楢崎智亜インタビュー 後編パリ五輪では悲願の金メダルを狙う Photo by Murakami Shogo  茨城県龍ケ崎市。ボルダリングジムは、明け方からの雪で冷え込んでいた。しかし世界的クライマー、楢崎智亜は半袖のTシャツ姿で体の芯に熱…

楢崎智亜インタビュー 後編


パリ五輪では悲願の金メダルを狙う

 Photo by Murakami Shogo 

 茨城県龍ケ崎市。ボルダリングジムは、明け方からの雪で冷え込んでいた。しかし世界的クライマー、楢崎智亜は半袖のTシャツ姿で体の芯に熱を宿す。おもむろにゴム製の専用シューズを履いて、壁のホールドに手をやった。その途端、壁と一体になったように映る。狭い空間は、彼だけの世界になった。

「体脂肪は5%以下の計測が難しいらしいんですが、1.9%って出たことがあります」

楢崎は笑顔で言う。肉体そのものが、クライマーとして仕上がっていた。

パリ五輪日本代表として、その近況を聞いた。

>>インタビュー前編「東京五輪で4位と惜敗『自分は本当に強いのか』と悩み苦しんだ」を読む

【新しいルールでは自分より有利に戦える選手がいるのもわかっている】

―今年7月に幕を開けるパリ五輪、楢崎選手は複合(ボルダリング、リード)でのメダルが期待されます。

「"自分への期待値"は上がってきています。ただ、ルールが変わり、複合が3種目から2種目になって、その分リード種目のポイントが大事になっていくルールで、東京よりも難しいチャレンジだと思っています。去年の世界選手権も、優勝ではなく3位でパリ五輪出場を決めましたし、このルールで自分より有利に戦える選手がいるのもわかっているので、今はどれだけ追い上げられるか。それが一番楽しみです」

―楢崎選手は、ダイナミックで自由なボルダリングを得意としていますが、リードは別人のようなパーソナリティが求められますね。前者が知的で技の探求心、後者が質実剛健、粘り強さというか...。

「ボルダラーとリードの選手の一番の違いって、まさにその性格的なところだと思います。ボルダラーのほうが、ムーブひとつひとつの解析・研究が得意で、動きの追求がすごく好きな人が多いんですよ。一方でリードの選手は、ひとつひとつのことはそんなには気にせず、全体のストーリーで登るというか。どれだけ気持ちを乗っけられるか、その強さというか」

―ボルダラーとして、リードにどうアプローチしていますか?

「僕の場合は特に、ボルダリングの中でもダイナミックな動きが得意なので、それをリードで出すと、エネルギーの消耗が大きすぎて最後まで持ちません。自分は危険なシチュエーションになった時、危ないと思って逆にアクセルを踏んじゃうんです(笑)。リードの選手って、危ないと思ったら一旦下がって、ひと呼吸を置いてから行くスタイルの人が多くて。今から完全にそっちのタイプに変わるのは難しいですが、自分の中でいかに力をセーブして登るか、攻略法を見つけながらやっていますね」

―具体的に、どう力をセーブするのでしょうか?

「一番は、手、腕、背中を"引きすぎない"ことです。ボルダリングって重心移動が大きいんですが、リードで重心移動が大きすぎるとブレが出て、体力の消耗が大きくなるんです。手で引くと重心が動くので消耗しちゃう。だからリードでは、足で立ち上がって、ついでに手で引くというスタイルで、上半身の引く動作を控え目にすることを意識しています。細かいですけど、僕は足の蹴り方も"弾く"っていうイメージで登るのが得意なんですが、リードの選手は引いてハムストリングを使いながら登るので、そこも意識してやっていますね」

―筋肉の使い方が違う?

