(24日、第96回選抜高校野球大会2回戦 阿南光3―0熊本国府) 昨秋の九州大会王者、熊本国府との2回戦。阿南光の高橋徳(あつし)監督(41)は、ベンチ前に立ち、終始穏やかなまなざしでグラウンドを見守った。ミスをした選手も笑顔で迎え、ヒッ…

 (24日、第96回選抜高校野球大会2回戦 阿南光3―0熊本国府)

 昨秋の九州大会王者、熊本国府との2回戦。阿南光の高橋徳(あつし)監督(41)は、ベンチ前に立ち、終始穏やかなまなざしでグラウンドを見守った。ミスをした選手も笑顔で迎え、ヒットが出れば両腕で丸印をつくり打者をほめた。

 前日のミーティングでは、雨で2日続けて熊本国府との試合が順延になった選手たちに、こんな言葉をかけた。「恵みの雨と考えよう。相手をより研究でき、こちらもよりコンディションを整えられる」

 阿南光の監督に就いて3年目。意識して前向きな言葉で語りかける指導スタイルは、自らのルーツと生い立ちが投影されている。

 父は鳴門工(現・鳴門渦潮)の監督を33年務め、甲子園に春夏8回導いた高橋広氏(69)。2002年には選抜準優勝を果たし、早稲田大学野球部の監督や14年のU18アジア選手権の日本代表監督なども歴任した「名将」として知られる。

 ただ、子どもの頃、父から野球の指導を受けた記憶はない。野球部の指導で不在が多く、キャッチボールの相手は母か兄だった。

 高校は父が指導する鳴門工ではなく、進学校の城東へ。高校2、3年の時、投手として挑んだ夏の徳島大会はいずれも準々決勝で敗退した。甲子園は憧れの地だったが、遠い存在だった。

 大阪体育大を卒業後、高校教諭となり、のちに阿南光へ統合される阿南工の野球部長に。気づけば、父と同じ野球指導者の道を歩んでいた。

 だが、指導法は違う。父のような水も漏らさぬような完璧主義とは一線を画し、選手の自主性を信じて伸び伸びとプレーさせ、成長を支えるサポート役に回るべきだと考えている。

 監督に就任してから試合後、父から携帯に頻繁に電話が入るようになった。「父のダメ出しを聞きながら、そういう野球もあるのかと勉強になる」。ただ、父は捕手出身、自分は投手出身で「バッテリーの視点で考える野球観が似ている」と共通点も感じる。監督になって、ほかの野球指導者に「お父さんにはお世話になった」と声をかけられ、父の偉大さも実感した。

 父が甲子園の土を踏んだのは、鳴門工を率いて19年たった44歳。自身は3歳若い41歳で大舞台に立ち、阿南光初の8強進出も果たした。だが、背中を追い続けた父に並んだという実感はまだない。「勝てたのは選手たちに恵まれたおかげ。自分はまだまだ勉強不足」

 父が成し遂げた準優勝まで、白星はあと二つ。己を戒めつつ、昨秋の明治神宮大会優勝校、星稜(石川)との準々決勝に挑む。(吉田博行)