サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は長いか、短いか。 ■パンツの長さには「波」がある  サッカーの歴史をたどると、パンツの長さには「…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は長いか、短いか。

■パンツの長さには「波」がある

 サッカーの歴史をたどると、パンツの長さには「波」のようなものがあったのがわかる。

 19世紀なかばにイングランドでサッカーが始まった頃、選手たちが履いていたのは、「パンツ」あるいは「ショーツ」ではなかった。「ニッカボッカー」だった。ヒザの下までの長さで、裾の部分がすぼめられている形のズボンである。登山用のズボンと言えば、イメージできるだろうか。野球では、現在もこの形のパンツが使われている。

 それが間もなくヒザの上までの「ショーツ」となる。もちろん、動きやすさを求めてのものだった。最初は「親善試合」だけだったサッカーが、1871年に史上初の「大会」であるFAカップが誕生し、1888年にプロ選手を含む「フットボールリーグ」が始まるに至って、急速に激しい競技になっていったのだ。

 1930年にウルグアイで第1回のワールドカップが行われたときも、欧州のチームにあってはパンツの長さはヒザの少し上というのが普通だった。ところが、第一次世界大戦(1914~1918)とその後の時代を経て独自の、そして急速な発展を遂げていた南米のチームでは、この大会ですでに太ももを大きく露出する短いパンツが主流になりつつあった。

 その影響もあってか、欧州でも1934年のワールドカップでは、太ももの半分あたりまで露出する短めのパンツを履く選手が徐々に増えていく。多くの選手は、まだヒザの少し上までの伝統的な長さだったが…。そして、1938年の第3回ワールドカップでは、欧州の多くの選手も太ももの半分ほどを露出するパンツになっていたのである。

 この大会で初めて上位(3位)に進出し、ワールドカップの主役のひとつに躍り出たブラジルの選手たちは、当然、太ももを大きく露出するパンツ姿だった。しかも、そのパンツは太ももの外側の部分が内側に比べてやや短くなっていた。正面からパンツの裾を見ると、緩やかな「V字」型になっていたのである。動きやすさを追求した結果だった。

■不良学校=「ロンパン」だった時代

 そして第二次世界大戦後、世界中で短いパンツが主体になっていく。ただ、1954年ワールドカップで優勝を飾った西ドイツは、まだヒザの少し上までの長めのパンツを履いており、「小太り」体型だったハンガリーのフェレンツ・プスカシュ(当時の世界最高選手)は、その体型を隠すためか、あるいはパンツのサイズをウエストに合わせてしまったかららか、ひざ上までの大きなパンツを履いていたが、南米に限らず欧州の選手の多くも短いパンツになっていた。

 私がサッカーを始めたのは1960年代の後半のことだったが、パンツは股下10センチほどの長さだった。極短に短かったわけではないが、私の長くない太ももでも、その半分ほどが露出する長さである。ところがその時代に、「ロンパン」というものを履く連中がいた。ひざが隠れるほどの長いサッカーパンツである。

 私たちはサッカーパンツを「短パン」と呼んでいたが、それに対するものとして「ロングパンツ」すなわち「ロンパン」という呼び方が生まれたのだろうか。

 こうしたパンツをはくのは、私のイメージでは「不良学校」のサッカー部だった。当時の高校スポーツではサッカー部といえば不良の集まりというところが少なくなく、その中でも学校を挙げての不良集団(?)だったチームが「ロンパン」を着用し、しかも、それをお尻のところま下げて履くのである。当然、パンツはヒザ下まで落ちている。想像のとおり、頭は「リーゼント」だった。

 こうしたユニフォーム姿で、気だるい表情をしながら立つ彼らを見ると、なぜ「ロンパン」が必要になったのか、理屈抜きにわかる気がした。

 上の文章が、偏見に満ちたものであることは承知している。しかし、試合前に「ロンパン」「リーゼント」のチームと向き合うと、おぼっちゃん学校だった私たちは威嚇される思いがしたものである。ただ、試合が始まってみると相手は案外だらしなく、私たちのパスワークに翻弄され、前半のなかばで息を切らしてしまうのだが…。

■超二枚目スター着用で「再びのブーム」

 短いパンツは、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)において、その極致を迎える。1982年から4回のワールドカップに出場し、ほとんど「単独」と言っていい力で優勝1回、準優勝2回に導いた20世紀屈指のスーパースターである。太ももをほぼ全部露出する短いパンツ、しかも体にピッタリと貼りついた小さいパンツを、彼は好んだ。

 日本のサッカー少年たちに圧倒的な人気をもっていたマラドーナ。当然、日本の少年たちも短いパンツを愛用した。少年たちだけではない。1980年代の日本のトップスター、ミスターマリノス木村和司選手(日産自動車→横浜マリノス)も、パツパツの短いパンツを履いていた。韓国代表を恐怖に陥れたグイッと曲がるフリーキックは、小さなパンツによる足の自由な動きによって生まれたものだった。

 このままいけば、サッカーパンツは水泳競技のパンツのように「極小」への道をたどっていったかもしれない。ところがここで「歴史の揺り戻し」が来るのである。「震源地」は、イタリアの名門にして強豪クラブ、ユベントスだった。1980年代、世界で最も高名だったチームが、突如ヒザ上までの長いパンツの着用を始めたのだ。

 当時のユベントスのユニホームメーカーは「カッパ」というイタリアのブランドだった。ユベントスのお膝元であるトリノ市の企業で、イタリア代表のウェアも手掛けていた。このカッパのデザイナーが、「復古調」の長いパンツを生み出したのだ。それをアントニオ・カブリーニのような「超二枚目スター」が着用すると、なぜかおしゃれだった。

 最初は奇妙に映ったユベントスの「ロンパン」だったが、人気チームの影響力は恐ろしい。徐々に長いパンツを着用するチームが増えた。そして今世紀に入ると、「パンツはヒザの少し上までの長いもの」となったのである。股下は、15センチから20センチとなる。

 そして、その傾向は今も続いている。その結果、鈴木優磨選手や大迫勇也選手がパンツをたくし上げながらシュートを打ち続けるという状況を引き起こしているのだ。

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