カーメロは、スコアラーとして多彩な技術を備えていたphoto by Getty Images連載・NBAレジェンズ05:カーメロ・アンソニー プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せるこ…



カーメロは、スコアラーとして多彩な技術を備えていたphoto by Getty Images

連載・NBAレジェンズ05:カーメロ・アンソニー

 プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

 第5回は、21世紀のNBAを代表するスコアラーとして、多くの選手にも影響を与えたカーメロ・アンソニーだ。アメリカ五輪代表における1試合最多得点記録の保持者でもあるカーメロは、最後まで点取り屋としての道を進み続けた。

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 2000年代以降のNBAを観てきた方たちのなかで、「スコアラー」として真っ先に名前を思い浮かべるのがカーメロ・アンソニーではないだろうか。201㎝・108㎏のフォワードは、NBAキャリア19シーズンでオールスターに10度、オールNBAチームに6度、2021年には75周年記念チームにも名を連ね、昨年5月に現役引退を表明した。

 真骨頂の得点力は、キャリア19シーズンのうち14シーズンで平均20.0得点以上を残し、積み上げた通算2万8289得点は、歴代10位にランクインしている。

【全米大学王座からNBAナゲッツでの成功】

 1984年5月29日にニューヨーク州ブルックリンで生まれたカーメロは、8歳の頃にメリーランド州ボルティモアへ引っ越した。そこで地元の友人たちにも恵まれ、バスケットボールの腕を磨いていった。

 高校は同州にあるタウソン・カトリック高で最初の3年間を過ごし、4年次にバージニア州のオークヒル・アカデミー高へ転校。その理由について、カーメロは「俺は高校ではナンバーワン・プレーヤーで、ボルティモアの友人たちがいる環境では、プレッシャーを感じることがなかった。もしあのままずっとプレーしていたら、最悪な状況になっていただろうね」と、説明している。

 すでに有望株として注目を浴びていたカーメロは2002年にシラキュース大学へ入学し、1年生ながら堂々たるプレーを見せた。翌2003年のNCAAトーナメント(全米大学選手権)では全試合で2ケタ得点をマークし、エリート8(準々決勝)からは圧巻の3戦連続20得点、10リバウンド超えの"ダブルダブル"を叩き出し、決勝ではカンザス大学を81-78で破って優勝。トーナメント最優秀選手賞(Most Outstanding Player)にも輝いた。

 その後、2003年のNBAドラフトへアーリーエントリーしたカーメロは、1巡目全体3位でデンバー・ナゲッツから指名を受ける。当時のナゲッツは、直近の2002-03シーズンにリーグワーストタイの17勝65敗(勝率20.7%)、8シーズン連続でプレーオフから遠ざかり、低迷していた。そのチームに鳴り物入りで加わった新人は、公式戦82試合にフル出場してチーム最多の1試合平均21.0得点に6.1リバウンド、2.8アシスト、1.2スティールと暴れ回った。

 するとチームはウェスタン・カンファレンス8位の43勝39敗(勝率52.4%)へ浮上してプレーオフに進出。1回戦敗退に終わるも、新人王の投票でクリーブランド・キャバリアーズのレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)に次ぐポイントを獲得し、オールルーキー・ファーストチームに選ばれた。

 カーメロはナゲッツのトップスコアラーとして7年連続でプレーオフへ導いた。1回戦を突破したのは2009年のみながら、この年はリーダー格で司令塔のチャウンシー・ビラップスを中心とした布陣でカンファレンス決勝進出を果たし、この年の王者になるレイカーズ相手にも奮戦した。

 レイカーズとのシリーズを2勝4敗で敗れたとはいえ、「俺とコーブ(コービー・ブライアントの愛称)にとって、あれが思い出なんだ。最高だったよ」と、のちに振り返ったカーメロ。エースとしてレイカーズに立ち向かい、コービーともポジション争いから激しいマッチアップを繰り広げて、白熱のシリーズを演じた。

【ニックス移籍後も真骨頂発揮するも......】

 ただ、NBAファイナルの一歩手前まで駒を進めたチームは、戦力維持できずにその後、弱体化。カーメロとの再契約にも暗雲が立ち込め、2010-11シーズンにはその去就を巡るニュースから‟メロドラマ"という造語が生まれた。結局、2011年2月22日に3チーム間の大型トレードでカーメロはニューヨーク・ニックスへ移籍。NBAキャリア第2章へと進んだ。

 生まれ故郷に本拠地を置くニックスへ移籍したカーメロは、約7シーズンの在籍で平均24.7得点に7.0リバウンド、3.2アシストとスタッツとしては全盛時を迎える。12-13シーズンにはリーグ得点王に輝き、2014年1月24日のシャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)戦ではキャリアハイの62得点をマークした。

 プレーオフでもナゲッツ在籍時の2010年、ニックス時代の2011年にいずれも自己最多42得点を奪い、スコアラーとしての能力を存分に発揮。しかし、ニックスは2013年を最後にプレーオフから脱落し、30代に突入したカーメロもトレードによってキャリアの転換期を迎える。

