連載第6回 サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。今回は、パリ五輪を控える「女子サ…

連載第6回 
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。今回は、パリ五輪を控える「女子サッカー」について。なでしこジャパンのメダルへの展望や、1996年アトランタ大会でスタートした五輪女子サッカー当初の様子も紹介します。

【なでしこジャパンは2つのシステムを使いこなす】

 女子日本代表(なでしこジャパン)が、パリ五輪前最後の強化試合でガーナ代表を相手に4-0で快勝した(7月13日・金沢ゴーゴーカレースタジアム)。



なでしこジャパンはパリ五輪に向けてガーナと強化試合を行なった photo by Fujita Masato

 ガーナが前半のうちに退場者を出してひとり少なくなったが、4バックでスタートした日本は、その後攻めあぐねてスコアレスで折り返す。後半は、3バックに変更したことで攻撃が活性化し、51分に田中美南のゴールで先制すると、藤野あおばの直接FKなどで得点を積み重ねた。

 男子の日本代表は6月のシリア戦で前半は3バック、後半は4バックで戦ったが、まだまだぎごちないところがある。だが、女子代表はもともと4バックで戦っていたのを、2023年W杯に向けて池田太監督が3バックに挑戦。3バックでW杯を戦ったあと、再び4バックも試してきた。

 池田監督によれば、ガーナ戦でも前半のうちに変更しようかとも思ったが、「4バックのまま選手の反応を見た」そうだ。その言葉からは、2つのシステムを使いこなせるという自信を感じる。

【12チームで争うパリ五輪 日本はメダルのチャンスあり】

 男子の五輪サッカーは23歳以下の選手にオーバーエイジを加えた大会だが、女子のほうはフル代表の戦いだ。女子W杯の翌年に五輪が巡って来るので、基本的にはW杯チームがそのまま五輪にも出場する(昨年のW杯でラウンド16敗退を喫したアメリカは、エマ・ヘイズ新監督の下での再出発となるが......)。それだけに、どの国もチームの完成度は高い。

 女子W杯は昨年の大会から参加国数が32に拡大されたが、五輪の女子サッカーは相変わらず12カ国という"狭き門"。

 男子にブラジルやドイツがいないのと同様、女子でもFIFAランキング3位のイングランドや4位のドイツ、そして、昨年のW杯で日本が完敗を喫したスウェーデン(6位)などが出場しない。

 したがって、最新ランキングで7位の日本は、ランキング上はスペイン(1位)、フランス(2位)、アメリカ(5位)に次いで4番目に位置しているのだ。もちろん、FIFAランキングがチームの実力を表わしているわけではないが、メダルは十分に狙える位置にいると見ていい。

 何といっても注目は、スペインと対戦する現地7月25日の初戦だろう。だが、相手がランキング1位だろうと、昨年のW杯王者であろうと恐れることはない。昨年のW杯で日本は、グループリーグで組織的な守備でスペインを完封し、カウンターから効率よく得点を重ねて4-0のスコアで圧倒したのだ。

 また、今回パリ五輪のグループリーグでスペインと対戦するということは、準々決勝ではスペインとは当たらないことを意味する。「メダル獲得」を考えれば願ってもない好条件だ。

【五輪女子サッカーのスタートは1996年アトランタ大会】

 僕が、初めて五輪の女子サッカーを見たのは1996年のアトランタ大会だった。女子サッカーが初めて五輪種目に入った大会だ。

 アトランタ大会は男子のU-23日本代表(西野朗監督)が28年ぶりに五輪出場を果たし、初戦でブラジル相手に1-0で勝利。「マイアミの奇跡」を起こした大会だ。

 女子も、前年にスウェーデンで行なわれた女子W杯でベスト8進出を果たしたおかげで出場権も獲得していたのだが、残念ながら僕はアトランタ大会では日本女子の試合を見ていない。男子中心に観戦日程を組んだので、女子の試合まで手が回らなかったのだ。

