(27日、第96回選抜高校野球大会2回戦 大阪桐蔭4―2神村学園) 「会ってしゃべれるんは最後になるから、会いに来たんよ」 大阪桐蔭の杉本一世(いっせい)捕手(3年)は、母の美加さん(50)が何を言っているか分からなかった。 親元を離れて…

 (27日、第96回選抜高校野球大会2回戦 大阪桐蔭4―2神村学園)

 「会ってしゃべれるんは最後になるから、会いに来たんよ」

 大阪桐蔭の杉本一世(いっせい)捕手(3年)は、母の美加さん(50)が何を言っているか分からなかった。

 親元を離れて1年が経とうとしていた昨年3月11日、母と長兄、伯母が寮を訪れた。練習を早上がりして、席に着く。そこで長兄から、母が2月に咽頭(いんとう)がんと診断されたこと、手術すれば声を失うことを告げられた。

 兄と伯母が退席し、母と2人きりになった。小学3年から母子家庭で育った。いつも自分を応援してくれ、野球道具や遠征費など全て出してくれた。「おかんのことが大切で大好き」。だから信じられなくて、少したってから泣きじゃくった。

 そんな自分に、母は心配させまいと何度も「大丈夫やよ」と優しく声をかけてくれた。「私も病気と闘うから、野球頑張ってね」

 それから手術前日までの2週間、毎日15分母と電話をした。バッティングの調子がいいこと、学校生活のこと。自分の話を聞く母の声色はうれしそうだった。

 手術は無事成功した。自分の頑張る姿が母のエネルギーになる。「やらなあかん」とよりいっそう練習に打ち込み、2年で春の府大会と近畿大会にベンチ入りした。

 ところが腰の痛みを強く感じるようになった。昨年6月、腰の疲労骨折が分かった。

 ギプスを着けてボールにも触れない。レギュラー争いに置いていかれる焦りでいっぱいだった。

 「秋に間に合わんかったらどうしよう」。伯母につながる電話口で不安をつぶやいた。

 「焦らんとけがを治すことを優先して。絶対大丈夫やよ」

 母の筆談を、伯母が伝えてくれた。

 不安をはき出しても、母はいつも筆談を通して背中を押してくれた。

 気持ちを切り替えて今できるトレーニングに集中し、昨年8月に復帰。コーチ陣や仲間から「チームのムードメーカーで誰とでも仲良くできる」と信頼も厚く、秋の府大会からもう一度背番号をつかんだ。

 今月22日の選抜大会1回戦はスタメンに入ることができず、九回から途中出場となった。打席に立つことはなかった。

 選抜ではこれからも、活躍している姿を母には見せられるかわからないが、全力で野球をする姿は見せられる。「チームに貢献して日本一になる。それでおかんへの恩返しがしたい」

 母の美加さんは「骨折している時でも、電話口で『おかんは病気、俺は野球。一緒にがんばろう』と励ましてくれた。本当に優しい、自慢の息子です」。27日、2回戦の神村学園(鹿児島)との一戦では、甲子園のアルプス席でメガホンをたたいて応援した。(西晃奈)