陸上競技のリレーといえば、2008年の北京五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得した男子4×100mリレーを思い浮かべる人も多いだろう(※北京五輪は当初銅メダルだったが、優勝チームの失格により銀メダルに繰り上が…

 陸上競技のリレーといえば、2008年の北京五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得した男子4×100mリレーを思い浮かべる人も多いだろう(※北京五輪は当初銅メダルだったが、優勝チームの失格により銀メダルに繰り上がった)。ただ、今夏のパリ五輪では、男子4×400mリレー(通称:マイルリレー)にも注目したい。


中島佑気ジョセフは東京都出身の22歳

 photo by Getty Images

 日本男子のロングスプリント界にとってエポックメイキングだったのが、昨夏のブダペスト世界選手権だ。

 男子400mで先陣を切ったのは佐藤拳太郎(富士通)。予選で44秒77をマークし、高野進が持っていた日本記録を32年ぶりに100分の1秒更新した。

 さらに、佐藤風雅(ミズノ)も44秒97と快走。これまで日本人の44秒台は高野しかいなかったが、現役選手が一気にふたりもその領域に達した。また、大学生だった中島佑気ジョセフ(現・富士通)も好走し、3人そろって準決勝に駒を進めた。

 準決勝でも、佐藤拳太郎が44秒99、佐藤風雅が44秒88(日本歴代3位)と再び44秒台をマーク。中島は日本歴代5位となる45秒04の自己ベストを打ち立てた。3選手とも決勝進出は惜しくも逃したものの、日本歴代トップ5に現役選手が3人もランクインした。

 当然、同大会でそのあとに行なわれた男子4×400mリレーの期待は高まった。だが、予選で序盤に出遅れてしまい、日本歴代2位の好記録で走りながらも予選敗退に終わった。

 世界のライバルは手強く、ひとつのミスを挽回するのがなかなか難しいのも事実。だが、2022年のオレゴン世界選手権では2分59秒51のアジア新記録を樹立して過去最高の4位入賞し、今年5月にバハマで開催された世界リレーでも4位に入賞している。いやがうえにも、パリでは快挙を期待してしまう。

 パリ五輪の選考がかかった6月末の日本選手権、男子400mで強さを見せたのは中島だった。予選から45秒16の好記録をマークすると、雨に見舞われた決勝は記録こそ45秒51と伸びなかったが、先行する佐藤風雅をラスト100mでかわし、連覇を果たした。

【単身アメリカに渡って世界トップと練習】

 それでも、フィニッシュ後に中島から口をついて出た言葉は、反省ばかりだった。

「今までやってきたことを考えれば、勝つのは当たり前で、普通に走れば44秒は出るよねっていう感覚だった。最後しっかり競り勝ったことは評価できるんですけど、普通の結果だと思います。

 昨日からハム(右脚のハムストリングス)の状態がよくなくて、肉離れするリスクもあった。低い気温と雨のなか、無意識に走りを抑えるような感じになってしまった。最初から風雅さんに離されてしまって、追いつくために少しエネルギーを使ってしまった」

 コンディションが悪いなかでも、出力を抑え、勝ちきったのはさすがだが、納得のいく走りとはいかなかった。

 中島は、貪欲なまでに強さを求めてきた。

 昨年11月からは単身でアメリカに渡り、南カリフォルニア大学で1992年バルセロナ五輪・男子400m金メダリストのクインシー・ワッツ氏の指導を受けている。今年4月に富士通に入社して社会人となったあとも、同地を拠点としてトレーニングを積んでいる。

「孤独感もあったし、いろいろな試練はあるが、結果を出したいという気持ちが本当に強い。それだけの覚悟をもって挑戦することは、成長過程で必要だと思っています。文化も言語もまったく違い、かなり苦労したんですけど、いろんな人に支えてもらいながら準備を重ねていくのも面白かった」

 こう話すように、自ら厳しい環境に身を置いた。

 練習をともにするのは、オレゴン世界選手権・男子400m金メダルのマイケル・ノーマン、東京五輪・男子400mハードル銀メダルのライ・ベンジャミンといった世界のトップ選手たち。日本選手権に向けても、国内のレースには出ずに海外のレースで研鑽を積んできた。

 ワッツ氏の指導で、中島は走りも変わってきたという。

「できるだけコンパクトに、脚を(うしろに)流さずに前でさばくことを重点的に指導された。動きの効率が上がったと思います。今まではストライド(歩幅)を大きくする分、ピッチ(回転数)を上げるのに相当エネルギーが必要だったんですけど、ピッチは確実に上がっている。効率的に脚を前に運べるようになり、すごくラクに400mをまとめることができています」

