能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の日本航空石川。学校に戻れないまま阪神甲子園球場に入った野球部は25日、選抜大会の1回戦で常総学院(茨城)と対戦。ベンチから鼓舞し続けた記録員は、美しい能登の海を愛する「ダイバー」だった。 「野…

 能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の日本航空石川。学校に戻れないまま阪神甲子園球場に入った野球部は25日、選抜大会の1回戦で常総学院(茨城)と対戦。ベンチから鼓舞し続けた記録員は、美しい能登の海を愛する「ダイバー」だった。

 「野球部のマネジャーをやらせてください」

 夏休みが明けた2022年9月。潜水部の1年生だった森山尚良(たから)さん(3年)から突然の“告白”を受けた中村隆監督(39)は、「えっ」と絶句した。

 「途中から入部を希望してくるのは異例中の異例。ノリで野球部って言ってきたんじゃないかと疑いました」

 強豪校の野球部では、最初からマネジャーを志望して来る生徒がほとんどだ。森山さんは客室乗務員になる夢と、能登の海に憧れを抱いて同校に入学。潜水部で活動を続けていた。

 同学年にマネジャーがいないため、断る理由はない。しかし、すぐに辞められても困る。「大変だよ」「休日はないよ」。否定的な言葉を投げかけ、宿題を与えた。

 「入部できるかどうかは分からないけど、そういう気持ちがあるのなら毎日見に来てみたら」

 野球部の練習時間は長い。1カ月近くグラウンドの外から眺め続ける森山さんの姿に「最後は私が折れました」。しかし、疑問も残った。マネジャーを志望した本当の理由だ。

 「もしかしたら野球部に好きな子がいるのか、など勝手な想像をしてしまいました」。ある意味、間違いではない。森山さんは「高校野球」に一目ぼれをした。

 森山さんは小学生の頃にサイパンで暮らしていた。スキューバダイビングのライセンスを取得し、週末は美しいサイパンの海でダイビングを楽しんでいた。

 「空から見ても、サイパンの海は真っ青じゃないですか。海に潜るともっと真っ青で、もっときれいなんですよ。きれいな魚もいっぱいいます」

 幼少からインターナショナルスクールに通っていた。夢は国際線の客室乗務員。高校進学は客室乗務員の実習も学べる日本航空石川を選択した。

 同校は山梨にも系列校がある。千葉の実家から遠方の石川を選んだ決め手は「施設がきれいで海も近く、高校では珍しい潜水部があったから」。

 潜水部の主な活動場所は七尾市の能登島沖。ただただ潜って楽しむことはない。海洋生物の知識やレスキューの技術を学び、船舶免許の取得も目指していく。

 「サイパンとは違うきれいさがありました。イルカと一緒に遊んだこともありますよ」

 転機が訪れたのは夏休み直前の7月。全校生徒が野球部の応援に駆り出されたときだった。まったく興味がなかった高校野球をスタンドから眺めると、なぜかサイパンや能登の海のように「キラキラ」と輝いて見えた。

 「野球をやったことはないし、ルールも知らない。女子の野球部もないので、あの場に行くにはマネジャーになるしかないと決めました」

 夏休みに相談すると、母親の真由美さん(46)は猛反対。「今まで野球に興味を示したことはないし、ルールもスコアブックのつけ方も知らない。できるわけがないでしょって言いました」

 中学の時にソフトボールをやっていた友だちにルールを教えてもらい、スコアブックのつけ方はネットで学習。全国大会の常連でもあるラグビー部のマネジャーから「マネジャー論」も学んだ。

 努力する姿を見せずに目標へ向かっていく我が子に、真由美さんの心も動かされた。

 「サポートする側ではなく、自分で何かをして欲しいとう願いがありました。でも、彼女は根性が据わっている。やると決めたら努力を惜しまないんです」

 野球部員になると、中村監督から投げかけられた「否定的な言葉」の意味を知った。遠方で試合があれば午前2時に起床。週末は朝から晩まで練習が続き、能登の海でダイビングをする暇など全くなかった。

 それでも、野球部でしか学べないことも多かった。マネジャーの仕事に女子も男子も関係ないと監督から諭された。

 コロナ禍が子どもの人間関係に影響したともいわれる世代。言うべきことを言って、人間関係が壊れることが怖かった。

 「チームのミスは私の責任。最初は嫌われると思っていたけど、注意してみたら『ごめんね』って言われて。私が勝手に怖がっていただけなんだと気づきました」

 荷物の整理などが乱れれば、全部員を呼び出して指導する。宝田一彗主将(3年)は「根っから明るくてチームをまとめられる。キャプテンの僕よりも、言うべきことを言ってくれています」。

 今年の元日は実家近くの神社で、巫女(みこ)のアルバイトをしていた。母親からの連絡に気づかず、帰宅後に輪島の街が炎に包まれていることを知った。校外学習で訪れた輪島朝市。その後はテレビで震災のニュースを見ることができなくなった。

 年明けに受け入れてもらった山梨から、新学期は東京都青梅市へ一時的に移転する。能登から遠ざかっても、あの美しい海は忘れられない。

 「夏の選手権を終えて野球部を引退したら、また、能登の海に潜りたいと思っています」

 キラキラと輝く海へ、もう一度、戻りたい。(斎藤孝則)