(16日、第106回全国高校野球選手権岡山大会1回戦 金光学園5―0岡山南) 五回表無死、岡山南の左翼を守る賀門和優(かずや)選手(3年)へ、やっと打球が飛んできた。左打者特有の切れていくフライを着実に追いかけ、ライン寄りで足を止めてキャッ…

(16日、第106回全国高校野球選手権岡山大会1回戦 金光学園5―0岡山南)

 五回表無死、岡山南の左翼を守る賀門和優(かずや)選手(3年)へ、やっと打球が飛んできた。左打者特有の切れていくフライを着実に追いかけ、ライン寄りで足を止めてキャッチ。「緊張していたけど、一つ目を捕れてよく足が動くようになりました」。2死後の飛球もしっかり捕った。

 小学5年から水泳を始め、中学では中国大会で入賞するほど。ただ、大の広島カープファンでもあり、「高校ではチャレンジをしたい」と野球への思いを実行に移した。

 入学してすぐ、担任になった野本竜太監督に、個人面談で相談を持ちかけた。「野球がしたいんですけど、部に入れますか?」

 監督の答えは「いけない理由があるかな?」。1980年代に川相昌弘さん(元巨人など)らが黄金時代を築き、その後も監督の実弟の野本圭さんが中日にドラフト1位で入団するなどプロ野球選手を送り出してきた古豪に、初心者が加わった。

 憧れていたカープの菊池涼介選手と同じ二塁手として野球を始めた。最初はキャッチボールもまともにできず、打球が来ると体が固まってしまった。外野転向を願い出て、仲間にも教わりながら一つひとつ技術を身に付け、背番号7で最後の夏を迎えた。

 七回無死二、三塁で浅い左飛をキャッチし、失点を防いだところで、左翼に回る投手に代わってベンチに下がった。野本監督は「野球が大好きな気持ちが成長につながった。経験がなくても3年間きちんと頑張れば、最後に良い思いができると示してくれた」。

 大学進学を目指している賀門選手。競技として続けるかは今はわからない。ただ、「野球をやってみてよかった?」という問いには「ハイ。よかったです」と間髪入れずに返した。(大野宏)