「特に僕がボルダラーの登りなので」

【体脂肪率は常時2~4%】

―会場での楢崎選手は、五感を研ぎ澄ませているように映ります。

「課題を見た瞬間、"ホールドの向きなら、この可能性がある"とか、"湿度がこんな感じか"とか。一発の集中力で、一手に集中して登る感じですかね。課題は初見ですが、自分の順番を待っている間、誰がトライしているかはわかっているので、歓声を聞いて沸いているなら、"ちょっとダイナミックな感じかな"とか、蹴った壁の音が大きいと、"ここだろうな"とか予測して。過去のクライミングと照らし合わせて、"あれに似ているから、この登り方かな"とか」

―壁と向き合うのか、自分との戦いか、どちらでしょうか?

「うーん、両方ですが、最近は自分のほうかもしれません。登る前は課題との向き合いですが、登った瞬間からは、いかに自分の身体が思い通りに動くか。無意識で動いているところもあるので、そこは委ねているところが大きいです。ただ、修正力も大事で、最初のトライで課題の情報をどこまで盗めるか。それが経験のあるトップ選手と若い選手との差かもしれません」

―体脂肪も常に2~4%と言われ、鍛え上げて壁と一体化しているように見えますが、自分の体の部位で武器は?

「背中、背筋力は大事ですけど、自分の場合は連動性ですね。蹴って、骨盤が動いて、引いて、という順番。その組み合わせ、コーディネーションが武器かもしれません。おかげで、特別力が強いわけじゃないのに壁の中で力が出せる。タイミングが大事で、純粋な力よりも自重を操るスポーツなので」

―その点、スピード種目は「重力解放」という呪文でも使っているように見えます。

「ロープで釣っているんじゃないの、とか言われますね(笑)。あれもタイミングが大事で、重心が上がるタイミングに合わせて蹴ると、ぐんぐん進んでいくんですが、ちょっとでもズレると重力で下がっちゃうんですよ」

【パリ五輪での金メダルは「狙っている」】

―パリ五輪に向け、ストレスフルでしょうけど、クライミングの原点とは?

「立ち戻る、で言うと、ボルダリングで自由に登ることですかね。大会のための練習と自分の練習は違うんですけど。自分が動きたいように気持ちよくやるのは楽しめるので、自分の良さが出ますね」

―パリ五輪、金メダルの条件は? 当然、狙っているはずですよね。

「狙っています。ポイントで言うと、自分はボルダリングのほうが得意なので、2位の選手に1カウント差をつけ、リードでトップ選手に4手以内に近づく...そしたら、金メダルです。セッティング次第ですが、可能ですね。まあ、セッターの比重が大きくて、ボルダリングを簡単にしすぎると、全員4カウントでシンプルにリードで争う大会になってしまうんですが...。リードも調子は良くなってきているので楽しみです」

―10歳でボルダリングを始めた智亜少年にタイムマシンで会いに行ったら、なんと伝えますか?

「『頑張ったら、クライミング、楽しくなるよ』って伝えますかね」

―智亜少年は、なんて返してきますか?

「うーん、その頃の僕は素直だったので『頑張るよ』って。僕の場合、ワールドカップのトップ選手の映像とかを見て、"やばい、こうなりたい"って思っていました。中学生の時、ヤン・ホイヤー(ドイツのプロ・クライマー。2010年には、ロック・クライマーにとって世界で最も困難なルートの一つとして知られる「アクシオン・ディレクト」の登頂に成功。2014年のワールドカップ優勝など)っていうドイツの選手がいて、あからさまにムキムキで格好良くて。トレーニングで真似したら、怪我したんですけど(苦笑)。ユースの時、僕はそんなに強くなかったので。だから10歳の自分にもプレッシャーを与えず、楽しく自由にやって欲しいなって思いますね」

【Profile】楢崎智亜(ならざき・ともあ)
1996年6月22日生まれ、栃木県出身。10歳からクライミングをはじめ、2015年の高校卒業と同時にプロ・クライマーに。ボルダリング種目を得意としており、2016年にボルダリング種目で世界選手権初優勝。2019年の世界選手権ではボルダリング種目と複合種目で優勝。金メダルを期待された東京五輪では惜しくも4位。2024年パリ五輪で悲願のメダルを狙う。妻は女子クライミングの第一人者として知られる野口啓代さん。