(30日、第96回選抜高校野球大会準決勝 健大高崎5―4星稜) 晴れ渡った30日の甲子園。お父さんは空から見てくれている。ふがいない姿は見せられない。 選抜大会準決勝。星稜(石川)の専徒(せんと)大和(やまと)選手(3年)は強い気持ちでグ…

 (30日、第96回選抜高校野球大会準決勝 健大高崎5―4星稜)

 晴れ渡った30日の甲子園。お父さんは空から見てくれている。ふがいない姿は見せられない。

 選抜大会準決勝。星稜(石川)の専徒(せんと)大和(やまと)選手(3年)は強い気持ちでグラウンドに立った。

 小学校にあがる頃、お父さんの英一さんに野球を教わった。自宅近くの農道でよくキャッチボールをした。楽しさも教えてもらい、続けられた。

 小学2年生になってチームへ入った。めきめきと力をつけた。小学6年のとき、お父さんと母の直美さんが内緒で応募したU―12(12歳以下)代表選手にも選ばれた。

 それまでは「あまり自分から前に出る方ではなかった」(直美さん)のに、これをきっかけに変わった。自信もついた。

 「甲子園に行きたい」。実家の富山県高岡市から高校野球の強豪、星稜の中学校に通った。

 母の直美さんも認める「お父さんっ子」。毎朝、お父さんに駅まで車で送ってもらった。「もっと体を大きくしないとな」。約10分の間、野球にまつわる話に花を咲かせた。つかの間のひとときだった。

 高校は星稜に進み、寮生活に。1年夏の甲子園でベンチ入りしたが、1回戦で敗退。プレーする姿をスタンドのお父さんら家族に見せられなかった。悔しい夏だった。

 「おまえも、浅野選手のバッティングを見て、こんな風になれよ」。試合後、お父さんにLINEで励まされた。

 浅野選手とはこの年の夏、「大会ナンバー1のスラッガー」と注目を集めた高松商(香川)の浅野翔吾選手のことだ。

 結果が出なくても、楽しく野球するのが一番いいよと優しかった。野球を始めた頃と変わらなかった。

 別れは突然だった。

 お父さんが新型コロナウイルスに感染。自宅で療養していた矢先、くも膜下出血を起こして帰らぬ人となった。まだ50歳。試合から5日後の出来事だった。

 やつれてしばらく実家に戻った。でも、「野球を楽しんでいる姿を見せなきゃ、お父さんは喜んでくれないだろうし」。再びバットを握った。

 2度目の甲子園は2年夏。初戦の2回戦でスタメン出場したが無安打で終わり、試合も敗れた。

 打撃を磨こうと毎日600回バットを振った。前へ体重をかけるスイングを体に染みこませた。

 選抜が始まると、努力の成果が表れた。1回戦の初打席で安打を放ち、準々決勝は適時打、準決勝も1安打。ただ決勝には一歩届かなかった。

 「お父さんに胸を張って報告する。次は絶対、お父さんが天国で笑顔になれるようがんばります」。前を見据えるその目にもう涙はなかった。(小崎瑶太)