「いやぁ、本当にうれしいですね。トップのツアーでのベスト8は、誇れることだと思っています」 試合から約1時間が経った後も、彼の顔には勝利の瞬間の笑みが張りついているようだった。 マスターズ1000で日本人ふたり目のベスト8進出を果たした…

「いやぁ、本当にうれしいですね。トップのツアーでのベスト8は、誇れることだと思っています」

 試合から約1時間が経った後も、彼の顔には勝利の瞬間の笑みが張りついているようだった。



マスターズ1000で日本人ふたり目のベスト8進出を果たした杉田祐一

 シンシナティ・マスターズ3回戦で快勝し、掴み取ったベスト8の地位。現行の「ATPマスターズ1000」カテゴリーが導入された2009年以降、日本人選手がベスト8以上に勝ち進んだのは錦織圭に次いでふたり目の快挙である。前身の「チャンピオンシップ」シリーズ等を含めても、そこは松岡修造を含め3人しか辿り着いたことのない高みだ。

 思えば、今に連なる杉田祐一の躍進のロードは、1年前のこの大会から始まったと言えるだろう。

 昨年6月のウインブルドン予選での敗戦後、プロ10年目の27歳は「予選からでもATPツアーに挑む」と背水の陣に身を置き、北米の地方都市に足を運んだ。そして厳しい予選を勝ち上がると、本戦初戦では当時19歳の新鋭アレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)を熱戦の末に撃破。1日に2試合戦う厳しいスケジュールながら2回戦も突破し、3回戦ではミロシュ・ラオニッチ(カナダ)とフルセットの熱戦を演じてみせた。

 あれから1年――。「世界のトップ50プレーヤー」あるいは「ATPツアータイトルホルダー」として思い出の地に戻ってきた杉田は、「バルセロナ(・オープン)もそうですが、毎年いい雰囲気で入れる大会というのはありますね。この大会が、そのうちのひとつだと思います」と、快進撃の予感に声を弾ませていた。

その予感を現実に変え、シンシナティで「最高の8名」に至る道のりで得た、3つの勝利と1つの敗戦。それはいずれも必然の帰結であり、それぞれが異なるテーマを内包しながら、全体としてはひとつの趣(おもむき)深い物語を紡(つむ)ぎ出す。

 まず1回戦で立ちはだかったのは、地元アメリカのナンバー1にして世界16位のジャック・ソック。高速サーブと重いフォアのストロークを得意とする強打が自慢で、戦いの舞台には当然のようにセンターコートが用意された。

 その険しい一戦に、杉田は万全の準備をもって挑んでいた。

「観客が向こうにつくのは間違いないので、自分のプレーに集中し、隙を見つけて自分から攻撃できればと思っていた」の言葉どおり、いずれのセットでも先行されながら、巧みに相手を揺さぶっては綻(ほころ)びを見出した。特に勝利のカギとなったのが、高く跳ねるソックのセカンドサーブを早々に攻略したこと。「早い段階で、跳ねる前に打ち返すいいフィーリングを掴めた」ことで流れを呼び込み、7-5、6-4のスコアで快勝した。

 金星とも言える勝利を手にしたときは、往々にして次の試合が難しいとよく言われる。特に杉田は過去にも、「勝っても負けても淡々と次の試合に備えることが課題」と口にしてきた選手である。その意味でも、ランキングやプレースタイル的にも自身と似たジョアン・ソウザ(ポルトガル)と向かい合った2回戦は、ひとつの試金石でもあった。

 その一戦の重要性を、誰よりも理解していたのは杉田である。特にこの試合での彼は、「動きがフィットしない」もどかしさのなか、試合のなかで修正し、堅牢な守備を足がかりにジリジリと勝機を見出した。最終セットは序盤でブレークし、最後は相手の心を挫(くじ)いた末の逆転勝ち。その戦いをのちに杉田は「大きな勝利」だと振り返った。

 課題を乗り越えた先の3回戦では、「楽しい」戦いが待ってきた。相手はこの1年でランキングを急上昇させているカレン・ハチャノフ(ロシア)。細かい策を弄(ろう)することなく、自慢のフォアで勝つことを自らに課すかのような無垢なプレーで台頭してきた若者だ。

 その21歳と相対する杉田は、コート上で、笑っていた――。

「伸び盛りの若手と、こういう舞台で対戦できるのはなかなかないこと。彼もガンガン打ってきたので、それを何本でも返してやるぞと思いながら、本当に楽しくできました」

 しかも杉田は試合中盤で、相手が「すごく嫌がっている部分」を完全に「掴んだ」という。その弱点をつき、ハチャノフの武器を壊して得た勝利は6-7、6-3、6-3のスコア以上の完勝だった。

 しかし迎えた準々決勝で、杉田は最終的に同大会を制したグリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)に2-6、1-6で完敗を喫する。最大の敗因は、杉田のカウンターを封じるべく相手が多用したスライスに対応しきれなかったこと。ここまでの3試合、いずれも「自分のテニス」で勝ち上がってきた杉田には、「綺麗に(ラケットをボールに)当てたい」との思いがあった。その手のひらの心地よい記憶が、自分自身への過剰な「期待」となったようだ。

「もっと泥臭くいくべきだった」。のちに杉田は、そう省(かえり)みた。

 この「自分に期待しすぎた」が故(ゆえ)の敗戦は、杉田にある試合を思い起こさせたという。

 それは、今年5月のバルセロナ・オープン準々決勝のドミニク・ティエム(オーストリア)戦。このときも杉田は1-6、2-6のスコアで敗れていた。

 状況的にも、結果としても、シンシナティでの杉田の快進撃はバルセロナと酷似した形で終焉を迎えた。しかし、この敗戦が何にも増して大きいのは、ATPツアーのベスト8という高みで2度同じ経験をしたことで、それらは偶然ではないと確信できたことだろう。再現性を得たことで、原因と結果の因果関係が明らかになり、個々の事象は明確な課題となる。

「一気に行けるところまで行きたいという気持ちが強すぎた」。敗因を分析する杉田は、課題克服のカギを「このレベルをずっとキープすること」に見出す。そうすれば「落ちついて、いろんな方法も思いつける」ことへの手応えがあるからだ。

 いろんなものが見つかりつつある状況――。

 濃密な1週間を、そして今、身を置く状況を杉田はそう定義した。その「見つかりつつある」ものを手中に収めるための旅の最中に、今、彼はいる。