(13日、全国高校野球選手権岩手大会1回戦、盛岡南3―10水沢 7回コールド) 一気に点差を離された後の攻撃だった。5点を追う三回、1死二、三塁の好機で、盛岡南・高橋大和選手(3年)が打席に立った。 「自分が打って絶対に次に回す」。口を固…

 (13日、全国高校野球選手権岩手大会1回戦、盛岡南3―10水沢 7回コールド)

 一気に点差を離された後の攻撃だった。5点を追う三回、1死二、三塁の好機で、盛岡南・高橋大和選手(3年)が打席に立った。

 「自分が打って絶対に次に回す」。口を固く結んで振ったバットが球を捉えて右越えの二塁打となり、2人が生還した。

 もともと「助っ人選手」だった。1年生の秋、日野沢大智選手(3年)に助っ人を頼まれた。当時、部員は8人だった。

 軽い気持ちで引き受けたが、試合でも練習でも部員同士が声をかけ合う明るい雰囲気に、「やっぱり野球は楽しいなあ」と思うように。冬には入部を申し出ていた。

 杉田英一監督は「高橋との出会いが、チームの転機。攻守の要になり、今では欠かせない存在」という。遊撃手として野手をまとめ、3番打者を任されるまでになった。

 今では部員20人になった盛岡南だが、来春に不来方と統合される。この夏が母校のラストチャンス。五回途中で選手交代してベンチに戻り、「もう最後か」と涙が出てきた。最後に校歌を歌う夢は、かなわなかった。

 「『あの時俺を誘ってくれてありがとう』ってみんなに声をかけたい。このチームで野球ができてよかった」。泥だらけのユニホームに書かれた「盛岡南」の文字が、輝いて見えた気がした。(松尾葉奈)