センバツ完全試合投手・松本稔 インタビュー 後編(全3回)【託された古豪・キリタカの再建】 指導者としても一度は出たいと思っていた甲子園。それを26歳の時に群馬中央、41歳の時には母校・前橋で叶え、「そのせいか、その後は肩に力を入れることな…

センバツ完全試合投手・松本稔 インタビュー 後編(全3回)

【託された古豪・キリタカの再建】

 指導者としても一度は出たいと思っていた甲子園。それを26歳の時に群馬中央、41歳の時には母校・前橋で叶え、「そのせいか、その後は肩に力を入れることなく指導を続けてこられた気がします」という松本稔。



前橋で甲子園初の完全試合を達成した松本稔は現在、桐生の監督を務める photo by Sportiva

 だが、今は少し状況が違う。2022年から指導しているのは、かつて前橋の最大のライバルだった桐生高(通称・キリタカ)だ。桐生はこれまで春12回、夏14回の甲子園出場があり、計26回は県内最多となる。だが、松本の代の1978年夏を最後に甲子園から遠ざかり、松本の赴任はまさに期待感ありありの人事といえる。

「まさかと驚きましたが、当時戦った桐生のメンバーとは今も親交があり、応援してくれています。今や公立は完全に私学に押され、部員不足で厳しい状態。赴任後はこれまで一度もやらなかった中学校回りを初めてやって、今いる(2023年入学の)1年生13人はそれで集まってくれた選手たちです。

 彼らが桐生を選択する時、私の過去の指導実績だけでなく、もしかすると(センバツの)『完全試合』という記録も少なからず影響したのかもしれない。そう考えると、期待を裏切らないようにしなければと思います」

 部員不足により、全国的に複数の学校による合同チームは増加の一途だ。かつての古豪がいつそうなってもおかしくない現状に関係者は苦渋の思いだろうが、野球人口の話に触れた時、松本はなるほどと思うような話をしてくれた。

【生徒に「適性」をはっきり伝える】

「野球人口が減っている、それは事実。でも、じゃあ野球のレベルが下がってしまったかというと決してそんなことはないんです。昔は野球が一番の花形で、他のスポーツといってもたくさんはなかったから始めるならまず野球だった。野球をやらせたいと思う親も多かったですよね。

 でもその大勢のなかには野球に向いた筋肉ではない、適性のない子もいて、そういう子はなかなかレギュラーになれなかったはずなんです。そう考えると、たとえ野球人口が減っていても、適性のある子が野球をやっている限り、レベル自体は絶対にダウンしない。個人的な意見ですが、大騒ぎする以前に、そのあたりをもう少し考えてもいいんじゃないかと思うんですよね」



選手の適性を見極めながら指導にあたっている photo by Sportiva

 野球人気の低下の理由は、練習時間の長さや用具代の高さ、髪型の問題など考えられることは複数あるが、大前提として子どもの趣味や嗜好が多様化していることがある。そんな時代にあって、「野球に向かない筋肉の子は、無理にやらなくてもいい」と松本はストレートに表現する。

「筋肉の質には短距離型と長距離型があり、これは生まれ持ったものですでに決まっています。しかもその筋肉の質は、トレーニングをしても変えることができないと言われているんです。

 野球はすべてが瞬発的な運動なので、短距離型の子に合うスポーツ。そうではない長距離型の子はどんなに努力しても限界があり、補欠を生むばかりになります。今やそれがはっきりとわかるので、どのスポーツをやろうかと考えた時に、知識があると将来性を考えながら取捨選択ができる。それがあるかないかは、案外大きいと思っています」

【体を理解すれば声かけが変わる】

 松本は、選手の動きを見ながら自分の目で筋肉の質を判断することができる。前橋で指導していた時、新入部員を迎えるにあたり「君は野球では限界がある。他のスポーツを選ぶこともありだよ」と、正直に伝えたこともあった。言いにくいことであっても、それが今後の人生のためと考えるゆえの助言だ。それでも野球をやりたいといえば、むろんウエルカム。成長の幅を少しずつ広げていけるように、全力でサポートしていく。

