星稜の副主将、竹下史紘選手(3年)は石川県穴水町の祖父母の家で元日を迎えた。もちを食べるなどいつも通りの家族だんらん。だが、今年は3カ月後の甲子園に向けて期する思いがあった。 小学生で野球を始め、星稜中では主将として全国優勝を飾ったが、高…

 星稜の副主将、竹下史紘選手(3年)は石川県穴水町の祖父母の家で元日を迎えた。もちを食べるなどいつも通りの家族だんらん。だが、今年は3カ月後の甲子園に向けて期する思いがあった。

 小学生で野球を始め、星稜中では主将として全国優勝を飾ったが、高校進学前に肩を手術した。リハビリを続けながら昨秋の北信越大会でベンチ入りを果たした。チームはその後の明治神宮大会でも優勝し、選抜出場をほぼ手中にしていた。

 「甲子園に出られるかも」。優勝メダルを祖父母にみせた。「がんばってきてな。テレビで見ているからな」。祖父の塩谷一郎さん(86)、祖母の春美さん(77)のエールを受け、両親の車で祖父母の家を後にした。

 2時間後、金沢市の親類宅に着くと、強い揺れに襲われた。

 震源は能登半島。おじいちゃん、おばあちゃんは大丈夫なのか――。電話をすると「山の方に避難する」という。だが、それ以降、つながらなくなった。広域に津波警報が出た。竹下も能美市の自宅から毛布や食料を持って高台に車で避難、その日はやり過ごした。

 翌日、家族で再び祖父母の家をめざすと、穴水の町は変わり果てていた。役場の敷地にひびが入り、駅には段差ができていた。親戚の家は倒壊。考えられないくらいぐちゃぐちゃだった。

 結局、土砂崩れの影響でトンネルが通れず、祖父母の家にたどり着けなかった。重い気持ちで引き返した。話ができたのは発災から3日後のこと。祖父母は家に帰っていた。

 倒壊は免れたが、壁にひびが入り、エアコンも外れた。井戸水を使ってトイレを流していた。でも命は無事だった。本当によかった。

 チームメートもみんな無事だったが、金沢市のグラウンドには亀裂が入った。屋内練習場のシャッターは故障し、屋外練習の開始は2月にずれ込んだ。

 チームの選抜出場が決まり、背番号「10」を受け取った。選手として初めての甲子園。「めちゃくちゃ楽しみ。出たい。出て、打ちたいです」と心を躍らせる。

 祖父母に伝えると、電話口で「がんばってね」と言ってくれた。北信越代表として被災地の期待を寄せられていることも感じる。「自分たちにやれることをやる」。強い決意で甲子園に臨む。(小崎瑶太)