文武両道の裏側 第19回松本慎之介(東京大学野球部)前編(全2回) 東京大学に期待の新人左腕がいる。國學院久我山高で甲子園ベスト4に貢献し、浪人を経てこの春入学した松本慎之介だ。そんな彼の文武両道の裏側を探るべく、東大球場を訪ねてインタビュ…

文武両道の裏側 第19回
松本慎之介(東京大学野球部)前編(全2回)

 東京大学に期待の新人左腕がいる。國學院久我山高で甲子園ベスト4に貢献し、浪人を経てこの春入学した松本慎之介だ。そんな彼の文武両道の裏側を探るべく、東大球場を訪ねてインタビュー。前編では、子どもの頃からの野球と勉強の両立について聞いていこう。



國學院久我山高から東大へ進学した松本慎之介投手

* * *

【東大は自分にとっていい感じ】

ーー東京大理科二類に合格する前と入学したあとの東大のイメージは変わりましたか?

松本慎之介(以下、同) 入る前は正直、もっと暗い人が多いのかなってイメージだったんですけど、実際は社交的な人が多いです。もちろん、なかには自分のなかに世界がある人もいるんですけど。みんなすごく頭がよくて、どこかの分野に長けている人がすごく多いんで、話していて楽しいです。自分にとっていい感じの環境です。

ーーでは、東大の野球部に入部する前と入部してからのイメージの変化は?

 いや、野球部のイメージはそんなに変わらなかったかな。野球部にはアナリストがいて、球速であったり、ボールの回転数を計測する機械を使ったり、バッティングも科学的に考える選手がたくさんいます。そういうイメージは、入る前からありましたし、僕も好きです、そういう野球。

ーーちなみに、松本さんは1浪での東大合格になりますが、仮に1浪で東大に入れなかったら、2浪という選択肢もありましたか?

 いや、2浪はもう無理でしたね。1浪でどこかへ行こうかなと思っていました。早稲田大には受かっていたので、前期試験で東大に落ちたら、後期で北海道大を受けに行って、それで考えよう、と。けど、1浪で東大に受かってホッとしたっていうのがマジなところです。

ーーとはいえ、1浪をしたことで、ちょっと体がなまって、今、野球部の練習が体力的にきついということはあったりしますか?

 浪人している時は、週1回、ジムに行ってトレーニングはしていたんですが、もともと体力はあまりあるほうじゃなかったんで、ブランクは感じているところです。最近はだんだん慣れてきたんですけど、最初の頃は本当に筋肉痛がすごく出ました。やっぱり、六大学はレベルが高いので、しっかりついていけるようにしていきたいですね。

【対極的な両親が文武両道のカギ?】

ーー松本さんは昔から文武両道に憧れていた?

 やっぱりどっちもできるってカッコいいなとは思っていました。それに「文武両道」っていう言葉の響きも、なんか、好きなんです(笑)。それでちょっと憧れたっていうのはありますね。

ーー文武両道を東大で極められたら、いいですね。

 そうですね。僕としても楽しみです。

ーーところで、文武両道は松本家の教育方針も関係していると思いますか?

 僕の家は両親と姉との4人家族で、母のほうが熱いタイプで、父はあまり口出ししないタイプで、父には怒られたこともないんですよ。母が「ちゃんと勉強しなさい!」って言うのを、父が「まあまあまあ」って感じでいてくれて。そういう対極的なところが、今振り返ると勉強も運動も頑張れた理由だったのかもしれないです。

ーー松本さんが野球に興味を持ち始めたのは、いつ頃になりますか?

 小学3年生の時、2013年の第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)をテレビで見て、野球にちょっと興味を持ちました。その時、近くの公園で僕の友だちが野球をしていて誘われたのがきっかけになって少年野球チームに入りました。

ーー最初から、ポジションはピッチャーだったんですか?

 左投げだったので、「ピッチャーやってみない?」って感じでしたね。最初の頃はファーストとピッチャーをやってました。

ーーそこから勉強と野球の両立もスタートするのかなと思いますが、小学生時代の得意科目と不得意科目も聞かせてもらえますか?

 算数が得意で、国語が苦手だったと思います。いや、得意とか苦手とかっていうより、算数はなんかできたって感じで、国語はなんかできないっていう、そんな軽い感じだったんじゃなかったのかなと。

【中学時代は勉強に飽きて野球も勝てず】

ーーそして、松本さんは中学受験に挑みます。いつ頃から受験勉強を始めましたか?

 塾に行き始めたのは小学6年ですね。小5までは「Z会」とか、家でできる通信添削で勉強をしていたんですが、小6になって受験をしてみたいと思い、(東京・)武蔵境にある「スタジアムウエスト」という塾に通うことにしたんです。

ーーその頃から、勉強で東大に、野球で甲子園に、両方とも行きたいと?

