「佐々木麟太郎の渡米のキーマン」友永順平インタビュー前編(全2回)【すごい選手がいる...大学から入った電話】 今年9月に名門のアメリカ・スタンフォード大学に入学予定の佐々木麟太郎は3月に海を渡り、すでに大学のチームに合流している。 日本球…

「佐々木麟太郎の渡米のキーマン」
友永順平インタビュー前編(全2回)

【すごい選手がいる...大学から入った電話】

 今年9月に名門のアメリカ・スタンフォード大学に入学予定の佐々木麟太郎は3月に海を渡り、すでに大学のチームに合流している。

 日本球界のドラフト上位候補選手でありながら、野球選手として、またひとりの人間としての挑戦を決意した麟太郎。その挑戦を強力にサポートしたのがロサンゼルス在住の友永順平氏だ。


佐々木麟太郎(左)のアメリカ進学をサポートした友永順平氏(右)

 写真提供/友永氏

 友永氏は1998年からボランティアで日米大学野球の通訳として両チームの支援に注力していて、大学野球界で人望が厚い。また、ドジャース元オーナーであるピーター・オマリー氏や、オマリー氏の補佐兼国際担当として活躍した今は亡きアイク生原氏との親交が深かった。

 友永氏と麟太郎の出会いは、2023年10月。麟太郎がドラフト志望届を提出せず、アメリカの大学に進学を希望していることが正式に表明されると、ニュースはたちまち国内外を駆け巡った。

 そして、息つく間もなく、日米大学野球に精通する友永氏のもとに連絡が入った。最初はヴァンダービルト大から電話が入り、その後、スタンフォード大の投手コーチであるトーマス・イーガー氏からも連絡があったという。

 イーガー氏は、昨年の日米大学野球でアメリカチームの投手コーチであったが、友永氏は日本チームのスタッフ兼通訳として入っていたため、面識がある程度だったそうだ。

「通常、アメリカの大学野球の監督は現地の高校生で有望な選手がいないかを見ています。また、麟太郎君の父である花巻東高の佐々木洋監督もアメリカのメディアに対して情報を発信したわけではないため、アメリカ側が麟太郎君の大学進学希望の情報を知っていることに最初は不思議でした」と、友永氏は話す。

 では、どのようにして、アメリカの大学は情報をつかんだのか。

「メジャーリーグの球団スカウトは、有望な人材を発掘するためにアメリカの野球強豪の高校や大学に頻繁に出入りしています。ヴァンダービルト大の監督は、大学に出入りしている球団スカウトから麟太郎君の情報を聞いたそうです。『大谷翔平の母校で、あの大谷よりもホームランを打っているすごい選手がアメリカの大学進学を希望している』と。なるほど! と思いました」(友永氏)

【3時間の初面会で感じた強い志】

 一般的には、日本でドラフト上位指名候補の高校生は、プロ入りを選択することがほとんど。

「大リーグの各球団が動くくらいの実力を持った"金の卵"である日本人選手に、アメリカの大学がアプローチするのは初めてのケース。これまでこんなことはありませんでした」(友永氏)

 ヴァンダービルト大から連絡を受けた友永氏は、同級生である早稲田大野球部の小宮山悟監督に佐々木監督を紹介してもらった。その後、友永氏、佐々木監督、麟太郎の3人でzoomの初顔合わせを行なったという。

「麟太郎君の第一印象は、とても純粋で、大谷翔平選手を10年戻したようなしっかりとした青年。『誰もやったことのないことに挑戦したい』という気持ちも大谷選手に似ているなと思いました」(友永氏)

 これまで多くの若手有望選手をサポートしてきて友永氏は、「人間としても尊敬できる選手が野球人としても進化していく」と実感している。

 友永氏は、日本に本社を置くカー用品メーカーのアメリカ法人社長という本業がある。そのため、ボランティアとしてアドバイザーを引き受けるからには、生半可な状態でのサポートは難しい。

「まずはご両親に麟太郎君を任せてもらうにあたって信頼してもらうこと、そして麟太郎君のアメリカ行きへの思いをしっかりと確認したうえで、アドバイザーを引き受けるかを決める必要がありました」(友永氏)

 3時間にわたった長いzoomミーティング。「野球を終えたあとの人生のほうがはるかに長い。基盤をつくるにはアメリカの大学で学ぶほうが自分にとってプラスになると思った」。そんな麟太郎の言葉に、将来を見据えた強い志を友永氏は感じたという。