「野球というスポーツの特性を考えた時、夏場の追い込みなどで長距離を走らせるといった激しいトレーニングを行なう指導者もいますが、自分なら短い距離を30回くらいダッシュで走らせます。

 とくに投手は一瞬のうちに力をパッと出す、それを平均120回続けるので、出力の仕方こそ実戦的な練習になる。やみくもに走らせても逆に瞬発力を出すことへの邪魔になる可能性があって、同じやるなら選手に本当にプラスになるように考えていくべきだと思います。もちろん、自分もまだまだ勉強が必要ですけどね」

 松本は選手に対し、ほとんど怒ることがない。そこにエネルギーを注ぎたくない、怒ったところで長いスパンで見れば選手にとってあまりプラスにならないと思うからだが、「そもそも目の前の子が長距離型の筋肉(遅筋)とわかっていたら、うまく打てないからって怒鳴っても問題解決しないでしょう」と語る。知識があれば、言葉のかけ方も違ってくる。

 これは、選手の親にも言えることだろう。

「高校入学の時期になると、野球選手としての力の90%はすでに決まっています。親の遺伝子で約60%、今までの運動経験が約30%。つまり残りのおよそ10%をどうやって伸ばせるかになるんですが、もし両親が瞬発的な筋肉(速筋)を持っていなければ、親は過度な期待を子どもにしないほうがいいんです。子どもの体質を理解しておくことは子どもに余分なストレスをかけないことにつながり、よく頑張っているなと、違う励まし方ができますよね」

【「こうあるべき」に抗う教員人生】

 松本は今年、64歳になる。定年後の再任用というかたちだが、一年一年が勝負と思って指導にあたっている。でもそこには、単に甲子園を目指すというだけの安直な考えはない。

「勉強もしっかりさせたい。選手たちに言うんです。卒業する時、希望の大学に行ければ、苦しかったけど野球をやっていてよかったと素直に思えるんじゃないのかなって。大学を経てその先でやりたいことをやれるのと、またはこんなはずじゃなかったと後悔するのとでは雲泥の差。

 そして、日本という国がよりよくなるためにはスポーツの力は大きな比重を占めていると思っていて、そのためには指導者がもっと勉強してレベルアップしていかなきゃいけない。信頼される指導者が増えれば、政治家にも意見を言えたり、一流企業の社長さんと話ができたりと、広く社会に向けて発信し、貢献できるアスリートが育つと思うんです。そういう人が現れてこそスポーツの価値も高められると思うので、その土台づくりをするために勉強もしっかりやろう。勉強と野球をできるだけ両立させながら、選手たちを次のステップに送ってやりたいと思っています」

「完全試合」というラベルを手にしたあと、その偉大な記録に支配されたくないという思いからか、「こうあるべき」という波に抗い、「体育教師らしくない教師」「高校野球らしくない監督」を目指してきたという。

 普通を装い強烈な個性を前面に出さないかわりに、紡がれる言葉には大いなる説得力があった。

(文中敬称略)

終わり

前編<甲子園初の完全試合を生んだ「松本の3センチ」...前橋・松本稔「その瞬間、スピードもコントロールもカーブもすべてよくなった」>を読む

中編<甲子園「完全試合男」松本稔が高校時代から感じていたスパルタ指導の限界「もっと面白く、効率よく」を指導者として実践>を読む

【プロフィール】
松本稔 まつもと・みのる 
1960年、群馬県伊勢崎市生まれ。1978年、前橋高3年の時に春の第50回選抜高等学校野球大会で比叡山(滋賀)を相手に春夏通じて初めて甲子園で完全試合を達成。卒業後は、筑波大でプレーし、筑波大大学院へ進学。1985年より高校教員となり、野球部を指導。1987年には群馬中央を率いて夏の甲子園に、2002年には母校・前橋をセンバツ大会出場に導いた。2004年、第21回AAA世界野球選手権大会の高校日本代表コーチを務め準優勝。2022年に桐生に赴任し、同年夏より監督。