蹴球放浪家・後藤健生は、世界をめぐる。その「世界」にはもちろん、日本も含まれている。灯台下暗し、とも言う。日本には、まだまだ学ぶべきことが多く残っているのだ。U-23日本代表の試合前、「ダブルヘッダー」を試みた! ■「まだ行ったことのない…

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界をめぐる。その「世界」にはもちろん、日本も含まれている。灯台下暗し、とも言う。日本には、まだまだ学ぶべきことが多く残っているのだ。U-23日本代表の試合前、「ダブルヘッダー」を試みた!

■「まだ行ったことのない」国内の県

 2020年に新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが発生してから「海外放浪」の機会がめっきり減ってしまいました。

 去年は8月に女子ワールドカップでニュージーランド、11月にU-17ワールドカップでインドネシアを訪れましたが、今年のアジアカップは諸事情あって行くことができなかったので、2024年に入ってからはまだ海外に行っていません。

 その代わり、2020年以来、国内旅行を楽しんでいます。

 もちろん、それまでも国内各地に行ってはいました。ただし、どちらかというと試合を見てそのまま帰ってきてしまうことが多かったのですが、海外旅行に行けない分、国内観光を楽しむようになったのです。

 島根県の松江では一畑電車に乗ったり、出雲大社を参拝したり、出雲のワインを堪能したりしましたし、兵庫県明石市では日本標準時子午線を見学しました。いずれも「蹴球放浪記」でも取り上げました。

 僕はこれまで89か国を訪問したことはあるのですが、実は、日本国内ではまだ行ったことがない県が6県もあるのです。まずは、全都道府県制覇を目指すことにしましょう。

■U-23アジアカップ前に「若戸大橋」見学

 最近、遠出したのは3月に行われたU-23日本代表の強化試合を観戦に行ったときのことです。U-23アジアカップを前にした2試合でした。

 京都の亀岡市と北九州市で行われる試合を見るために、「青春18きっぷ」を使ってJR各駅停車の旅を行った顛末については「蹴球放浪記」の第206回で書きました。

 今回は、そのとき、若戸大橋を見学に行った話です。

「若戸大橋」というのは、若い世代の人はあまりご存じではないようですが、1960年代に小学生だった世代にはお馴染みの橋です。

 その前に、北九州市という都市のことを知らないといけません。

 北九州というのは九州の最北端。関門海峡を挟んで本州側の山口県下関市と向き合う位置にある大都市(政令指定都市=人口約90万人)ですが、実は1963年に門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市の5市が合併してできた都市なのです。

 都市の合併はあちこちで行われていますが、中心にある大都市が周辺の小さな市や町を吸収合併するケースが多いのです。しかし、北九州市の場合は5都市の対等合併でした。また、東部の門司や小倉は昔は「豊前国」に属し、西部の若松や戸畑は「筑前国」に属し、文化も違ったことなど、難しい条件をクリアして合併に漕ぎつけたのです。このあたりは、NHKの人気番組「ブラタモリ」でも紹介されていました。

■JSLの強豪があった「北九州」の工業地帯

 その旧若松市(現・若松区)と旧戸畑市(現・戸畑区)の間には「洞海湾(どうかいわん)」という細長い湾が横たわっています。かつて、九州北部には筑豊炭田があり、北九州は日本有数の工業地帯でした。明治時代には政府が八幡に官営の製鉄所を建設。その後、民営化されて日本製鐵となり、戦後は八幡製鐵となりました。

 八幡製鐵は実業団サッカーの強豪でもあり、1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が発足した頃には、毎年のように広島の東洋工業と優勝争いを繰り広げていました(その後、八幡製鐵は合併を繰り返して現在は日本製鉄となっています)。

 洞海湾はこうした工業地帯を支え、石炭の積み出し港として繁栄していたのです。

 しかし、洞海湾を越えて若松と戸畑を結ぶのは連絡船しかなかったため、洞海湾を越えて両市を結ぶ橋の建設が計画され、1962年に完成したのです。

いま一番読まれている記事を読む