「彼の夢の実現に向けて、一番いい大学進学の選択ができるようにサポートしたいという気持ちになりました」(友永氏)

【上院議員も出迎え...異例の接待】

 麟太郎にはじつは、28校もの大学からオファーがあった。いずれもフルスカラーシップ(学費全額免除)のオファーだったという。さらに大学からだけではなく、メジャーリーグの球団からのオファーも。

 しかし、麟太郎は軸をぶらすことなく、友永氏のアドバイスを受けながら、勉強と野球の両方の夢が叶うように進学先を選んでいった。

 最初は5校に絞った。それが、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)、スタンフォード大学、デューク大学、ヴァンダービルト大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)である。いずれも、全米大学体育協会(NCAA)の最高レベルカテゴリー「ディビジョンⅠ」に所属する大学だ。

「5校はどの大学の野球部もレベルが高く、アカデミックも全米でトップ。どの大学に行ってもあなたの人生は間違いない」と、友永氏は麟太郎に伝えたという。最終的には当然、本人が進学先を決めなくてはいけない。

 そこで、麟太郎はヴァンダービルト大学、UCLA、スタンフォード大学、UCバークレーの4大学を実際に訪問。有力候補選手が大学から招待を受ける形で行なわれる「オフィシャルビジット(公式訪問)」と呼ばれるリクルートプロセスを活用した。

「どの大学に行けば野球選手としての力を伸ばしてもらえるか、英語にどうしても不安があるため学校のサポート体制がどのようになっているのか、訪問するなかでこのふたつを中心に各大学で話を聞きました。どの大学も麟太郎君に対してすごい接待でした。ほかの部員たちも『こんなビジット(訪問)は見たことがない』と言うほど。各大学、かなり力が入っていました」(友永氏)

 ビジットは普通、野球部の練習や施設を見学して半日で終えるのが一般的であるそうだが、麟太郎の場合は前泊から始まり、空港までの送迎、朝食から昼食、夕食まで監督が入り、大学からの最大限のアピールがあった。

 驚くことに、最初に訪問したヴァンダービルト大学では、ウィリアム・ハガディ上院議員(元駐日大使)や大学の総長や学長、元阪神タイガースのマット・マートンも出迎えてくれて、レッドカーペット状態だった。

【将来性のあるスタンフォード大を選択】

 次に訪問したUCLAは、ロサンゼルスにキャンパスがある。大谷翔平が花巻東で野球していた時に麟太郎がバットボーイをしていたこともあり、大谷の存在もあって地理的にも気候的にも一番有利だった。ただ、監督がピッチャー出身だったことが気になる点だったようだ。

 スタンフォード大学は、「東のハーバード、西のスタンフォード」と称される世界屈指の名門大学。学業面では言うまでもない。

 野球では今年は選手の入れ替えで苦労しているそうだが、現在は1年生が多いため、来年以降、力が増すと期待される。また、過去5年間でカレッジ・ワールドシリーズと呼ばれる全米選手権に3度出場していて、野球に多大な力を入れている点を評価した。

 UCバークレーはパワーヒッターを育てるのがうまく、最後まで麟太郎本人が推していたという。

「麟太郎君とご家族にとって、大学のよし悪しを判断することが一番難しい点であることから、候補大学を絞るところまでアドバイスをしました」(友永氏)

 その後、本人が監督やコーチと直接会って、フィーリングを確認することが大事になっていったという。この4大学どこに決めても間違いはない。最終的に家族会議でスタンフォード大行きを決めたのだ。

後編<佐々木麟太郎にスタンフォード大が超本気...学費全額免除に入学前チーム合流の特別待遇「チームメイトからも一目置かれる存在」>を読む

【プロフィール】
友永順平 ともなが・じゅんぺい 
1967年、福岡県生まれ。早稲田大野球部では、同期に千葉ロッテマリーンズやニューヨーク・メッツで活躍した小宮山悟氏(現・早稲田大野球部監督)らがいる。早稲田大卒業後、USC(南カリフォルニア大)へ留学。その後、1998年から日米大学野球に携わり、全日本大学野球連盟とアメリカ連盟の間に入り大会の運営を担う。アメリカ開催の場合は日本チームにつき、日本開催の場合はアメリカチームにつき通訳を兼ねながら日米の多くのトップ選手のよき相談相手になっている。ロサンゼルス在住。