ラグビー元日本代表・田中史朗インタビュー<後編②> 長きにわたり日本のラグビーを背負い、日本代表が低迷していた時代では考えられないステージへと押し上げた不世出のスクラムハーフ、田中史朗。 現役生活にピリオドを打った今も、今後の日本に必要なこ…
ラグビー元日本代表・田中史朗インタビュー<後編②>
長きにわたり日本のラグビーを背負い、日本代表が低迷していた時代では考えられないステージへと押し上げた不世出のスクラムハーフ、田中史朗。
現役生活にピリオドを打った今も、今後の日本に必要なことは躊躇なく発信し提案し続けていくことになるだろうレジェンドが、リーグワンのチームのあり方、ともに戦ってきた盟友たちへの思いを語るとともに、未来の日本代表にメッセージを送る。
ラグビーW杯2019のアイルランド戦で日の丸を背負う田中史朗
photo by Tanimoto Yuuri
【2027年W杯で日本代表に期待すること】
──2027年にオーストラリアで開催されるラグビーW杯で、日本代表に期待していることをお聞かせください。
やはり若手の成長ですね。彼らがその大舞台で結果を残すことが非常に大事です。そしてチームとしてやりたいことをみんながしっかり理解して、とにかくチームで戦ってもらいたいと思います。今夏がそれに向けたスタートとなりますが、イングランドなどかなり強い相手との対戦が続きます。それでも相手がどこであれ桜のエンブレムのプライドを持って戦い、言い訳することなく結果を残してほしいです。
──若手の台頭に期待する一方で、ベテランのリーチ・マイケル選手(東芝ブレイブルーパス東京)がW杯5大会連続出場を目指します。
がんばってほしいですね。2023年のW杯でも、優勝したブレイブルーパスの試合でもチームの中心だった選手です。年齢的にプレーは徐々に衰えていく可能性はあるかもしれませんが、メンタルでしっかり補ってもらい、5大会目を目指す彼を応援したいです。
──ブレイブルーパスはもちろんですが、2015年と2019年のW杯でもリーチ選手がキャプテンを務めてチームを勝利に導きました。
やるべきプレーを体現してくれる選手です。ボールキャリーもすればディフェンスでも体を張ってくれますし「リーチが行くから自分も行く」と思わせてくれる存在です。彼ほど日本のことを思っている外国出身選手もいないと思います。日本語も英語も話せますし、ほかの外国人選手にとっては「困った時はリーチに話せば何とかなる」という選手でもあります。
──引退会見にサプライズで登場した松田力也選手(前・埼玉パナソニックワイルドナイツ)は伏見工業(現・京都工学院)高校の後輩でもあり、長くともにプレーしてきた選手でもあります。
彼はすごく成長しましたね。もし明日、代表戦があるとしたら僕は松田選手を選びます。後輩というよりも仲間として、新天地でさらに成長した彼のパフォーマンスを2027年も楽しみにしています。
──同じく引退会見に登場し田中さんを慕ってきた松島幸太朗選手(東京サントリーサンゴリアス)は一旦代表を休む決断をしました。そういう時間も必要でしょうか?
ずっと代表でやってきたマツ(松島)も今や31歳です。(調整のしかたは)年齢にもよってくるのではないでしょうか。僕だったら休まないですけどね。と書いておいてください(笑)。
【日本ラグビー発展の課題は?】
──リーグワンを含め、日本のラグビーの発展のためには様々な課題があると思います。今、田中さんが考える喫緊の課題は何でしょうか?
レフリーのレベルの向上です。そこを解決していかないと世界に置いていかれてしまいます。スーパーラグビーやテストマッチではレフリングにストレスを感じることはほとんどなく、コミュニケーションを取りやすい雰囲気もありました。ひとつのレフリングで選手の人生、チームの勝敗が左右されてしまいますので、TMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル)も含めて選手もお客さんもストレスを感じないレベルのレフリングになることを願っています。その点が改善されなければワールドクラスのリーグには成長していきません。
──ほかにもリーグワン、ひいては日本ラグビーの発展のための提言があればぜひお願いします。
ほかのチームがどこまで取り組んでいるか把握してないのですが、サッカーのようにもっと地域密着型にしていく必要があると考えています。東京・府中市が本拠地のブレイブルーパスやサンゴリアスは「府中ダービー」を開催するなど地域に密着した活動をしている印象があります。もっといろいろなチームがそういう取り組みをやらないといけません。僕たちグリーンロケッツも「東葛」(千葉県北西部)という地域名を名乗っている以上、地元にもっとコミットすべきだと考えています。
──シーズン中のみならずオフにも地域での活動が必要ということですね。
プロならばそういう活動もやっていく必要がありますね。
──また、リーグワンの大半のチームは、前身のトップリーグ時代と同じく企業内のラグビーチームとして活動し続けています。完全なプロチームとは一線を画している状況です。
サッカーのように、企業がスポンサーとしてサポートしていただければチームも選手も変わってくるのではないでしょうか。付け加えて言うと、個人的にはリーグワンのチーム数が多過ぎるのでは、という思いもあります。いい選手がいろいろなチームに分散してしまっている印象は否めません。ニュージーランドや南アフリカはトップチームの数が少ないからこそ、そのなかで集中的に強化が進み、代表にも同じチームでやってきた選手が集まってチームとしてすぐに結束するので、日本はそこが少しもったいないと感じています。
──最後に、日本のラグビーを思い続けている田中さんはインタビューや記者会見を「これからも日本ラグビーをよろしくお願いします」という一言で必ず締めくくってきました。それは今後も不変ですか?
その思いは変わりません。これからも継続していきたいと思っています。
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このインタビューから2週間、田中史朗の姿は日本代表が合宿を行なう宮崎の地にあった。自身も代表合宿で汗を流し、極限まで自分を追い込んだ思い出の場所だ。
「JAPAN TALENT SQUAD プログラム」の一環として、未来の日本代表として期待されている大学生選手たちに、田中は日本代表としての心得、そしてコミュニケーションの重要性を強く説いた。
「桜のジャージーを着たからには負けることは許されない」
「勝つためにはコミュニケーションが大切。しゃべらないと」
誰よりもラグビーを愛し、誰よりも日本代表を憂う田中史朗の「熱」は、現役を退いても決して冷めることはない。
■Profile
田中史朗(たなか・ふみあき)
1985年1月3日生まれ、京都府京都市出身。日本代表75キャップ。小4 でラグビーと出合い、中学で本格的に競技を始める。伏見工業(現・京都工学院高校)でスクラムハーフとして成長し、1年時に花園優勝、3年時は花園ベスト4。京都産業大学時代にはニュージーランド留学を経験するなどさらに成長し、2007年に三洋電機(のちのパナソニック。現・埼玉ワイルドナイツ)でトップリーグ(現・リーグワン)デビュー。翌2008年に日本代表初選出。2013年、ニュージーランドのハイランダーズと契約し日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなり、3シーズン目の2015年は優勝メンバーに。ラグビーW杯は2011年大会から3大会連続出場。2015年大会で歴史的勝利を収めた南アフリカ戦でプレーヤー・オブ・ザ・マッチに。2019年の日本大会では日本代表初の決勝トーナメント進出に貢献した。リーグワン2023-24シーズン終了をもって現役を引退。