長かった78周のレースが終わり、ターコイズブルーの地中海に面したモンテカルロの街には、モナコ国歌が響き渡った。シャルル・ルクレール(フェラーリ)の母国初優勝に沸くモナコで、角田裕毅(RB)もまた勝者のような雰囲気を漂わせていた。 8位入賞…

 長かった78周のレースが終わり、ターコイズブルーの地中海に面したモンテカルロの街には、モナコ国歌が響き渡った。シャルル・ルクレール(フェラーリ)の母国初優勝に沸くモナコで、角田裕毅(RB)もまた勝者のような雰囲気を漂わせていた。

 8位入賞。中団グループの最上位を危なげなく掴み獲った。

 ずっとアレクサンダー・アルボン(ウイリアムズ)を秒差で抑え込んで走り続け、最終盤にプッシュして14.5秒も引き離してフィニッシュした。


角田裕毅が挑んだ3度目のモナコ

 photo by BOOZY

「すごく長いレースでしたし、タイヤをマネージメントしながら常に状況に合わせて、ライバルにピットストップのチャンスを与えない戦略をリスペクトして走っていました。最後の3周は全開でプッシュさせてもらって、ものすごく楽しみました。もちろん、欲はかきすぎないようにして、タイヤをいたわることも気にしながらの走行ではありましたけどね」

 今年のモナコは、極めて異例で特殊なレースになった。

 1周目にセルジオ・ペレス(レッドブル)とハースの2台による激しい事故が起き、レースは赤旗中断。この間にほぼ全車がタイヤを換えてタイヤ交換義務を消化し、残り77周を1セットのタイヤで最後まで走りきるという、実質ノンストップのレースになった。

 これは、モナコという特殊なサーキットだから起きたことだ。

 まず、タイヤへの負荷が小さく、タイヤの性能低下が極めて小さい。そして、絶対に抜けないコースレイアウト。3秒遅くても抜けないサーキットだからこそ、徹底的にタイヤをいたわって77周も保たせるという異例の戦略を採ることができた。

 これだけ遅いペースで走ることが許されるからこそ、タイヤマネージメント自体は簡単だったと、角田はこともなげに言う。

「実際、走りきるのは簡単でした。タイヤの心配は全然していなくて、どちらかというと戦略的にけっこうペースを抑えて走らなきゃいけなくて。セーフティカーが入ったときにピットインされないように、うしろを抑えておかなきゃいけなかったので、今までとまったく違うレースで、タイヤとの相談よりもそっちのペースコントロールのほうが大変でしたね」

【本来の実力とはまったく違う次元の走り】

 本来のペースで走れば、前のルイス・ハミルトン(メルセデスAMG)と変わらない速さで走れてしまう。しかし、そうすると後続がついてこられず、後方には大きなギャップができてしまう。

 20秒以上のギャップがあれば、後続は自由にピットインができる。するとフレッシュなタイヤで一気に追い着いて抜かれてしまうリスクがある。だから、わざとゆっくり走り、後続勢を引きつけてトラフィックを作り、ライバルがピットインできないような状況を作り出す必要があったのだ。


モナコの走りでさらに評価を上げた角田裕毅

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 角田自身が前と同じペースで走っていると、このアンダーカットと呼ばれるピットストップを許してしまううえ、それに対してペースを上げて対抗する余地がなくなってしまう。そういう意味でも、ペースをコントロールして後方を引きつけるのと同時に、前に空間を持っておくことが重要だというわけだ。

 もっと厄介なのがSC(セーフティカー)やVSC(バーチャルセーフティカー)で、前を走る角田はピットインすると、後続勢がステイアウトしてひとまず前に出るという戦略を採られてしまう。逆にピットインしなければ、後続勢がピットインしてフレッシュなタイヤに履き替え、背後につかれてしまう。それをさせないために、SCやVSCでピットインする際に必要な約12秒のギャップも相手に与えることはできなかった。

 つまり、相手の後方12秒以内には、常に後続車両がいる状況を維持し続ける必要があったのだ。だから角田は「あと0.5秒遅いペースで走ってくれ」「1ステップだけプッシュしてもいいぞ」といったエンジニアからの指示を受けながら、本来の実力とはまったく違う次元の走りをし続けていたというわけだ。

 78周のレースを通してルクレールがマクラーレン勢に対してやっていたのも同じことで、中団トップの角田も同じことをやっていた。彼らは12秒後方と20秒後方を見ながら、ペースをコントロールしていた。それが今年のモナコGPだった。

【すべて完璧にやりきった最高のレース】

「仮にセーフティカーが出ても後続勢がピットインできないように、ギャップをコントロールするためにペースを抑えることを何度もやりました。速く走ろうと思えば走れる速さがあることはわかっていたので、ドライバーとしてはフラストレーションを感じましたけど。

 でも、それはレース前に話し合っていたことで、こういう展開になることもある程度はわかっていました。貪欲になりすぎず、きちんとタイヤをいたわって、それがうまくやれたのには満足しています」

 1分21秒台から始まって、60周目までは1分19〜20秒台でコントロール。ここから一気に17秒台にペースを上げ、ラスト5周で「もう全開で走っていいぞ」と言われると1分14秒台の速さを見せた。いかに角田がペースを抑えて走っていたかがわかる。

 ずっと角田の背後1秒以内を走っていたアルボンは1分17秒台がやっとで、角田のプッシュについてくることができなかった。角田の完勝だった。

 上位に脱落者がいなかったため、角田は8位となった。しかし、それは8位という数字でしかなく、ドライバーとしてやれることをすべて完璧にやりきったという意味では、これ以上ない最高のレースだった。それは予選8位という、中団最上位の結果を出したことにも言えた。

「過去2年間ここ(モナコ)ではポイントが獲れませんでしたし、特に初年度はよくなかった(予選11位・決勝17位)ので、そこから毎年成長してこられたのはよかったなと思います」

 難攻不落のモナコは、すでに手なずけたと言っていい。このモナコでの走りが一流F1ドライバーとしての揺るぎない評価の対象となり、角田のさらなる未来を切り拓いてくれることだろう。