ユーロ2024に、ロシアの侵攻で戦禍にさらされているウクライナが出場。監督や選手が国内の厳しい現状を訴えた。自らも兵士として戦場に向かい、今回記者としてサッカーの現場に戻ってきたウクライナ人記者が、代表チームがどんな想いで今大会に参加したの…

ユーロ2024に、ロシアの侵攻で戦禍にさらされているウクライナが出場。監督や選手が国内の厳しい現状を訴えた。自らも兵士として戦場に向かい、今回記者としてサッカーの現場に戻ってきたウクライナ人記者が、代表チームがどんな想いで今大会に参加したのかを寄稿してくれた。

【ユーロ出場で国内の現実があらためて明るみに】

 ウクライナ代表はユーロ(EURO) 2024で珍しい記録をつくった。グループEの首位チームと同じ勝ち点4を獲得しながら、グループ最下位で大会から姿を消した大会史上初のチームになったのだ。



ウクライナ代表はユーロ2024に出場し、国内の難しい状況を訴えた photo by Getty Images

 だがもちろん、ピッチ上の結果だけで、今大会のウクライナを語ることはできない。

 ドイツに遠征したセルゲイ・レブロフ監督が率いるチームには、ミッションがあった。ロシアの残忍な侵攻が続くなか、世界中にウクライナの自由を訴える機会と今大会を捉えていたのだ。記者会見やインタビューで、選手や監督たちは心の底から平和を希求し、約2年半にわたって前線で国を守り続けている兵士たちに深く感謝した。

「何よりも、僕たちは戦場の兵士たちのためにプレーする」とキャプテンを務めるオレクサンドル・ジンチェンコは宣言した。「最前線で命をかけて戦ってくれている英雄たちがいなければ、僕らはここに来ることさえできなかった。彼らのために栄光を掴みたい」。

 ウクライナの独立を守る戦いへの他国からの関心は、時間の経過とともに薄れていた。しかし代表チームが侵攻後初となる主要大会に出場したことと、ウクライナサッカー協会の会長を務めるアンドリー・シェフチェンコの精力的な活動により、この痛ましい状況に再びスポットライトが当たるようになった。

 塹壕の暗がりでスマートフォンを通して試合中継を観る兵士の表情が、国際的なメディアに掲載され、フットボールの祝祭とはまた別の現実が、あらためて世界に知れ渡った。

【練習や試合は空襲や警報でしばしば中断】

 今大会に出場したウクライナ代表には、ジンチェンコ(アーセナル)やミハイロ・ムドリク(チェルシー)、アルテム・ドフビク(ジローナ)、アンドリー・ルニン(レアル・マドリード)ら、国際的に名の通るタレントが揃っていた。

だが必然的に注目を集めたのは、ディナモ・キーウやシャフタール・ドネツクら、国内リーグでプレーする選手たちだ。

 彼らはリーグ戦を消化することだけでも、困難を強いられている。バスや電車を乗り継ぐ、長く険しい道のりを経て各地へ遠征し、練習や試合は空襲やその警報で、しばしば中断される。公式戦が4、5時間をかけて終わることも珍しくない。

「信じられないほどのコントラストだよ」と説明するのは、シャフタールのMFヘオルヒー・スダコフだ。「たとえばヨーロッパリーグ(EL)の試合でマルセイユに遠征すれば、そこには6万人を超えるファンが集まってすばらしい雰囲気をつくっている。その後に帰国して国内リーグのアウェー戦に行くと、無観客のなか、何度も空襲警報で試合が中断するのだから」。

 当然ながら、ウクライナ代表の選手や監督にとって、戦場からのニュースは他人ごとではない。

 レブロフ監督──現役時代にシェフチェンコと高速2トップを形成した元代表アタッカー──は、東部ドネツク州ホルリウカ出身で、その故郷は2014年からロシアに支配されている。

ディナモ・キーウに所属するライトバック、オレクサンドル・ティムチクは戦場で兄弟を亡くした。0-3の完敗を喫した初戦のルーマニア戦には途中から出場し、2-1で勝ったスロバキア戦とスコアレスドローに終わったベルギー戦にフル出場した27歳は、早期敗退に胸を痛めていた──自らのためではなく、ウクライナのファン、とりわけ兵士たちのために。

「ウクライナ人であることを誇らしく思う」とティムチクはベルギー戦後に言葉を絞り出した。「僕たちはすべてを出し尽くした。愛する国、そして英雄たちのために。だが、彼らを落胆させてしまったことも事実だ。ひどい気分だよ。彼らに謝りたい」。

【77のスタジアムを含む500を超える運動施設が破壊された】

 近しい人々を失ったのは、彼らだけではない。予備メンバーのシャフタールに所属するGKドミトロ・リズニクの兄弟も戦死し、同じくシャフタールでプレーするイバン・ペトリアクの義父も天に召されている。こうした同胞の惨状が、ウクライナ代表チームに影響を及ぼさなかったはずがない。

 あるいは初戦のルーマニア戦で予想外の大敗を喫したのは、このような背景からの心理的な重荷によるものだったかもしれない。近親者の命を失った事実、そして彼らのためにも好結果を出さなければならないと感じる責任が、選手たちの動きを硬くしたのではないか。

 グループリーグ2戦目からメンバーを少し変えて気持ちを入れ直し、望みに近い結果を手にしたものの(ボロディミル・ゼレンスキー大統領のビデオメッセージが届いた日にスロバキアに勝利)、最終的に決勝トーナメントには辿り着けなかった。

「ウクライナを代表してプレーできることを、光栄に感じている。特にこの状況下において」と、ベルギー戦後にDFイリア・ザバルニー(ボーンマス)は話した。「祖国の人々が、どれほどこのフットボールの試合を楽しみにしていたか。僕たちはそれを知っているし、そのためにプレーした。国を守ってくれている兵士たちの多くは、このチームを熱烈にサポートしてくれている。本当にありがとう」。

 ウクライナ代表のユーロ2024の旅は、多くの人が望んだよりも早く終わってしまった。しかし彼らが世界に与えたインパクトは、結果よりも大きいものだった。少なくとも、そう信じたい。

 大会前に、チームのグループステージ突破と国際社会にウクライナの現状を伝えることのふたつを目標に掲げていたシェフチェンコ会長は、次のように総括している。

「(ふたつ目の目標は)間違いなく達成された。多くの人に、私たちの国の状況を知ってもらうことができた。たとえば、これまでに500を超える運動施設がロシア軍によって破壊され、そこには77のスタジアムも含まれている、という現実を」

 フットボールにおいて、W杯に次ぐ規模のユーロというプラットフォームを用いて、世界中の人々に侵攻の代償の実態を、あらためて伝えた。人間の死がすぐそこにある引き裂かれた祖国で人々が望むものは、ひとえに平和なのだと。

ボフダン・ブハ 
Bohdan Buha/キャリア20年超のスポーツジャーナリスト。『Ukrayinskyi Futbol』、『Sport-Express』、『Top-Football』といった国内のメディアを経て、2000年代から『UEFA.com』のウクライナ担当に。過去4度の欧州選手権を現地で取材している。ロシアの侵攻が始まってから、ウクライナ軍の兵士となり、激戦地バフムートなど前線も経験。複数の負傷により昨夏に除隊、回復とリハビリを経て、ジャーナリズムの現場へ復帰した。1982年生まれ。キーウ出身。