(31日、第96回選抜高校野球大会決勝 健大高崎3―2報徳学園) 磨き上げた武器を携え、報徳学園の選手たちは1年前の忘れ物を取りに来た。 「今までやってきた報徳らしい野球は崩さずに、1イニング1イニング、打者一人ひとり、集中して。その結果、…

(31日、第96回選抜高校野球大会決勝 健大高崎3―2報徳学園)

 磨き上げた武器を携え、報徳学園の選手たちは1年前の忘れ物を取りに来た。

 「今までやってきた報徳らしい野球は崩さずに、1イニング1イニング、打者一人ひとり、集中して。その結果、勝てれば」と主将でエースの間木歩は言う。

 報徳らしい野球。それは、攻める守備だ。

 それが培われたのは、全国クラスのラグビー部と陸上部と共用で使う学校のグラウンドだった。

 普段の練習では、外野付近で活動するラグビー部と陸上部に打球が飛ばないよう、打撃練習はバックネットに向かって打つなどの制限がある。

 1932年創部と歴史のある同校。強豪私学ではあまり見かけない環境だが、「打つことだけが攻撃じゃないし、報徳には伝統である守備の大切さがある」と、OBでもある大角健二監督は言う。

 打撃練習が満足にできなくとも、その分、守備に時間をかけてきた。

 チームには冬のオフシーズンの間、「特守」と呼ばれる伝統の守備練習がある。

 二遊間や三遊間など、際どいところに来る強烈なライナー性の打球を20分間、ひたすら捕り続ける。走者をつけたシートノックになれば、1時間に及ぶこともある。

 大角監督のノックは試合を意識した打球で、とにかく鋭い。ミスをすれば仲間から「なんや!」と厳しい声が飛ぶ。一瞬たりとも、気は抜けない。

 左右に振られた選手たちは、ノックが終わる頃にはへとへとになる。

 三塁手の西村大和は「息が上がって、全然動けない。その後、ご飯を食べようと思っても、全然のどを通らないくらいしんどい」と振り返る。

 ただそれをやり抜けば、おのずと体力がつき、自信もつく。

 堅守が伝統とはいえ、昨年の選抜大会の野手でレギュラーだったのは、西村だけだった。

 間木、今朝丸裕喜の投手の二枚看板は残ったが、前の代よりも小粒ぞろいとも言われてきた。ほぼ一からのチーム作りだった。

 選手たちは「当初は打撃が好調で、今年は打撃のチームではないかと思った」と口をそろえた。しかし、実際に試合になると勝てない。初心である守備に立ち戻った。

 テーマに掲げたのは「球際と守備足」だった。

 球際での強さに加え、1歩目など素早い送球につなげる足さばきをすり込ませるべく、特守の前に基本練習を徹底した。

 今春から低反発バットに完全移行し、より守備が大事になることも見越していた。

 内野手には、転がしたボールに対して正面に入って捕球する基本動作を反復した。

 捕る前に右足でタメをつくり、左足を前へ出した時に捕球。そうすると次に右足が自然と出てきて、それが安定した送球につながる。

 駐輪場の壁を使い、軟式球で壁当てもした。

 「内野のミスが命とりになると思っていたので、形をしっかり作る練習を多くした。すごく地味です。野球少年がやるようなメニューが多い」と守備担当の宮崎翔コーチは説く。

 外野手には、低反発バットで失速する打球を上げ、1歩目をどう早く切るか、繰り返した。

 基本を体に染みこませ、球際の強さもより際立つようになった。今春の選抜大会では、内外野で好守を連発した。

 雨の中の試合となった準々決勝の大阪桐蔭戦も、「練習でもこのぐらいの雨はある。足場が多少悪くても大丈夫」と選手たちは意に介さなかった。

 これまでの2度の選抜優勝を振り返ると、1974年は金属バットが解禁される前年の大会で、2002年は900グラム以下のバットが使用禁止となって初の甲子園だった。

 昨年の準決勝では大阪桐蔭に勝って喜んだのもつかの間、決勝で山梨学院に敗れ、どん底を味わった。

 「去年と同じ失敗だけはなくそう」

 届かなかった頂点をつかむために、大阪桐蔭を再び倒した3月28日の準々決勝後、選手たちだけでミーティングを開き、決意を新たにした。

 慢心はない。

 バットの節目に報徳学園あり――。そんな縁起のいい大会で勝ち上がり、挑んだ決勝。あと一歩及ばなかったが、持ち味は十二分に見せつけた。(大坂尚子)