パリ五輪に向けたウェブ連載「Messages for Paris」(毎週火曜日更新)の第14回は、バスケットボール女子日本代表で21年東京五輪銀メダルを獲得し、男子日本代表では48年ぶりに自力五輪へと導いたトム・ホーバス監督(57)に焦点…

 パリ五輪に向けたウェブ連載「Messages for Paris」(毎週火曜日更新)の第14回は、バスケットボール女子日本代表で21年東京五輪銀メダルを獲得し、男子日本代表では48年ぶりに自力五輪へと導いたトム・ホーバス監督(57)に焦点を当てる。女子のJOMO、JX(現・ENEOS)、女子日本代表スタッフとして長年「タッグ」を組んだ内海知秀氏(65)が取材に応じ、“名将”誕生を語った。(取材・構成、小林 玲花)

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 JOMO、JXを11シーズン率い、8度のリーグ制覇、皇后杯7度優勝をなし遂げ、「黄金期」を築き上げた内海氏が、ホーバス氏と初めて会ったのは2009年の米国だった。

 当時、チームには183センチの間宮佑圭が在籍、そして193センチの渡嘉敷来夢が加入予定だった。日本の未来を担う運動能力の高いビッグマンをどう育てていくかが最重要テーマで、新たなコーチ候補としてリストアップされた人物こそがホーバス氏だった。

 「トムはそれまでトップチームの指導経験こそなかったが、自身はNBAも経験し、日本リーグでも得点王を取っていた。彼が持つ実績、知識はすばらしいもの。彼女たちに伝えてくれることは、とても良いと思った」。

 こうして米国に渡り、ホーバス氏と会うことになった。

 2001年に日本の東芝で現役引退したホーバス氏は当時、米国で25人ほどが勤務するIT会社の副社長として働いていた。日本人の妻がおり、2人の父親でもあった。

 「社内でのポジションのこともあったし、『大丈夫かな?』と思ったけど、彼はすぐに『興味はある。バスケの指導に関わりたい』と言ってくれた。少しバスケットに未練があるようにも思えたような記憶がある」。

 2010年、ホーバス氏はJOMOのコーチとして再来日。IT会社勤務から給料は半分になったが、42歳でもう一度夢を追う大きな決断を下した。後に本人はこの判断を「すごいギャンブル。でも良かった」と語っている。JOMO・内海監督の下で、伝説への第一歩を踏み出した。

 ホーバス氏はJOMOで主にビッグマンの指導を担当した。

 「トムが来て、レベルの高い技術、体の使い方や強さなど、まずは自分の持っているものを彼女たちに見せて教えてくれた。あと彼はシュートもうまいので、シュートも」。

 指導力は確かなもので、それは選手たちの言動にも現れ始めた。

 「『教えてください』『昼休みいいですか?』と、選手たちから声をかけていたと思う。すごくいい関係性が築けていたし、間違いなく彼女たちの力になったと思う」。

 2016年リオ五輪に向け、女子日本代表を率いていた内海氏はコーチに呼んだ。

 「彼に『どうしたらいいと思う?』と聞いたこともあった。トムは『これもあるし、こういうのもある』『こういう守り方、攻め方もある』と多くの提案をくれた。WNBAチームともつないでくれて、日本はより世界を知れた。彼は勉強熱心で研究熱心。連日夜遅くまで、おそらくいろいろやっていたと思う。日本のプラスとなったし、すごくトムには助けられた」。

 2人が目指すバスケは一致していた。「日本は世界より大きい選手は出てこない」。体格差を埋めるべく磨き上げたものこそが、後の東京五輪銀メダルにもつながったスピードと外角のシュート力。リオ五輪では準々決勝で女王・米国に敗れたが、確かに戦えた。自信を深め、そして体格で劣る日本が世界と勝負できると証明した。

 2017年1月、内海氏はホーバス氏に女子日本代表監督をバトンタッチした。新指揮官はその場で「次は金メダル」と宣言した。「驚いた。俺からすると『メダルでいいよ』って言いたかったけど・・・(笑い)」。日本女子を長年率い、五輪の厳しさ、壁を幾度も経験してきた内海氏の本音だった。だが、こうも思った。

 「トムがそこまで言うことは、本当にそう感じたんだと思う」。

 長年ともにしたからこそ分かる。「トムは『それは絶対できない』ということは言わない。一つ目標を言えば、『これは絶対できるから』と誰よりも信じている」。リオ五輪を終え、内海氏が抱いた思いは「日本はもっと上にいける」。直接、言葉は交わさずとも「きっとトムもそう思っていたと思う」と振り返る。

 21年東京五輪、ホーバス監督は日本女子を史上初の銀メダルに導いた。チームを、選手を、自分を信じ、最後まで日本のスタイルを貫いた。

 「『私たちはやれるんだ』ってことを信じて、(目標に)『たどり着くために努力していきなさい』と教えていったと思う。トムの力もすごいし、引き継いでいった選手たちも立派」(内海氏)。

 バスケ界だけでなく、日本中に感動を与えた快進撃だった。

 ホーバス氏はその後、男子日本代表監督に就任。23年W杯では初めて欧州勢を破り、歴代最多3勝を挙げて有言実行のパリ切符をつかんだ。海の向こうからやって来た名将に導かれ、日本のバスケ史は大きく変わった。

 そして内海氏も「私にとってもトムと出会えたことは良かった」と感謝する。ホーバス氏は誰よりも、日本の可能性を信じ戦い続けている。

 ◆トム・ホーバス 1967年1月31日、米コロラド州出身。57歳。ペンシルべニア州立大卒。90年にトヨタ自動車に入団。94年にNBAのアトランタ・ホークスでプレー。その後、再びトヨタ自動車に復帰し、2000年に東芝に移籍。1年プレーして現役を引退。16年に女子日本代表アシスタントコーチ、17年に女子代表HCに就任し、21年東京五輪で銀メダル獲得。同年から男子代表HCとなり、23年W杯でパリ五輪出場権獲得。妻は日本人。

 ◆内海 知秀(うつみ・ともひで)1958年12月7日、青森県生まれ。65歳。秋田・能代工高、日体大を経て日本鉱業(当時)入り。日本代表として83年ロサンゼルス五輪予選、87年ソウル五輪予選などに出場。女子日本代表HCで2004年アテネ五輪10位、16年リオ五輪8強入り。女子Wリーグでは2001~12年にJOMO、JX(現・ENEOS)、20~24年に日立ハイテクでHC。Bリーグでも18~20年に北海道でHCを務めた。