 僕が観戦したのは、男子と同会場で行なわれたスウェーデン対中国、アメリカ対スウェーデン、スウェーデン対デンマークの3試合だった。

 もちろん、僕はそれまでにも1981年にイタリアが来日して神戸と東京で行なわれた親善試合をはじめ、女子の国際試合は何度か見たことがあったが、多くは親善試合。公式戦としては1994年のアジア大会くらいのものだった。当時は、女子サッカーのテレビ放映などほとんどなかったから、世界レベルの女子の試合はアトランタ五輪で初めて目にしたのだ。

「第一印象」は、とにかく日本の女子サッカーと世界のフィジカル能力の違いだった。

「これは、テクニックや戦術でどうにかできるレベルの差ではない」

 それが、僕の感想だった。

 日本では、女子のトップアスリートの多くは伝統ある陸上競技や水泳。団体競技であれば、1964年の東京五輪で金メダルを獲得して一躍人気競技となったバレーボールや、バスケットボールをやっていた。女子サッカーというのは、まだまだ、競技人口が少なく、女子のトップアスリートはサッカーをやっていなかった。

 それに対して、アメリカではアスリート能力の高い女性の多くがサッカーをしていたのだ。

 アメリカで最も盛んなボールゲームはアメリカン・フットボールだが、この競技はコンタクトプレーが激しすぎるので、州によっては男子高校生もプレーを禁止されていた。まして、女性がやるスポーツとは考えられていなかった。

 そこで、サッカーこそ女子が行なうのにふさわしいボールゲームと見なされたのだ。

 当時、僕は横浜にあるアメリカの大学が運営する学校で教師をしていた。

 日本研究を目指す全米の大学院生が、1年間日本に送り込まれて日本語などの教育を受け、その後、日本の大学に留学したり、日本企業で働いたりできるようにサポートする学校だった。

 ある時、学生たちが「スポーツをやりたい」と言い出した。では、何をやるのか? 彼らが出した結論は「サッカー」だった。理由は「男女が一緒にプレーできるから」だった。

【当初はアスリート能力の高いアメリカや中国がリード】

 話は脱線するが、学生たちが日本人のチームと試合をしたいと言い出したことがある。1992年の話だ。学校の女性副所長(サッカーのことは何も知らない)が、サポートを受けていた東京ガス横浜支店の支店長にその話をしたら、支店長(こちらもサッカーをまったく知らない)が「そういえば、うちの本社にサッカー部がある」と思いついたのだ。

 副所長は「それで、試合をすることを決めてきた」というのである。

「えっ、東京ガス本社のサッカー部ってマジですか!」

 東京ガスと言えば、JFLに所属し、アマラオをはじめブラジル人もいる強豪クラブである(FC東京の前身)。

 こうして、アメリカ人学生のチームは横浜の金沢区にある東京ガスのグラウンド(JFLの会場としても使われていた)に乗り込んだのだ。どうなることかとヒヤヒヤものだったが、こちらのチームに女子学生もたくさんいたので、東京ガスの選手たちはすぐに状況を把握して適当に遊んでくれた。

 閑話休題。本題に戻ろう。とにかく、アメリカの選手たちのアスリート能力の高さは目を見張るばかりだった。それに、銀メダルを獲得した中国の選手たちも同様だった。

 中国の場合は、アスリート能力が高く、ほかの競技をやっている選手のうち、適性のある選手を選んで国家命令でサッカーをやらせたのである。当時、女子サッカーは世界的普及度が低かったので、集中強化をすれば五輪でメダルが取れる可能性が高かったからだ。

 1991年の第1回女子W杯は中国で開催されたし、1999年の第3回大会で中国は決勝に進出。アメリカとスコアレスドローの末、PK戦に敗れて準優勝に終わっている。

 1990年代は中国女子の絶頂期だった。1994年のアジア大会では日本は決勝戦で中国と対戦し、0-2で敗れたが、当時の感覚では「0-2なら大善戦」だった。

 日本の女子サッカーは、その後少しずつ努力を積み重ね、テクニックと戦術を生かしたサッカーで急速に力をつけ、2011年の女子W杯で優勝。五輪でも2012年ロンドン大会に銀メダルを獲得している......。まさに、夢のような物語である。

 今回のパリ五輪でもすばらしい成績を期待したい。