ラグビー元日本代表・田中史朗インタビュー<前編②>  常に世界に挑戦し続けてきた偉大なスクラムハーフ、田中史朗が現役生活を終えてそのラグビーキャリアを振り返るロングインタビュー。日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなり、2015年に大会初…

ラグビー元日本代表・田中史朗インタビュー<前編②> 

 常に世界に挑戦し続けてきた偉大なスクラムハーフ、田中史朗が現役生活を終えてそのラグビーキャリアを振り返るロングインタビュー。日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなり、2015年に大会初制覇を成し遂げた田中は、さらに日本ラグビーの歴史を塗り替えていく。

 今回はその輝かしい現役生活の後半にスポットを当てる。


ラストマッチとなったリコーブラックラムズ戦の田中史朗

 photo by Tanimoto Yuuri

【南アフリカのやり方を熟知していた】

──2015年に初制覇したスーパーラグビーでの経験、成長は、その直後に開幕したラグビーW杯を戦ううえでも大きなプラスをもたらしたのではないでしょうか?

 それまでは自分から何かモノを言ったり強めに注意したり、ということはしてきませんでしたが、その経験を経て僕が発言できる状況になったことはよかったと思います。スーパーラグビープレーヤーとしての誇りを持つようになりましたし、だからこそ日本代表に対してはそれ以上のレベルを求めないといけないと考え、いろいろな発言をさせてもらいました。

──スーパーラグビー優勝からラグビーW杯開幕まではわずか2カ月強でしたが、優勝候補だった南アフリカとの初戦にも動じることなく臨めたのではないでしょうか?

 南アフリカの選手とはスーパーラグビーで何度も対戦してきたので、たとえばアタックの場面では(南アフリカ側の)どこにスペースがあるかなどを熟知していました。ですから、南アフリカに恐れをなすことはありませんでした。

──そして迎えたW杯初戦の南アフリカ戦、日本代表は後半40分過ぎの劇的な逆転トライで歴史的勝利を収めました。ラグビー史のみならずスポーツ史に残るこの一戦で、田中さんはマン・オブ・ザ・マッチ(試合の最優秀選手)に選ばれました。

 僕というより、チーム全体として非常によかったですね。特に小野晃征選手(現・東京サントリーサンゴリアス アシスタントコーチ)、立川理道選手(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)、リーチ・マイケル選手(東芝ブレイブルーパス東京)、この3人のパフォーマンスは秀逸でした。現地のお客さんも僕たちを応援してくれている雰囲気を感じました。試合後は日本のファンのみなさん、友だち、ニュージーランド人、いろいろな方がメッセージをくれて「ラグビーをやっていてよかったな」と思いましたね。

【選手たちの意識が大きく変わった】

──あの一戦がのちに与えた影響は絶大でした。

 若手の成長につながったと感じています。当時大学生だった(のちに日本代表として2019年、2023年大会に連続出場する)松田力也選手(前・埼玉パナソニックワイルドナイツ)も姫野和樹選手(現・トヨタヴェルブリッツ)も帝京大学の寮で試合を見ていたそうで、鳥肌が立って寝られなくなったと言っていました。

 彼らが「自分たちもやらないといけない」と奮起して成長し、今は日本代表として活躍しています。そういう選手がもっともっと増えて、さらに日本代表の歴史を作っていってほしいです。

──2016年はハイランダーズでもう1年プレーし、2017年からは日本のスーパーラグビーチームであるサンウルブズで活躍されました。日本のラグビーがステップアップしていった感触はありました?

