能登半島地震で被災した野球部を元気づけようと、2022年夏に東北勢初の全国制覇を達成した仙台育英(宮城)が27~29日、石川県内の2校を招いて試合などをしている。きっかけは、13年前の東日本大震災の恩返しだった。 28日午前、宮城県多賀城…

 能登半島地震で被災した野球部を元気づけようと、2022年夏に東北勢初の全国制覇を達成した仙台育英(宮城)が27~29日、石川県内の2校を招いて試合などをしている。きっかけは、13年前の東日本大震災の恩返しだった。

 28日午前、宮城県多賀城市の仙台育英のグラウンド。輪島(石川県輪島市)と飯田(同県珠洲市)の計26人が参加した招待試合が始まった。

 両校の選手は仙台育英の須江航監督や選手の自宅にホームステイしながら、練習や試合をする。27日の歓迎会では、仙台育英の選手が「野球あるある」の漫才を披露すると、2校の生徒も笑顔になった。

 合同練習では、監督のノックを受け、バッティングの練習もした。飯田の山田恵大主将は「楽しんでのびのび練習できた」と話した。

 昨秋の県大会で輪島は8強、飯田は16強。過疎に悩む公立校ながら、結果を残してきた。

 しかし、今年の元日に地震に襲われた。

 飯田の監督や選手13人は市外に避難するなど、ばらばらになった。笛木勝監督の自宅アパートは傾いて扉が開きづらくなり、小学校の1次避難所から通勤している。

 野球部は2月に入って活動を再開したが、山田主将は「家の片付けはどうか、勉強や野球の遅れはどうか。みんな不安を抱えている」と話す。

 選手13人の輪島にも、自宅が全焼するなどした選手がいる。選手4人は市外に避難中だ。避難所になっている輪島中の運動場で野球をしている。

 1月下旬、地震後初のミーティングをオンラインで開いた。冨水諒一監督は「輪島高校の歴代で一番いい成績(県大会優勝)を残すというチームの目標を下げるか? とりあえず集まって野球をやる、でもいいんだぞ」と尋ねた。

 選手は満場一致で「目標は変えません」と言った。浜田勢生(いお)選手は自宅こそ大きな被害を免れたが、珠洲市の父の実家が全壊した。それでも「地震を言い訳にせず、逃げずにやりたい」と話す。

 招待試合は、須江監督の思いから実現した。

 2011年の東日本大震災で被災したとき、仙台市内の系列中学で野球部監督をしていた。部活動ができない中、交流のあった石川県の野球指導者のはからいで珠洲市と金沢市に招待された。

 「初めてみんなで集まり、野球ができた。震災後初めて湯船につかり、温かいごはんを食べられた子もいた」

 恩返しをしようと、2月には部員らと街頭に立ち、能登の被災地への寄付も呼びかけた。「被災して心が折れたときに石川県に呼んでもらった。今度は自分たちの番」

 仙台育英の新3年生は、今回の招待試合にあたって「笑顔を1秒でも長く」というテーマを考えた。湯浅桜翼(おうすけ)主将は「野球を通じて分かち合えるのはすごくいい機会。つらい思いをしていると思うので、楽しく交流できる3日間にしたい」と話した。(土井良典、吉村美耶)