(31日、第96回選抜高校野球大会決勝 健大高崎3―2報徳学園) 創部22年で初めて甲子園決勝の舞台に立った健大高崎(群馬)は、春夏で計3度の優勝を誇る地元・兵庫の報徳学園を破った。 最後の打者から空振り三振を奪い、健大高崎の選手がマウン…
(31日、第96回選抜高校野球大会決勝 健大高崎3―2報徳学園)
創部22年で初めて甲子園決勝の舞台に立った健大高崎(群馬)は、春夏で計3度の優勝を誇る地元・兵庫の報徳学園を破った。
最後の打者から空振り三振を奪い、健大高崎の選手がマウンドに駆け寄った。
青柳博文監督(51)の目から、涙がこぼれた。
「色んな方々の支援があった。感謝したい」
創部当初からの歩みを、こう振り返る。
「ゼロからの出発だったチームだった」
創部と同時に、監督に就任したときのことが頭に浮かんできた。
群馬県内の建設会社に勤務していたころ、知り合いの紹介で健大高崎で野球を教えることになった。
群馬県東吾妻町出身。自身は高校3年時に、前橋商で選抜大会に出場している。
「自分が甲子園に連れて行く気満々だった」
だが、活動初日。その目標は、打ち砕かれそうになった。
前年の2001年に女子校から共学になったばかり。野球部ではなく、野球好きがゆるく集まる「同好会」だった。
活動場所は内野の広さほどのテニスコート。バットもボールも十分にない。部員はわずか10人ほどで、練習に全員がそろわないことも多かった。
どう考えても、甲子園までたどり付く道筋は見えてこなかった。だが「途中で逃げ出すことは考えなかった」。野球が好きな生徒がいる限りは、全力でサポートすると決めた。
テニスコートでは、打撃練習ができない。放課後は生徒をマイクロバスに乗せ、近くの球場を借りて練習した。
練習試合を申し込んでも、断られてばかり。対戦相手が見つかれば、愛知や宮城まで行った。
そんな監督を学校も応援するようになった。
07年には、専用グラウンドと室内練習場が完成。少しずつ、県内外から選手が集まるようになってきた。
創部から10年経った12年。初出場した選抜大会で4強入りした。相手の隙を突く「機動破壊」と呼ばれる走塁で球場を沸かせた。
しかし、今大会は決勝までの5試合で盗塁はわずかに一つだけだ。今春から導入された低反発の新基準バットでも、外野を抜ける豪快な打球が目立った。
「走塁も大切だが、将来を考えると、スケールの大きな選手に育てたい」。走塁専門のコーチを置くなど、伝統の走塁を重視しつつ、打撃練習や筋力トレーニングに多くの時間を割いてきた。
今ではどんな投手でも打ち崩す「強力打線」がチームの代名詞だ。
そんな健大高崎の「新たな野球」に憧れ、北海道や九州からも選手が集う。
全員野球で、群馬県勢として初めて選抜大会制覇を制した。
優勝インタビューで「選手たちにどんな言葉を贈りたいか」と問われ、こう答えた。
「本当にありがとうと言いたい」(吉村駿)