 3月下旬に一時帰国した際、中島はこのように話していた。

 日本選手権では、44秒台は持ち越しとなったものの、終盤の走りにその片鱗を見せたのではないだろうか。

【400mを「スプリント」として考える】

 日本選手権の2位には佐藤風雅が入った。

「360mまででした。400mを走りきれなかった。残りの40mをどう修正するか......」

 前半先行しながらも、ラストで中島に敗れた。レース後に課題を口にしたが、実は日本選手権の2週間前に体調を崩し、不安もあったという。

 それでも、しっかりレースに合わせられたことには手応えを口にしていた。

 3年前の日本選手権は5着に終わり、個人でもリレーでも東京五輪の舞台に立てなかった。

「あの時は、マイル(4×400mリレーのこと)の5番手の枠を狙って日本選手権に臨んでいた。そういった部分が自分の弱さだとあらためて気づいた。

 この3年間は個の強さを磨こうと思ってやってきた。今回1番を取れなかったのは非常に悔しいですけど、しっかり2番に入って、実力で個人の枠を勝ち取れることを本当にうれしく思っています」

 即内定とはならなかったものの、すでに参加標準記録を突破しており、2位に入ったことでパリ五輪出場を確実なものにした(7月4日に追加で内定となった)。その事実は素直に喜んでいた。

 この3年間はフィジカルを強化し、400mという種目の捉え方が変わったという。

「以前は400mを前半・後半と分けていたんですけど、フィジカルを鍛えたことで400mを"スプリント"として走れるようになりました。海外には前半を20秒台で入る選手がいるので、『単純に足が速くなればいいんじゃないか』という結論に辿りついた」

 先のコメントにあるとおり、今回は360mまで、佐藤の言う"スプリント"としての走りができた。あと40mは、佐藤風雅の伸びしろと見ていい。

 一方で若干の不安を残したのが、日本記録保持者の佐藤拳太郎だった。

 レース前に古傷の左アキレス腱に痛みがあるのを明かしており、予選は45秒69で組2着だった。しかし、決勝は棄権。「予選を走り、本日の雨の状況から体調を考慮し、決勝を棄権することにしました」と、大会事務局を通じてコメントを残した。

【佐藤拳太郎は失敗を無駄にしない】

 パリ五輪を見据えれば、賢明な判断だっただろう。アキレス腱の状態が気になるところだが、不安があるなかでも予選を45秒台半ばで走れたのはプラスに捉えることもできる。

 佐藤は東京五輪後に左のアキレス腱周囲炎を悪化させ、2022年の日本選手権は予選敗退に終わっている。一時は引退を考えたこともあったが、早稲田大学の大学院で自らの400mの走りを追究し、ロジカルな視点から400mという種目と向き合ってきた。

 以前は入りの200mに注力していたため、後半に大きくペースダウンしていたが、200mから300mの「再加速の局面」の改善に努めてきた。そして、昨年の快挙に結びつけた。

 ただ、44秒台で走っても世界選手権の決勝に進めなかったように、世界との差は痛感していた。

「前半に余裕を持たせるとはいえ、世界と比べると遅すぎると思っていた。余力を持ちながらも、前半からしっかり勝負できるレース展開にしたい」

 このように考えており、今回の日本選手権では、また新たな試みをしていた。

「中盤で意識的に少し速度を上げようとした。今回初めての試みだったので、それがうまくいかず、そこで力を使い過ぎてしまい、後半に力があまり残っていなかった」

 予選の走りはうまくいかず、「レースの組み立て方0点」と厳しい自己評価だった。

 だが、日本記録を樹立する前にも、失敗レースは何度もあった。その度に修正を重ねてきた。佐藤は失敗を無駄にはしない。今回の走りも必ず血肉とし、佐藤の400mを完成させるはずだ。

 日本選手権は三者三様の結果となったが、それぞれのコメントを紐解くと、見据えているのはやはり世界の舞台。日本選手権は通過点に過ぎない。パリ五輪は個人で決勝に進むことはもちろん、リレーのメダルも目標に掲げている。

 男子4×400mリレーのメンバーには、この3人のほか、オレゴン世界選手権4位のメンバーの川端魁人(中京大クラブ)、日本選手権の予選で佐藤拳太郎に先着し、決勝で3位に入った吉津拓歩(ジーケーライン)が選出された。

 パリ五輪のトラック種目のフィナーレを飾るのが4×400m(正確には女子4×400mがあとだが)。この男たちがベストパフォーマンスで日本中を沸かせるはずだ。