佐賀市内のテコンドークラブには、小学生から社会人までが練習に通う。180度広がる足からくり出される鮮やかな蹴りが、ダッ!ダッ!ダッ!とリズムよくミットを打つ。その喧騒の中、落ち着いたたたずまいで穏やかな笑みを絶やさない選手がいる。パラテコン…

佐賀市内のテコンドークラブには、小学生から社会人までが練習に通う。180度広がる足からくり出される鮮やかな蹴りが、ダッ!ダッ!ダッ!とリズムよくミットを打つ。その喧騒の中、落ち着いたたたずまいで穏やかな笑みを絶やさない選手がいる。パラテコンドーの田中光哉だ。


“障害者”と思わずスポーツしていた

「ぼくはもともとパラスポーツの選手だったわけではないんです。大学卒業後は東京都障害者スポーツ協会に就職しました。配属先はスポーツ支援課で、テニスや水泳、卓球などといった障害者スポーツの支援業務に携わっていました」。パラテコンドーを始めたのは、24歳のときだった。「東京パラリンピックでテコンドーが正式種目になり、選手発掘の一環で体験会に参加させてもらったのがきっかけです」

ただしスポーツにはずっと親しんできた。「両親と兄2人が剣道をやっていた影響で、幼稚園から剣道を始めました。5年生までやってましたね。小学4年生で見たワールドカップに興奮し、サッカーも始めて夢中になりました」。先天性の両上肢欠損障害をもつが、ずっと健常者と一緒にプレーしてきた。「だから、自分は障害者だけど障害者じゃない、というような認識を当時はもっていました。小中高と一般校に通い、障害のある人との関わりが少なかったためかもしれません」。障害者スポーツをするとか、ましてやパラリンピックを目指すという発想はなかったのだ。

留学が“ラフに存在する心地よさ”を教えてくれた

大学2年のとき、交換留学でオーストラリアへ1年間留学した。このとき障害者に関する認識が変わったという。「みんな自然に接してくれたんです。ぼくの手を見てニコッって笑ってくれたり、手を見た上でまた目を見て、自然と挨拶をしてくれたりとか」。過ごしやすく、居心地のよさを感じた。「足のない人が、車いすでなくてスケボーに乗っていたり。ああ、これくらいラフで街にいていいんだ、ぼくも手を出してていいんだ、と気持ちが楽になりました」。

この留学を機に障害者スポーツに興味を持つようになった。「折しも4年後には東京パラリンピック。関わりたいという思いが強く『人生に1回の日本開催のチャンスに、まずは飛び込もう』と思って就職したんです」

スポーツの力で“障害のイメージ”を超える!

障害者スポーツに関わり、そして自身でパラテコンドーを始めてわかったことがあるという。「障害とは、周りは障害っていうけれど、本人にとっては障害とだけでは言い表せない“何か”なんです。“乗り越える”ものではなく“つき合う”ものだったんです」。周りが抱いているイメージの結集が障害なら、スポーツでそのイメージを超えられる可能性を表現できると気づいた。「パラリンピックはそれを表現する大舞台だと思いました」

「テコンドーの魅力は華麗な足技とか言われますが、パラテコンドーはオリ競技と違って頭部への上段蹴りがないんですよ。だから胴体を蹴りまくるんです。足のぶつけ合い。やらないとやられる。格闘技ですね。怖いんですけど、その怖さと緊張感がすごく楽しかったですね。のめりこみました」


東京パラ後に知った、武道としてのテコンドーの魅力

そして着実に力をつけ、東京パラリンピック初出場を果たした。結果は61kg級9位の成績だった。「もう全然足の感覚もないぐらいフワフワした中でやってました。勝ちたいという気持ちが強すぎて、自分のスタイルが崩れました…」

その後、佐賀市の「Hama House」に移籍し、指導や競技サポートを受ける様になった。「Hama House」は、日本テコンドー界に濱田三兄弟ありと言われる、全日本選手権10回優勝の長男・濱田康弘が代表を務め、五輪3大会に出場している真由氏(2022年に引退)、三兄弟の一番下にあたる一誓氏がコーチを務める。「これまでの韓国式のパワーとスピードを重視したものから、独特のスピード感と間合いを取り入れられました」。2年かけてスタイルを大きく変えたという。

「ああ、テコンドーって、まだまだこんなにいろんなやり方で強くなれるんだな。」と、奥深さを感じた。「とてもパリまでの半年間で習得できるものではない。やっぱり武道はすごい。どこまでも追求できる競技なんだなって気づいたのはここ数年ですね。そこからまた面白くて」。魅力を再認識した、次のフェーズの始まりだった。


佐賀に移った理由はもう1つある。九州大学大学院に通うためだ。「いま修士2年生です。『健常者スポーツをやっていた先天性身体障害者がパラスポーツに関わるときの心理的な変化』をテーマに学んでいます」。自身が障害を受け入れられずに悩んだ経験を、今後パラスポーツを広めるのに役立てたいという。

パリは追求する“テコンドー道”の発表の場

「テコンドーは、剣道と同じく“道”です。追求し続ければどこまでも成長できます」。練習仲間のオリンピアンのリラックスした姿勢や考え方にも触発された。「東京のときと比べ、自分のテコンドーに真剣に向き合うようになっています。勝つことだけが重要ではありません。まだまだ自分は、できないことができるようになって楽しいという段階にいます。パリパラは、ここまでやれた、ここまで進んだということを、仲間たちと発表する場にしたいですね」

実際、リラックスした方が結果がいいことも多いという。「結果に固執せず、お祭りに参加して暴れる感覚で、自分らしく戦います」。これからも文武両道に励み、自分独自のテコンドーの道を切り開いていくことだろう。

【田中光哉】

たなか みつや●1992年7月22日生まれ、福岡県久留米市出身。先天性の両上肢欠損障害。小学校から大学までサッカーを続ける。沖縄県の名桜大学在学時に障害者スポーツに興味を持つ。卒業後は東京都障害者スポーツ協会に就職。九州大学大学院在学中。2017年からテコンドー競技に本格的に取り組む。2021年東京パラリンピックは61kg級9位。2022年アジアパラテコンドー選手権は58kg級で優勝。2023年杭州アジアパラリンピック競技大会は58kg級で銀メダル。電通デジタルに所属。

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【越智貴雄】

おち たかお●1979年、大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。2000年からパラスポーツ取材に携わり、これまで夏・冬、11度のパラリンピックを撮影。2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を設立。競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆を行う。写真集出版、毎日新聞の連載コラム執筆に加え、義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども開催。ほかテレビ・ラジオへの出演歴多数。写真を軸にパラスポーツと社会を「近づける」活動を展開中。