高橋慶帆インタビュー 前編 2023年度、男子バレー日本代表のB代表のオポジットとして、杭州アジア大会の銅メダル獲得に大きく貢献した高橋慶帆(たかはし・けいはん)。その後は法政大学に戻り、秋季関東大学リーグで一部昇格の原動力になった。 父が…

高橋慶帆インタビュー 前編

 2023年度、男子バレー日本代表のB代表のオポジットとして、杭州アジア大会の銅メダル獲得に大きく貢献した高橋慶帆(たかはし・けいはん)。その後は法政大学に戻り、秋季関東大学リーグで一部昇格の原動力になった。

 父がイラン人で、母は日本人。「けいはん」という名前は、ペルシャ語で「世界」という意味だ。幼い頃はこの名前に違和感があった時期もあったようだが、今ではこの名前のように世界で活躍する選手を目指している。

 現在20歳。2024年度の日本代表にも選出された期待の新星に、昨年度の代表活動で得たもの、今後のことについて聞いた。


今年度も日本代表に選ばれた高橋慶帆

 photo by 坂本清

【シニア代表を経験して「やはり違うな」】

――はじめに、高橋選手がバレーを始めたきっかけから教えていただけますか?

高橋 小学生の頃はサッカーをやっていましたが、ケガしたのをきっかけに中学2年生でバレーボールに転向しました。当時から身長は高くて、高校進学の際には複数のチームから誘いがありましたね。その中で地元・千葉の市立習志野を選んだんですが、理由は家から近かったのと、「朝練がない」と聞いたからです(笑)。

――現在の身長は194cmとのことですが、高校時代はどのくらいあったんですか?

高橋 高校入学時には187cmあって、高校3年間でも伸び続けました。ちなみに父が183cmで、母は160cmくらい。4つ上の兄も187cmくらいだたと思います。

――その後は法政大学に進み、昨年度の日本代表に選出されました。そしてアジア大会で銅メダルを獲得するわけですが、大会の前にも海外遠征がいくつかありました。海外のチームとの対戦で何を感じましたか?

高橋 遠征ではヨーロッパに行く機会が多く、身長が2mを超える選手が本当にたくさんいました。そういうチームとの対戦は、日本ではなかなか経験できない貴重なものでしたね。代表で戦う時は戦術理解もすごく重要なんですが、合宿を通して少しずつ理解していって。それを体現できることも増えて、楽しくプレーできるようになりました。

――高橋選手はU20代表にも選出されていて、2022年のアジアU20(ジュニア)男子選手権大会でチームは13位でした。

高橋 アンダーカテゴリーでも厳しい試合はありましたが、シニア代表でのプレーを経験して「やはり違うな」と感じました。親善試合やアジア大会で対戦した海外のチームはブロックも高いですし、そういったレベルの高い相手にどう点を取っていくのかを、昨年は学ぶことができたと思います。

【アジア大会での苦しさと得たもの】

――海外遠征や合宿では、基本的にセッターは下川諒選手が務めていました。オポジットの高橋選手とコンビが合っていた印象がありますが、登録の関係でアジア大会本戦のセッターは深津旭弘選手のみとなりました。それはどう感じましたか?

高橋 ずっと合わせてきた下川さんと一緒に戦えないことは、つらかったですね。でも、それを言い訳にするわけにはいかないですし、「彼の分も精一杯プレーして、結果を残して日本に戻ろう」とすぐに切り替えました。その点は、主将の柳田将洋さんをはじめ、高梨健太さんなどがチームを引っ張ってくれたことも大きかったです 。

 プレー面の影響としては、それまで試合中にセッターとオポジットを一度に入れ替えて3ローテーション回していた「2枚替え」ができなくなりました。つまり、セッターだけじゃなくてオポジットも実質ひとりで戦うことになった。それは想像以上に苦しかったです。

 ただ、深津さんもプレーだけでなく、チームを鼓舞するような声かけもしてくれたので、僕もコート内で気持ちを切らすことはありませんでした。B代表には若い選手が多かったんですが、自分も含めて本当にやりやすい環境を作っていただきました。

――アジア大会は連日試合があって、非常にタイトなスケジュールでした。

高橋 疲労もそうですし、メンタル的にもきつかったです。それでも、1日あったオフにはトレーニング量を調整するなどして、いい状態でその後の試合に臨むことができたと思います。それは、合宿や遠征を重ねたことで、自分のコンディションを落とさずに上げてくことを、若い選手でも実践できるようになっていたからだと思います。

――オポジットは"点取り屋"のポジションではありますが、アジア大会ではチーム最多の113得点をマークしましたね。

高橋 とにかく、「いかに効果率(チームにどれだけ貢献しているかを表した数字)を上げながら点を取るか」を考えていました。効果率を上げるためにはミスを減らさないといけないんですが、データをしっかり頭に入れることが必須です。試合前にスタッフ含め、「こういうシチュエーションでは、相手のスパイクはこうきやすい」「このミドルブロッカーはこういう特徴がある」といった話をして、それをふまえて状況によって判断しながらプレーしていました。それを続けていくと、「あ、こういう感じで来るな」と予想できるようになった。そこは、うまくできたかなと思います。

【仲がいいライバル、西山大翔との関係】

――アジア大会を振り返って、どの試合が最も印象に残っていますか?

