ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(12) 中編(前編:ロード・ウォリアーズ再結成の豪華6人タッグ パワー・ウォリアーの空気の読まなさに「これぞ健介!」>>) ケンドーコバヤシさんが振り返る、1996年の「スコット・ノートン&…

ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(12) 中編

(前編:ロード・ウォリアーズ再結成の豪華6人タッグ パワー・ウォリアーの空気の読まなさに「これぞ健介!」>>)

 ケンドーコバヤシさんが振り返る、1996年の「スコット・ノートン&スタイナー・ブラザーズvsヘルレイザーズ&アニマル・ウォリアー」の豪華6人タッグマッチ。前編の最後に、この試合が「やさしさに包まれていた」と語ったが、今回はその真相を明かす。


スタイナー・ブラザーズと入場するスコット・ノートン(中央)photo by 山内猛

【強面6人タッグに感じた

「やさしさ」の正体】

――この6人タッグが「やさしさに包まれていた」と感じたとのことですが、理由を教えてください。

「この6人の体格はごつくてデカくて、『やさしさ』とはかけ離れた風貌です。なのに、俺の頭のなかにはユーミンさんの『やさしさに包まれたなら』が聞こえきた。

 そこには、メンバーたちのバックボーンがあるんです。ただ、これは当時のプロレス雑誌から仕入れた俺のなかの記憶にあることなので、もしかしたら正確ではないのかもしれない。そこは、ご容赦いただけたら」

――どういった話なんでしょうか。

「まずはスコット・ノートンについて。アームレスリングの世界チャンピオンだった彼は、シルベスター・スタローン主演の1987年の映画『オーバー・ザ・トップ』で役者としても注目されました。この作品をきっかけに、役者としての活躍を目指したんです」

――『オーバー・ザ・トップ」は日本でもヒットしたので、ノートンの演技もよく覚えています。

「ところが、ノートンは役者業がうまく軌道に乗らなかった。そんな彼をプロレスの道に誘ったのが、実はホーク・ウォリアーだったんです。ホークが当時、アメリカのミネアポリスにあったブラッド・レイガンズ主宰の『レイガンズ道場』に呼んだことがきっかけでプロレスラーとなり、日米で成功を収めることになるんですよ」

――レイガンズは、アマチュアレスリングで全米トップの実力者。1981年にプロレスラーに転向してからも、確かなテクニックで日米のマットで活躍した名レスラーでした。後進の指導にも取り組んでいましたが、ホークとノートンも「レイガンズ道場」で研鑽を積んでいたんですね。

「役者の道に進みたかったノートンは、言ってみればホークのおかげで、プロレス界で地位を築けたわけです。しかもホークだけでなく、アニマルとも同じ高校の同級生。3人にとって1996年の東京ドーム大会は"同窓会"でもあった。そんなバックボーンに思いを馳せた俺には、ノートンの心の声が聞こえてきたんです」

――どんな声ですか?

「『俺は役者の道に進みたかった。だけど、待て。ホークのことを忘れてはいけない。あいつが自分をこの業界に招き入れてくれたからこそ、アメリカと、太平洋を挟んだはるか彼方の日本でも華やかな試合ができている。こんな舞台に立てているのは、あいつのおかげだ』という声ですね。ちょい長いですけど(笑)。そんなノートンの気持ちを、俺は感じ取ったんです」

――なるほど。

「ただ、それだけじゃないんですよ。確かグリーンボーイ時代に、ノートンはアニマルとも一緒に練習していたはずなんです。おそらく当時の2人は、メインイベンターを夢見てトレーニングに励んでいたでしょう。そんな2人が、押しも押されもせぬ日米のトップレスラーとなり、東京ドームで再会したわけです。

 しかもこの6人タッグは、長期にわたって負傷欠場していたアニマルにとって久々の日本での試合。俺には、2人が戦いながら『久々だな兄弟』と会話しているように見えて。そして東京ドームの大観衆、パートナーのホークに『スコットも大きくなっただろう』と自慢しているようにも感じたんです」

――感動的ですね。

「試合は、6人が真正面からぶつかり合ってドームが熱狂するすさまじい肉弾戦。でも、リングは『やさしさ』に満ち溢れていた。だから俺の脳内では、ユーミンさんの『やさしさに包まれたなら』がリフレインしまくってました」

【アニマルが見せた大人のふるまい】

――話を聞いていると、確かにユーミンさんの歌声が聞こえてくるような気が......。

「しかもこの試合は、いわゆる手首、足首の取り合いがまったくなかったのもよかったですね。この6人には、そういった攻防はしてほしくなかったですし、真正面からのぶつかり合いやパワースラムが見たかったですから。ただ、パワー・ウォリアーの佐々木健介だけが浮いていましたね(笑)」

――それぞれのバックボーンを考えたら仕方ないですよ!

「そんな健介が、たまらなく愛おしいんですよ(笑)。実は、入場からも"らしさ"は全開だったんです」

――何があったんですか?

「この試合の入場で、アニマルは大人のふるまいを見せました。ホークは当時、新日本で健介と新たなタッグチーム『ヘルレイザーズ』を結成していたんですが、アニマルは入場の際に一歩引くんですよ。『ロード・ウォリアーズ』で一世を風靡した相方のホークに対して、『自分がケガをして苦労をかけた』という思いがあったんでしょう。入場のステージに3人が並び立つ時に、アニマルは健介に真ん中を譲ります。しかし健介は、それを気にも留めずに『ヘルレイザーズ』の腕をクロスするポーズをとったんですよ(笑)」

――さすがです。

「そして、花道も健介が先頭で先へ先へと進んで、アニマルとホークは『ロード・ウォリアーズ』の復活でも先走ることなく、健介に従うようにゆっくりと歩いていました。最初、東京ドームに流れていたテーマソングは、ヘルレイザーズの入場曲であるオジー・オズボーンの『ヘルレイザー』。ところが、途中でロード・ウォリアーズのテーマソングでブラック・サバスの『アイアンマン』に切り替わりました。

 俺は『そうか!ここでアニマルとホークがダッシュするんや』って思ったら、健介がダッシュしました(笑)。そして、アニマルとホークは後ろをついていく。そんなところが『俺たちの健介』なんですけど、俺は『ウォリアーズは大人やなぁ』と思いましたよ(笑)」

――入場からそんな人間模様が見られたんですね(笑)。

「あと注目していたのは、試合開始前のコール。これだけの豪華メンバーですから、誰を先にコールするかで悩むだろうと思ったんです。ノートンとスタイナー・ブラザーズは、ノートンから。キャリアはスタイナー・ブラザーズのほうが長いですから納得です。問題は健介とウォリアーズの3人。『ややこしいな......どうすんねん?』と思ってたら、名采配が出たんですよ」

――どんなコールだったんですか?

「リングアナの田中ケロさんは『パワー・ウォリアー、アニマル・ウォリアー、ホーク・ウォリアー。ヘルレイザーズ&ロード・ウォリアーズ!』とコールしたんです。しかも泣けるのは、コスチュームの色がホークとアニマルが赤で、健介はグリーン。ヘルレイザーズは赤と緑のチームだから当然なんですが、アニマルが赤を身にまとったことで、ウォリアーズも表現していたんです。

 ふたつのタッグチームを気遣うコール、コスチュームも含めて『やさしさに包まれた』リングでした。それは、ロード・ウォリアーズ全盛期を知る俺にとって信じられない光景でしたね。次の後編では、ロード・ウォリアーズへの思いを語りたいと思います」

(後編:「ネズミを食う」「ガソリンを飲む」と信じていたロード・ウォリアーズが見せた「まさか」のギャップ>>)

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。