 昔から強い意志があったわけではないですね。本気で東大を目指したのは、高校3年の夏の大会で野球が終わってから。それよりも甲子園は小学校で野球を始めた頃にはもう、一番大きな目標で、甲子園で投げたいなってずっと思っていました。東大と甲子園のどちらかって言ったら、まずは甲子園でした。

ーーそうなると、開成・麻布・武蔵の御三家のような学校よりも、勉強も野球も両方ともできるところが、松本さんにとっての中学受験のポイントになったのでしょうか?

 そうですね。僕はそこまで勉強はできなかったし、当時はなんか大学受験はしたくないと思って、早実(早稲田実業中学)を第1志望で受験したんですけどうまくいかなくて......。そこで、勉強と野球の両立をある程度できるっていうところから、國學院久我山中学に入学したんです。

ーー國學院久我山中学での勉強と野球の両立はどんな感じでしたか?

 中学は月曜から金曜、そして土曜も午前中まで授業があって、学校が終わった土曜の午後だけ(野球の)練習に行く感じでした。だから、中学1年の時はちゃんと勉強していて、成績がよかったんですけど、中2からちょっと飽きてきちゃって(笑)。

 どんどん難しくなっていって、勉強するのがイヤになっちゃって、中3の成績はあまりよくなかったです。たぶん、クラスの真ん中より下、いや、下から数えたほうが早かったような......。

ーーその分、野球のほうを頑張っていたってことでしょうか?

 中学の野球は、そんなに勝てなかったので、あまり楽しくなかったんですが、高校で活躍したいというのはあったんで、高校入ったら頑張ろうかなみたいな感じはありました。

【絶対に譲らない毎日1時間半の勉強】

ーー國學院久我山高に入ってからの勉強と野球について、さらに掘り下げていければと思います。松本さん流の両立方法があれば教えてもらえたらと!

 高校の野球部は中学とは違って毎日練習がありましたが、練習が終わったあとの短い時間で勉強するのが、本当に大変でしたね。

ーー具体的に、高校時代はどんな一日を過ごしていたんですか?

 えっと、学校に行って部活をして、帰ってくるのが午後8時過ぎくらいにどうしてもなっちゃいました。そこからお風呂に入って、食事をして夜9時頃。そして、9時から10時半までは絶対に勉強の時間というのは、自分のなかで決めていました。

 たった1時間半なんですけど、その日の授業でやったこととかを復習するようにしてから、寝るようにしました。とにかく、その1時間半はどんなに疲れていてもやるって、絶対に譲らないようにしてましたね。

ーーということは、高校の成績は中学の時よりもいい感じでしたか?

 勉強は、中学の一時期よりは悪くなかったですけど、真ん中ぐらいをずっとキープしてた感じでした。時間がなかったんで、あんまり勉強できなかったのもあったけど、なんとかついていっていました。

ーー勉強と比べて、高校での野球のほうはどんな感じだったんですか?

 勉強と野球とを比べると、成長速度でいうと野球のほうが早かったですね。

ーー成長を一番実感できたのは、いつになりますか?

 高校1年の冬になりますね。ピッチャーなので、とにかく自分で考えて、どうにかしていかないとと思って、筋トレをたくさんして、体重を10キロぐらい増やしたんです。そうしたら、ちょっと球が速くなって、コントロールもよくなって、試合に出られるようになっていったんですよ。それでも、あんまりスピードが上がらないっていうのがあって......。

ーーそうなると、コントロールの次は、スピードでの成長があるんですね?

 高2の秋の大会は、コントロールで頑張っていた感じで、スピードは出てなかったけど、なんとか抑えられてはいたんですけど。あんまり楽しくなかったというか、苦しかったかなと。そして、秋の大会のあとの明治神宮大会があって、初戦で花巻東高校と戦ったんです。

ーーあの大谷翔平選手の母校の花巻東ですね!

 その時に、フォアボールを出したり、打ち込まれたりして、このままじゃ通用しないなとすごく感じたんです。そこから、今度は投げ方を変えていこうと、高2の冬に左軸足の押し込みとか、うまく使えてなかった胸の柔軟性を上げたり、チューブを使って連動性を高めたり、いろいろやってみたんです。そうしたら、すぐに球速が上がって、どんどん楽しくなってきて、その時も自分が成長したなと感じました。

後編<センバツで好投、E判定の東大に宅浪で合格...野球と勉強をともにレベルアップしていく松本慎之介のスタイル>を読む

【プロフィール】
松本慎之介 まつもと・しんのすけ 
2005年、東京・武蔵野市生まれ。小学3年の時に桜堤ユニバースで野球を始め、國學院久我山中時代は田無シニアでプレー。國學院久我山高では3年春に甲子園で登板し、ベスト4に貢献。1浪を経て東京大理科二類に合格し、2024年に入学。同年5月には東京六大学野球のリーグ戦デビューを果たし、1回を無安打無失点に抑えた。左投げ左打ち。