 2019年W杯日本大会までの4年間は、選手たちの意識が大きく変わりました。若手選手の成長ぶりも目を見張るものがありましたし、だからこそ日本大会でも結果を残せたのではないかと思っています。

──その2019年のW杯日本大会、それまでほとんどの試合で先発してきた田中さんは全試合リザーブから途中出場となりましたが、優勝候補のアイルランドとの一戦(○19-12)では逆転トライにつながるアタックの起点になるなど勝利に貢献しました。

 大会開幕戦のロシア戦(○30-10)は緊張からミスが多発してしまいましたが、2戦目のアイルランド戦はシンプルに楽しかったです。前半、みんなが相手を疲れさせてくれて、僕たちはずっと動き続けられていたので、純粋にラグビーを楽しめました。

──初の決勝トーナメント進出がかかった4戦目のスコットランド戦(○28-21)はいかがでしたか?

 前半でほとんど決まりましたね(前半終了時点で21-7。後半3分時点で28-7)。前半だけ見れば日本のラグビー史上でもトップクラスの試合運びだったと思います。ただ、後半は気が抜けたような試合になってしまい、僕自身のパフォーマンスも全くよくなかったので、今後も強い相手と戦う時にあのような試合をしてしまうとさらに上のレベルにはいけないな、という反省が残りました。

──日本代表のジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ、トニー・ブラウン アタックコーチ(いずれも当時)はハイランダーズでもコーチとしてコンビを組んでいました。

 ずっと一緒にやってきた彼らが考えていること、やりたいラグビーは基本的には理解していました。そこにさらに、ジェイミーが試合前に熱い言葉をかけてくれたので、みんなの士気が上がったのではないかと思います。

【代表はもう無理だな】

──日本代表はプール戦全勝で1位通過を決め、初の決勝トーナメント進出、8強入りを成し遂げました。

 大会を終えた当時、正直に言うと「代表はもう無理だな」と思っていました。体が動かなくなってきた感覚があったのと、いいスクラムハーフがいっぱいいたので、仮に代表に呼ばれたとしても中途半端なパフォーマンスでは行けないなと思っていました。

──ご自身として一番いいコンディションで臨めたと感じたW杯はどの大会でしたか?

 体の面では2011年大会ですね。ただ、メンタルの部分も合わせれば、経験も積み重ねていた2015年大会が一番よかったと思います。

──2023年のフランス大会は日本代表には選出されませんでしたが、テレビの解説などの関係で渡仏され、現地で試合をご覧になりました。

 残念な大会でした(日本代表は2勝2敗でプール戦敗退)。練習では激しいコンタクトをしていましたが、全試合ラスト20分のパフォーマンスが落ちてしまいました。イングランド戦(●12-34)やアルゼンチン戦(●27-39)は特にそうですね。コンタクトも大事なのですが、やはり日本代表は80分間やりきるフィットネスを継続して強化しないといけない、とあらためて感じました。

──今後も「日本代表はこうあるべき」という思い、考えを発信していただきたいです。

 だんだんオッサンになっていくので(笑)、どこまで正しいことが言い続けられるかはわかりませんが、自分たちの代の経験をもとに、たとえば「メンタル面ではもっとこうしてほしい」といった話は今後もしていきたいと思っています。

■Profile
田中史朗(たなか・ふみあき)
1985年1月3日生まれ、京都府京都市出身。日本代表75キャップ。小4 でラグビーと出合い、中学で本格的に競技を始める。伏見工業(現・京都工学院高校)でスクラムハーフとして成長し、1年時に花園優勝、3年時は花園ベスト4。京都産業大学時代にはニュージーランド留学を経験するなどさらに成長し、2007年に三洋電機(のちのパナソニック。現・埼玉ワイルドナイツ)でトップリーグ(現・リーグワン)デビュー。翌2008年に日本代表初選出。2013年、ニュージーランドのハイランダーズと契約し日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなり、3シーズン目の2015年は優勝メンバーに。ラグビーW杯は2011年大会から3大会連続出場。2015年大会で歴史的勝利を収めた南アフリカ戦でプレーヤー・オブ・ザ・マッチに。2019年の日本大会では日本代表初の決勝トーナメント進出に貢献した。リーグワン2023-24シーズン終了をもって現役を引退。