全国高校野球選手権大会の東東京大会3回戦が7月17日に行われ、神宮球場での第3試合では、昨夏の甲子園出場校の共栄学園が2-0で立志舎に競り勝った。敗れはしたが、立志舎の先発マウンドに上った背番号10、高橋斗波(3年)の力投に視線が集まった…

 全国高校野球選手権大会の東東京大会3回戦が7月17日に行われ、神宮球場での第3試合では、昨夏の甲子園出場校の共栄学園が2-0で立志舎に競り勝った。敗れはしたが、立志舎の先発マウンドに上った背番号10、高橋斗波(3年)の力投に視線が集まった。

■「先天性難聴」を抱えてマウンドへ

 夏の日差しに照らされながら、丁寧に低めにボールを集めた。4日前の2回戦で21得点を挙げた強打の共栄学園打線を相手に、2回表に1死三塁からセカンドゴロの間に先制点を許したが、続く3回表無死一、二塁のピンチを併殺打で切り抜けると、4回表無死一塁の場面でも併殺で2死を奪い、次打者は3ボールから3球連続ストライクで見逃し三振。グラブを叩いてガッツポーズを披露すると、スタンドから「いいぞ!いいぞ!タカハシ!」の掛け声が飛んだ。

 だが、その声は高橋本人の耳には、届かない。「先天性難聴」での難聴2級。周囲の音はほとんど聞こえない。生後すぐに医師から伝えられた母・宏美さんは、「私もそうですし、兄も同じ難聴なので、お医者さんから“聞こえていませんね”と言われた時も驚きはしなかったです」と言う。聞こえないことも、ひとつの個性。抱き上げた息子に『斗波(とわ)』と名付け、「波にはいろんな波がある。強い波もあれば、優しい波もある。そんな波のように、強く、優しく育ってほしい」との想いを込めた。

■「いい仲間に恵まれたんだと思います」

 野球を始めたのは小学4年の冬。自分と同じハンディキャップを抱えながらプレーする3歳上の兄の姿に憧れた。そしてすぐにのめり込んだ。中学は筑波大聴覚特別支援学校に進んで野球を続けたが、硬式野球を続けるため立志舎に入学。「すごい挑戦だな、と。親から見ても“すごい覚悟だな”と思いました」と母・宏美さん。「とにかく野球が大好きで、一度も練習を休まなかった。そこは褒めてあげたい。そして息子を受け入れてくれた周りの方々にも感謝したいです。いい仲間に恵まれたんだと思います」と笑顔を浮かべた。

 試合は5回以降も投手戦が続いた中、足の指にマメができて「痛くてしっかり踏み込めなくなった」と高橋。迎えた6回表に2死二塁からレフト前ヒットを許したが、味方の好返球で本塁タッチアウト。「苦しい場面で助けてもらった」と仲間の力も感じながら、4日前の2回戦の投球(先発して5回4失点)を遥かに上回る7回1失点の好投を披露し、8回から2番手の背番号1、豊蔵優にバトンを渡した。

■逞しく成長、今後の目標は?

 試合は0-2で終了した。その瞬間は、仲間と肩を並べてベンチにいた。その後ろには井町直貴監督。「これまでコツコツとやってきて、7回までマウンドに立てたというのは彼の努力、そして周りの成長があったからだと思います」と目を細める。試合後の取材でも、報道陣は高橋の話す言葉を半分ほどしか聞き取れない中、捕手の三宅悠太が“通訳”する。「最初は分からなかったですけど、口の形とかジェスチャーとか、高橋の伝えたいという気持ちもあって、1年経たないぐらいには分かるようになった」と三宅。他のメンバーも含めて、全員が力を合わせてチームを作り上げてきた。

 悔しさはあるが、昨夏の優勝校相手に堂々たる戦いぶりを演じたことで満足感もある。それ故に、試合後の高橋の目に涙はない。神宮球場の外でチーム全員が整列しての“最後の挨拶”を見守った母も笑顔だ。息子と目が合うと、黙って頷き、優しく微笑みかけた。そして自分の背丈よりも遥かに大きくなった息子の背中を何度も叩いた。

 高橋に今後の目標を聞いた。「ろう野球の日本代表に入って、そこで活躍して、世界一を獲りたい」。野球はまだ続ける。息子の背中は、まだまだ大きくなりそうだ。

(取材・文/三和直樹)