サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本と同じ島=アイランドに住む人だけが参加できる(?)、あまり知られていない国際スポーツ大会の話…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本と同じ島=アイランドに住む人だけが参加できる(?)、あまり知られていない国際スポーツ大会の話。

■欧州選手権で「奇跡を起こした」フェロー諸島

 1985年にスタートした「アイランドゲームズ」にサッカーが採り入れられたのは、第3回の1989年フェロー諸島大会。北大西洋、スカンジナビア半島と大ブリテン島とアイスランドを結んだ三角形のほぼ中心点に位置するフェロー諸島はデンマーク領だが、前年の1988年にFIFA加盟を認められていた。「アイランドゲームズ」では、第1回大会時に「16歳以下の5人制サッカー」が行われたが、フルサイズのピッチを使っての11人制のサッカーはこの大会が初めてだった。

 エントリーはホストのフェロー諸島のほか、オーランド(フィンランド)、グリーンランド(デンマーク)、シェットランド諸島(スコットランド)、そしてアングルシー(ウェールズ)の計5チーム。総当たり戦が行われ、フェロー諸島が4戦全勝、得点20、失点1で優勝を飾った。2位となったアングルシーとの対戦は大会初日、7月6日に行われ、6-0で圧勝。フェロー諸島の強さは群を抜いていた。

 それもそのはず、翌1990年の9月にフェロー諸島は欧州選手権の予選で「公式戦」にデビューしたのだが、相手は6月にワールドカップに出場したばかりのオーストリア。アマチュア選手だけのフェロー諸島が何点取られるのかと思われていた試合を、何と1-0で勝ってしまったのだ。負けたオーストリアの監督は敗戦を恥じて辞任した。

■人口562人「サーク代表」を襲った悲劇

「アイランドゲームズ」には、日本の5.7倍もの広さを持つグリーンランドから、わずか5.45平方キロという小島の「サーク」まで参加チームは千差万別。サーク島は、この記事に何度も出てきた「チャンネル諸島」のひとつで、ガーンジー島の東に属島のように浮かんでいるが、自治権を持つ島である。しかし、人口も562人と、アイランドゲームズ参加チームのうちでは一番、小さい。

 英国王室領のサーク。サッカーは古くから行われていたが、来航した船の乗組員や、夏のバカンス時期のアルバイトたちとのゲームぐらいしか試合の機会がなかった。そこで2001年に、この島初のサッカークラブ「サークFC」が設立され、隣島のガーンジー協会に加盟登録し、カップ戦に参加するようになった。ただ、直線距離ではわずか10キロほどしか離れていないのに、サークからガーンジーへの直行の船便はなく、一度南のジャージーまで渡り、そこから船を乗り換えて戻るように北のガーンジーに向かうと、2時間以上かかった。

 そして2003年、アイランドゲームズがガーンジーで開催されるに当たって、サークはエントリーを決意。15チームがエントリーする中、D組に入ってジブラルタル(英領)、ワイト(英国)、そしてグリーンランドと対戦した。ジブラルタルは「島」ではなく「半島」の先端部分なのだが、大昔に島だったところが砂州でイベリア半島本土とつながったために「島」と認められたのだろうか…。

 ともかく、サークはひどい目にあった。初戦のジブラルタル戦は0-19、第2戦のワイト戦は0-20、そして3戦目のグリーンランド戦は0-16。計0-55。さらに順位決定戦のフローヤ(ノルウェー)戦も0-15。6日間で4試合を戦い、得点ゼロ、失点70と、サッカーとは思えないスコアになってしまったのである。

 その戦いの中で唯一、名を残したのが、19歳のGKレオン・バーレットソンだった。彼は6月30日に大学グラウンドで行われたワイト戦で、1試合で2回PKをストップするという離れ業をやってのけたのである。試合は0-20の敗戦だったけれど…。以後、サークのサッカーチームはアイランドゲームズにはエントリーしていない。

いま一番読まれている記事を読む