中央学院の背番号1は蔵並龍之介投手(3年)だ。「父が立てなかった甲子園の舞台でプレーする」。ずっと、特別な思いを持っていた。 父・俊也さん(46)は帝京(東京)の元高校球児で、1995年に春夏連続で甲子園に出場した。夏は全国優勝を果たした…

 中央学院の背番号1は蔵並龍之介投手(3年)だ。「父が立てなかった甲子園の舞台でプレーする」。ずっと、特別な思いを持っていた。

 父・俊也さん(46)は帝京(東京)の元高校球児で、1995年に春夏連続で甲子園に出場した。夏は全国優勝を果たした学年だった。新チームが始動したときは副主将。冬を越え、春を迎えると試合に出られなくなった。「下級生がどんどん上がってきた。競争に負けてしまった」

 俊也さんは大人になってから気づいたことを教えてくれた。「あのころは試合に出られないのをライバルや監督のせいにしてばかりいた。子どもたちには、そうなってほしくない」

 俊也さんは蔵並投手が休日に寮から自宅へ戻ると食卓で「後悔は残さないように」と伝えてきた。試合でミスをしても、「頑張れ」という言葉は使わない。「思いやりがある父を尊敬している。絶対に悔いが残らないようにしたい」

 ウェートトレーニングではあと一回、投球練習ではあと一球、ダッシュではあと一本――。父の気持ちはいつも心にあった。甲子園に来てからは練習で思うような投球ができず、涙した日もあった。

 めげずに野球に向き合う中で、「なんで投げさせてくれないんだという気持ちにもなった」。1回戦と2回戦は登板機会がなく、落ち込んだ。仲間たちは「隠し球だから」と励ましてくれた。「エースなのに隠し球なのはおかしいと思ったが、自分に言い聞かせていた」と明かす。

 青森山田との準々決勝の朝、先発を告げられた。「待ちに待っていた。マウンドに立つと視線を感じて緊張した」。初めての甲子園は走者を背負う場面が多く、四球も出した。完璧とは言えなかった。

 「最少失点で抑えられたのはよかった。走者を置いても粘り強く投げられる。次もマウンドに上がったら、全力で投げたい」

 第96回選抜高校野球大会第10日の30日、中央学院は準決勝第2試合(午後1時半開始予定)で報徳学園(兵庫)と対戦する。(杉江隼)