蹴球放浪家・後藤健生は、世界をめぐる。その「世界」にはもちろん、日本も含まれている。灯台下暗し、とも言う。日本には、まだまだ学ぶべきことが多く残っているのだ。U-23日本代表の試合前、「ダブルヘッダー」を試みた! ■全長627メートルの「…

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界をめぐる。その「世界」にはもちろん、日本も含まれている。灯台下暗し、とも言う。日本には、まだまだ学ぶべきことが多く残っているのだ。U-23日本代表の試合前、「ダブルヘッダー」を試みた!

■全長627メートルの「東洋一のつり橋」

 両岸に主塔を建設して、鋼鉄製のワイヤで橋桁を吊るす「吊り橋」という形式の橋でしたが、それまで日本は大きな吊り橋を建設したことがなかったので、難工事となりました。そして、全長627メートルの若戸大橋の完成は「東洋一のつり橋」と呼ばれて、当時は大きな話題となりました(国の重要文化財に指定されています)。

 その後、1973年には関門海峡をまたいで本州と九州を結ぶ関門橋(全長1068メートル)、さらに1998年には本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋(全長3911メートル)といった巨大な吊り橋が建設されたので、若戸大橋は「プロジェクトX」に取り上げられることもなく忘れ去られてしまいましたが、1960年代には少年雑誌などに再三取り上げられ、当時の小学生たちの幼い心に日本の技術力に対する誇りを植え付けたのです。

 日本がいよいよ高度経済成長を迎えようとしていた時期のことでした。

■橋を渡るのは諦めて「連絡船」で若松側へ

 だから、「せっかく北九州市に行くのだから、子ども心をときめかせていた若戸大橋を見に行こう」と思ったのです。小倉駅からJR鹿児島本線に乗って戸畑駅で下車。北口を出ると、道路の向こうに巨大な吊り橋の赤い橋脚が見えてきました。

 昔は歩道があったようなのですが、今は廃止されていますから、橋を渡るのは諦めて若戸渡船という連絡船で若松側まで行ってみることにします。市営の船で片道100円で乗船することができます。

 憧れの(?)若戸大橋を見上げながら、船は洞海湾を渡って若松側に向かいます。すると、若松側の岸壁にレトロな近代建築が建ち並んでいる様子が見えてきました。

 北九州のレトロな建築というと門司港が有名で、すっかり観光地化されていますが、若松の近代建築群は観光客が訪れることもなく静かにたたずんでいました。

 ビルのいくつかは現在でも会社の建物として機能していますが、旧古河鉱業若松ビルは資料館のようになっていて内部も見学できます。ただ、この日は天気があまり良くなかったせいか、観光客らしき人影はまったくありませんでした。案内の係の人も、手持ち無沙汰だったのでしょうか、とっても熱心に案内してくれました。

■もう一つの名物である本場の「角打ち」へ

 若松や戸畑には、もう一つ名物があります。「角打ち(かくうち)」です。

「角打ち」というのは、小売り酒屋の店先で立ち飲みをする行為のこと。つまみも提供されます。

 最近は東京などでも「角打ち」ができる酒屋が増えてきていますが、本場は北九州の工業地帯で働く労働者たち向けのサービス。「角打ち」という言葉もここが発祥です。製鉄所というのは高炉の火を落とすことができないので、24時間稼働で労働者たちは昼夜交代で働いています。そうした労働者が仕事を終えて、店先で一杯やって家路に就くというわけです。

 もちろん、地元の人は今でも「角打ち」を楽しんでいますが、本場の「角打ち」を体験しに観光客もやって来ます。

 せっかく戸畑に来たのだからと思って、僕は周辺の酒屋を何軒か回ってみました。しかし、残念ながらまだ時間が早すぎたようで店は開いていませんでした。夜にはUー23日本代表とウクライナ代表の試合があるので、長居はできません。

 いつの日にか「角打ち」にリベンジすることを心の中で誓ってから、僕は再びJRに乗って小倉に戻ったというわけです。

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