 2017-18シーズンはオクラホマシティ・サンダーでラッセル・ウェストブルック(現ロサンゼルス・クリッパーズ)、ポール・ジョージ(現フィラデルフィア・76ers)に次ぐ3番手、翌2018-19シーズンに所属したヒューストン・ロケッツでは開幕からわずか10試合でローテーションから外れ、2019年1月のトレードでシカゴ・ブルズへ移籍後にウェイブ(保有権放棄)されることになる。

 ナゲッツ、ニックス時代の1番手から3番手のスコアラーへ降格し、サンダーとロケッツでは求められた"シューター役"へのアジャストに苦戦した稀代のスコアラーは、キャリア終焉の危機に陥っていたのだが、2019年11月に事態が好転する。

 ポートランド・トレイルブレイザーズは"スコアラー"としてのカーメロを求めて契約。デイミアン・リラード(現ミルウォーキー・バックス)、CJ・マッカラム(現ニューオーリンズ・ペリカンズ)とともに得点源の一角となって2019-20シーズンに見事復活を遂げる。

 翌2020-21シーズンはブレイザーズでシックスマン(試合途中でベンチから出場する役割の選手)をこなし、2021-22シーズンにはレイカーズでドラフト同期のレブロンとプレー。2022-23シーズンはヨーロッパでトップレベルの複数クラブが関心を示すも、NBAでプレーを続けることにこだわり続けた男は海外へ活動の拠点を移すことなく、2023年5月に現役引退を決断した。

【五輪代表として3個の金メダル獲得】


オリンピックには4大会連続出場で3個の金メダルを獲得している

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 当たり負けしない強靭なフィジカルを持つカーメロには芸術的なジャブステップをはじめとする数多くのスキルがあり、力強いドライブやバリエーション豊富なポストプレー、磨き抜かれた巧みなミッドレンジジャンパーと3ポイントも備わっていた。

「バスケットボールで点を取ることは簡単じゃない。俺たちは簡単そうにやっているように見えるかもしれないけど、実際はそうじゃないんだ。俺としては19年間やってきたことの繰り返しなんだ。毎晩、日々欠かさずやってきた。俺がゲームにどんなことを持ち込めるのか、ゲームでどんなアプローチができるのか、そこには俺のプロフェッショナリズムがある」

 大ベテランとなっていた2021年にそう話していたように、カーメロにはスコアリングに対する美学がある。なかでもカーメロが繰り出すスムースかつ美しいプルアップジャンパーは印象的。勝負どころでもフォームが崩れることはなく、当然のように幾度も沈めてきた。NBAキャリアを重ねるごとに進化させてきたミッドレンジジャンパーを、カーメロはこう語る。

「とにかく練習すること。毎日たくさんシュートするんだ。夏の間、俺はずっとそうやってきた。で、できるだけ走り込んで自分を疲れさせるんだ。そこから足が疲れているなかでジャンプショットの練習に取り組むのさ」

 磨き抜かれたスキルの数々で観客を魅了してきたカーメロは、NBA選手たちにも大きな影響を与えてきた。現在レイカーズでプレーする"日本の至宝"八村塁は、2020年に初対決を終えて「僕が最初に好きになって、ずっと見てきた憧れの選手」と語り、引退表明後には「メロ、あなたは僕が成長していくなかで大好きな選手でした。あなたの動きやすべてを真似ようとしてきました。インスピレーションを与えてくれてありがとう」と、最大級の賛辞を送っていた。

 また、今年2月に通算得点で"カーメロ超え"を果たしたケビン・デュラント(フェニックス・サンズ)も「カーメロには13、14歳の頃から憧れてきた。その彼と得点で同じカテゴリーに入ることができてうれしいね」と話していた。

 現在、アメリカ代表は大会5連覇をかけたパリ五輪に向けて調整中。カーメロとデュラントは、同代表で最多タイとなる3つの金メダルを手にしてきた。オリンピックの通算得点では435得点でデュラントが歴代1位、カーメロが336得点で同2位にいる。

 ただし、オリンピックの1試合最多得点記録を保持しているのはカーメロ。2012年ロンドン五輪のナイジェリア代表戦で、わずか14分間の出場ながら面白いようにショットがリングへ吸い込まれ、なんと37得点を記録した。

 NBA優勝こそできなかったものの、カーメロはNCAAトーナメントを制し、アメリカ代表として金メダルを3つも獲得してきた。それに現時点でNBA史上10本の指に入るスコアラーなのだから、近い将来バスケットボール殿堂入りすることは間違いない。

【Profile】カーメロ・アンソニー(Carmelo Anthony)/1984年5月29日、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。シラキュース大出身。2003年NBAドラフト1巡目3位指名。
●NBA所属歴:デンバー・ナゲッツ(2003-04〜10-11途中)―ニューヨーク・ニックス(10-11途中〜16-17)―オクラホマシティ・サンダー(17-18)―ヒューストン・ロケッツ(18-19)―ポートランド・トレイルブレイザーズ(19-20〜20-21)―ロサンゼルス・レイカーズ(21-22)
●NBA王座:0回
●主なスタッツリーダー:得点王1回(2013)
●アメリカ五輪代表歴:2004年アテネ五輪(3位)、08年北京五輪(優勝)、12年ロンドン五輪(優勝)、16年リオ五輪(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)