(30日、選抜高校野球大会準決勝 中央学院2―4報徳学園) このままでは悔いが残ると思っていた。2点を追う九回表2死一塁、中央学院の蔵並龍之介投手(3年)が打席に立った。「ミスは自分で取り返す」 四回裏に自身の投球で2点を失った責任を感じ…

 (30日、選抜高校野球大会準決勝 中央学院2―4報徳学園)

 このままでは悔いが残ると思っていた。2点を追う九回表2死一塁、中央学院の蔵並龍之介投手(3年)が打席に立った。「ミスは自分で取り返す」

 四回裏に自身の投球で2点を失った責任を感じていた。2球で追い込まれた後、低めの変化球を左前にはじき返して二、三塁にチャンスを広げた。二塁上で感情を爆発させ、願った。「もっと投げたい」

 ずっと特別な思いを持っていた。「父が立てなかった甲子園の舞台でプレーしたい」。1995年に春夏連続で甲子園に出場した帝京(東京)の父・俊也さん(46)は、夏に全国を制した学年だった。新チームの始動時は副主将。冬を越え、春を迎えると「下級生がどんどん上がってきた。競争に負けてしまった」。

 俊也さんは大人になってから気づいたことを教えてくれた。「試合に出られないのをライバルや監督のせいにしてばかりいた。そうなってほしくはない」

 蔵並投手が休日に寮から戻ると、食卓で「後悔は残さないように」と伝えてきた。試合でミスをしても、「頑張れ」という言葉は使わない。「家族を思う父を尊敬している。絶対に悔いが残らないようにしたい」

 ウェートトレーニングではあと一回、投球練習はあと一球、ダッシュはあと一本――。父の気持ちはいつも心にあった。甲子園に来てから思うような投球ができず、涙した日もあった。

 2試合連続で登板機会がなく、「なんで投げられないんだという気持ちにもなった」。先発した準々決勝で1失点に抑えたが、準決勝は粘りきれなかった。「相手は甘い球を逃さず、一球一球を徹底していた」

 課題は制球力と安定感の向上。「甲子園での借りは甲子園じゃなきゃ返せないので」。激戦の千葉を勝ち抜くと誓った。(杉江隼)