2010年のワールドカップを前に、日本のジャーナリストたちは揺れていた。治安最悪と言われる南アフリカでの取材に、恐怖を覚えていたのだ。蹴球放浪家・後藤健生も当然、彼の地の取材におもむいた。そして、敢然と戦ったのだ。 ■スカパー!と電話しな…

 2010年のワールドカップを前に、日本のジャーナリストたちは揺れていた。治安最悪と言われる南アフリカでの取材に、恐怖を覚えていたのだ。蹴球放浪家・後藤健生も当然、彼の地の取材におもむいた。そして、敢然と戦ったのだ。

■スカパー!と電話しながらナビ「天才か?」

 日本の初戦、カメルーン戦は、ヨハネスブルグから南に400キロ弱のブルームフォンテーンが会場でした。

 試合前日にブルームフォンテーンのB&Bを予約してありましたから、レンタカーの隊列を連ねて現地に向かいました。高速を降りてから、僕はガイドブックを取り出して、そこに載っている大雑把な地図を頼りにナビゲーションを始めました。後は方向と距離を計算しながら、頭の中の地図と照らし合わせながら目的地に向かいました。

 ところが、そこに日本のスカパー!から電話がかかってきたのです。なんか、急ぎの用件だったので、電話で話しながら、そのままナビゲーションを続け、一発で目的地に到着したので、このときは「自分は天才なのではないか」と思ったほどです。

■いつも意見が食い違うY浅さんの「カーナビ」

 こうして、無事に南アフリカ各地を移動しながら、ワールドカップの観戦・取材を続けていたのですが、どうも、いつも意見が食い違うのがY浅さんのカーナビでした。

 どこかに出かけて、高速道路でミッドランドに移動。これから大木旅館に戻ろうという最後の地点で意見が食い違うのです。

 大木旅館は「アラン・ロード42番地」にありました。僕は高速道路からアラン・ロードに出たら右に曲がるべきだと思うのに、カーナビは必ず「左に曲がれ」と指示するわけです。Y浅さんは、カーナビの指示に従って左に曲がって、それから右往左往しながら、大木旅館に辿り着くわけです。

 その次のときも同じことの繰り返し……。そのたびに、僕とカーナビの権力争いが起きるというわけです。そして、ケンカは僕とY浅さんの信頼関係までをも蝕んでいくことになったのです……。

 滞在も最後の頃になって、ようやく原因が判明しました。このカーナビには、番地が入力できないのです。だから、カーナビはいつもアラン・ロードの1番地を目指していたのです。高速道路からの道がアラン・ロードに出た場所から、1番地は左、42番地は右にあったというわけです。

■命令口調のドイツ女性将校が「今だ。右折せよ!」

 さて、「Y浅さんのカーナビ」というと、僕にはもう一つ思い出があります。

 あれは、2006年のワールドカップのときだったと思いますが、ドイツ滞在中にY浅さんには何度も車に乗せてもらいました。Y浅さんは、ドライバーとしても信頼できますし、ドイツ語もペラペラ。しかも、ドイツ人相手にも論理的に言い負かしてしまうので、ドイツで旅行するときには、一緒にいると大変に心強い人です。

 そのときの車についていたカーナビは、もちろんドイツ語で指示を出してきました。

 それも、戦争映画に出てくるナチスの女性将校のような命令口調だったのです。

「500メートル先を右折」と指示が飛んできます。

「あと200メートル」

「今だ。右折せよ!」

 命令に従わなかったら銃殺されてしまいそうだったので、僕は彼女とは一度もケンカをしませんでした。

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