いし腕も強いですね」

 セケラック氏は「ほかのスポーツ選手と比べてもセンサーがあちこちにある」とも話していた。インタビュー時間の都合で"センサー"の意味を確認することができなかったが、細かい動きを正確に行なうことができる、という意味だろうか。

【ドーハ世界陸上の予選落ちと東京五輪のケガ】

 チェコに行き始めた2019年シーズンは、北口にとって大きな出来事が続いた。前述のように5月には64m36と、海老原有希が2015年に出した63m80の日本記録を更新した。

 しかし9月末の世界陸上ドーハは予選で60m84、13位で予選落ちした。フィールド種目は12人が決勝に進む。12位選手の記録は60m90。わずか6cm差で決勝の舞台で投げることができなかった。

 非常に惜しい結果ではあったが、60m台で予選落ちした選手は北口を含め5人いた。誰が決勝に進んでもおかしくない状況だったが、それはつまり誰が予選落ちしても不思議ではない戦況でもあった。

 セケラック氏の当時の北口への評価は「チェコで半年間トレーニングをしましたが、まだ力がなかった」というもの。"力"は競技力そのものではなく、パワーの部分を指している。

 それでも10月下旬には北九州で66m00と、自身の日本記録を1m64も更新した。19年シーズンの世界7位の記録で、すでに世界トップクラスの力があることを示していた。

 同じ試合に出場していた同級生ライバルの山下実花子は「投げたところは見ていませんでしたが、すごい歓声があがって...。記録を知った時は笑っちゃいました。そんなに飛んでいたんだ、って」と北口の快投を振り返った。北九州の試合は日本陸連が指定するグランプリ大会。全国大会ではあったが、日本選手権などと違い、緊張感は大きくない。そのなかでも世界トップレベルのパフォーマンスを見せる北口に、ライバルも開いた口が塞がらなかった。

 翌2020年は新型コロナ感染拡大で、シーズン前半の競技会はほとんどが中止になった。東京五輪も1年延期に。シーズンベストは63m45で、当時の自己4番目と悪い記録ではなかった。

 そして迎えた21年の東京五輪。予選は62m06のシーズンベスト、全体6番目の記録で通過した。だが決勝は、左脇腹に痛みが生じていた影響で55m42の最下位(12位)に終わった。セケラック氏は「東京五輪の時は力も付いていました」と振り返った。

「しかしスピードのエネルギーが出る時は、スムーズな動きにつなげられず、それがケガにもつながったと思います。トップクラス、もしかしたら3位以内に行ける可能性もありましたが、残念ながらケガがあった」

 地元五輪で結果を出すことはできなかったが、翌2022年の世界陸上オレゴン大会で北口は、歴史的な偉業をやってのけた。投てき種目のみならず女子フィールド種目においても、五輪&世界陸上で日本人初のメダル獲得という快挙を達成したのである。

【Profile】北口榛花(きたぐち・はるか)/1998年3月6日生まれ、北海道出身。旭川東高校→日本大学→日本航空。小中学時代はバドミントンと競泳に打ち込み、高校入学後にやり投を始めると、競技歴3カ月でインターハイに出場。その後、成長を続け、翌2014年にインターハイ優勝、2015年には世界ユース選手権で日本女子の投擲種目で初の金メダルを獲得した。2019年には初めて日本記録を更新し、東京五輪では6位入賞。2022年オレゴン世界陸上選手権では3位となり、女子のフィールド種目では五輪・世界陸上史上初のメダリストに。そして翌23年ブダペスト世界陸上では最終6投目で逆転優勝を決め、同史上初の金メダリストになった。