日本レスリング界初の偉業に向けて、気合だ、気合だ、気合だぁー!!。女子76キロ級でパリ五輪に初出場する鏡優翔(22)=サントリー=は、女子最重量級としては日本勢初の金メダルを懸けてマットに上がる。昨年の世界選手権では2003年大会の浜口京…

 日本レスリング界初の偉業に向けて、気合だ、気合だ、気合だぁー!!。女子76キロ級でパリ五輪に初出場する鏡優翔(22)=サントリー=は、女子最重量級としては日本勢初の金メダルを懸けてマットに上がる。昨年の世界選手権では2003年大会の浜口京子以来、女子最重量級で20年ぶりに世界一となった新世代の旗手が本紙のインタビューに応じ、尊敬する浜口も3度挑戦して届かなかった金メダルへの決意や、今年から応援しているという阪神タイガースのある推し選手への思いも語った。

 五輪を目前にした5月、右膝内側側副靱帯の損傷というけがを負ってしまった。それでも鏡の表情は曇るどころか、大好きなヒマワリのように明るかった。「私は1位を取ることや、初とか、誰もなし遂げたことがないことがすごく好き。だけど、日本の女子レスリングは強すぎて、五輪何連覇とかはすごい人がいるので絶対もう成し遂げられない(笑)。ただ、女子最重量級で金メダルはまだ誰もいないので、絶対に私が達成したい」

 17歳でシニアの日本一に輝くなど重量級の若きエースと期待された逸材だが、パリ五輪代表争いのスタートとなった22年12月に大胸筋断裂という大けがを負った。手術、リハビリで大きく出遅れたものの、不屈の闘志で昨年6月の明治杯で復活優勝を遂げ、代表決定プレーオフを制して世界選手権に出陣すると、女子最重量級としては日本勢20年ぶりの金メダルを獲得。悲願の五輪切符も手に入れた。

 最後も逆境が訪れたが、険しい道のりは慣れている。「死ぬ気で勝ち取った切符なので、這(は)ってでも絶対に出る。足1本折れようが、『死ぬ気で戦え』と昔から言われていたので」と覚悟を示し、「私の階級は五輪の最終日(8月10、11日)なのでまだ時間がある。(運が)ツイてる」と笑い飛ばした。

 女子レスリングが五輪種目となった04年アテネ五輪から、日本勢が唯一金メダルを手にしていないのが最重量級だった。第一人者だった浜口京子(46)も3度挑戦したが、屈強なフィジカルを誇る海外勢に阻まれてきた。悲願の金メダルを託された鏡は、代表内定後に浜口や父のアニマル浜口氏(76)に取材などで会って話す機会もあり、「このまま突き進めば金メダルを取れるよ」と背中を押されたという。「重量級の先輩たちの思いも背負って戦いたい。(浜口親子から学んだのは)やっぱり、気合ですね(笑)」と拳を握った。

 勝負の五輪イヤーに入り、人知れず胸に宿したのは“猛虎魂”だった。生まれ育った山形や栃木には球団がなく、ひいきのチームはなかったが、野球には興味があり応援する球団を欲していたところ、昨季38年ぶりに日本一に輝いた阪神が目についた。軽い気持ちで応援することに決め、今春初めて神宮球場のビジター戦に足を運んだところ、胸が躍った。

 「完全ににわかですいません…」と申し訳なさそうに謙遜したものの、球場に行くにあたっては「六甲おろし」はもちろん、レギュラー選手の応援歌もしっかり予習する徹底ぶり。想定してない選手がスタメンに入ると歌えないため「悔しくて帰ってから復習しました」と、応援メガホンを握る力も日増しに強くなっている。

 特に“推し”だというのが木浪聖也内野手。阪神の選手情報を調べていたところ、ビビッとくるものがあって背番号0を目で追い始めた。実際に遊撃手として駆け回る躍動ぶりを球場で見て、同じアスリートとして感銘も受けた。「大きくない体で必死にやっているのが伝わってきて、より好きになりました」。また、観戦した日に完封勝利を飾った才木浩人投手や、森下翔太外野手のフルスイングにも引かれるなど、試合を見る度に推しが増えているという。

 日々の練習時間と重なるため、なかなか観戦することはできないものの、試合結果や誰が活躍したかは毎日確認し、ハイライト動画もチェックしている。自然と自身の競技のことも思い出すといい、「プロ野球は毎日たくさんの人が球場に来て熱狂的に応援している。レスリングはやっぱりマイナースポーツで、その違いって何だろう?ってすごく考える。(野球のような)盛り上がり方をレスリングでもできたら気持ちいいだろうなとか、そういう目線にもなりました」。うらやましいほどの虎党の熱い応援の残響も耳の奥に残しながら、パリで大暴れする。

 ◆鏡 優翔(かがみ・ゆうか)2001年9月14日、山形県出身。小学1年から栃木サンダーキッズでレスリングを始めた。中学3年で上京し、JOCエリートアカデミーに入校。東洋大を経て、今春の卒業後はサントリーに入社した。高校2年時の18年に全日本選手権を初制覇。23年世界選手権で、女子最重量級では日本勢20年ぶりとなる金メダルを獲得し、パリ五輪代表にも内定した。168センチ。