高橋 3位決定戦のカタール戦もそうですが......準決勝で負けた中国戦が1番印象に残っています。

――中国チームはアジア大会にもA代表が出ていましたね。ネーションズリーグ(VNL)でも日本戦では気迫がすごく、日本が勝ったもののフルセットまでもつれました。その中国A代表と戦ってみていかがでしたか?

高橋 命をかけている、と感じるほどの気迫でした。勢いもすごかったですし、自分たちは守りに入って押されてしまった部分もあった。サーブでけっこう崩されて、2段トスも打ち切れず......。「してやられたな」という感じでしたね。

 アジア大会の前にも、中国代表とは岩手で親善試合もやったんですが、アジア大会は相手のホームでしたし、会場も含めて熱が違いました。でも、代表やVリーグでもアウェーでの試合はあるので、その経験ができてよかったです。

――同年代の選手では、U20日本代表でも一緒に戦った西山大翔選手と仲がいいそうですね。その西山選手がVNLのファイナルラウンドでいきなりA代表に呼ばれ、準決勝のポーランド戦でリリーフサーバーとしてデビューし、いきなりノータッチエースを決めました。その姿をどう見ていましたか?

高橋 西山選手とは、高校時代からずっと練習試合などで戦っていましたし、そういう選手が大きな舞台で活躍するのはすごくうれしかったです。

 先ほどのアジア大会の話に戻るんですが、「2枚替え」ができるなら本来は西山選手が僕と交代で出るはずでした。だから彼もストレスを抱えていて、ふたりでその話もしましたね。それでも西山選手は、僕が出ている時に「こういう打ち方になってたよ」といったアドバイスをくれた。逆に西山選手が出ている時は僕も声をかけていました。同じポジションでライバルではありますが、いい関係が築けているんじゃないかと思います。

――中国に負けた後の、カタールとの3位決定戦に臨むチームの雰囲気はどうでしたか?

高橋 中国に負けたあとは悔しさがありましたが、それを引きずるとズルズルいってしまうので、「次の試合に集中しないと」と切り替えましたね。前日の夜にチームメイトとカタールの試合の動画を見て、スパイカーやブロックなどの傾向を頭に入れていきました。やはりメダルを獲得できるのか、4位で終わるかでは全然違う。「最後は勝って帰ろう」と、チームの気持ちがひとつになりました。

【"ガチファン"だった柳田からのアドバイス】

――高橋選手はもともと、柳田選手の大ファンだったそうですが、そんな選手と一緒に練習や試合をするのはどういう感覚でしたか?

高橋 中学、高校生の時は、マサさん(柳田の愛称)の"ガチファン"でしたからね(笑)。ポスターを貼ったり、シューズもマサさんモデルのものを履いたり、フォームもマネしたり......。だから、代表に選んでいただいただけでも嬉しかったのに、同じチームでプレーできることになるなんて、考えただけでも嬉しくて舞い上がってしまうような気持ちでした。

 それは一緒にプレーするようになってからも変わらなかったですし、より尊敬の度合いが深まっていきました。コミュニケーションも取りながら、その中で学べること、吸収できることは何だろうと考えていましたね。

――ちなみに、憧れの選手であることは柳田選手本人に伝えたんですか?

高橋 言いましたね。「あ、そうなんだ」と、さらっとした反応でした(笑)。そのことについて話し込むのも変ですし、それでよかったのかなと。

――柳田選手からのアドバイスで覚えていることは?

高橋 最も印象的だったのは、サーブのトスについてですね。海外遠征の時、僕のサーブが全然入らなくて。精度を上げるために試行錯誤してたんですけど、なかなか改善しませんでした。その時にマサさんが、僕の特徴を理解しながらトスについてアドバイスをくれて、それでアジア大会に向けてよくなっていったので本当に助かりました。マサさんは僕だけじゃなくて、チーム全員にさりげなく気を遣っていた。本当にすごい方です。

 ただ自分のサーブに関しては、アジア大会も最初はよかったんですけど、疲労が溜まっていくにつれて、特に終盤の中国戦からは効果率が一気に落ちました。そこは課題として残ったので改善していきたいです。

――3位決定戦を勝って大会が終わった後、柳田選手とハグをしながら泣いていましたね。その時はどんな心情だったんですか?

高橋 準決勝で負けた次の日の試合で勝ち切れた、達成感のようなものもあったと思います。金メダルには届きませんでしたが、合宿から頑張ってきたメンバーと一緒にメダルを日本に持って帰れることにホッとしたという気持ちも大きかったですし、さまざまな感情が入り混じっていました。

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【プロフィール】
◆高橋慶帆(たかはし・けいはん)

2003年10月13日、千葉県生まれ。身長194cmのオポジット。イラン人の父と日本人の母を持つ。小学2年生から始めたサッカーを怪我の影響でやめ、中学2年生の途中からバレー部に入部。習志野高時代にはエースとして春高バレーに3年連続出場し、3年時にはベスト16に入った。法政大も進学し、2022年はU20代表メンバー入り。2023年にはシニア代表にも選出され、杭州アジア大会の銅メダル獲得に貢献した。