仲間のために泳ぐ 「自分のために水泳を頑張っていたら、きっとどこかで折れていた」。昨季の早大水泳部競泳部門女子主将の今牧まりあ(スポ4=長野・飯田)にとっての水泳は、決して自分のためだけのものではなかった。だからこそ自分の泳ぎに対して妥協し…
仲間のために泳ぐ
「自分のために水泳を頑張っていたら、きっとどこかで折れていた」。昨季の早大水泳部競泳部門女子主将の今牧まりあ(スポ4=長野・飯田)にとっての水泳は、決して自分のためだけのものではなかった。だからこそ自分の泳ぎに対して妥協しなかったし、チームメイトが喜ぶ姿を見ることが今牧にとっても力になった。人生の多くの時間を水泳とともに歩み、今新たな一歩を踏み出そうとしている今牧の、水泳とチームにかける思いを見つめる。
水泳と出会ったきっかけは5歳上の兄だった。先に始めていた兄の背中を追うように、スイミングクラブに入会した。子供時代にはテレビで見るような日本のトップスイマーではなく、同じクラブの先輩など身近な選手に憧れを抱きながら水泳をしていた今牧。中学生では大学で専門としていた自由形短距離ではなく、個人メドレーや自由形長距離に取り組んでいた。転機となったのは中学3年生で出場した地方大会。それまで練習していた種目で全国大会出場を目指していたが、ほとんど練習していない自由形の短距離種目で全国大会の参加標準記録を突破したのだ。「こっちでやっていってみよう」と高校生からは自由形短距離を中心に取り組んでいった。高校生までで特に印象深い出来事を聞くと、高校3年生のインターハイ(日本高等学校選手権)を挙げた。それは今牧が初めて全国の舞台で自分の力を発揮し、表彰台に上ることができた大会だった。「これからも水泳を頑張りたい」と、大学でも水泳を続けようと決めるきっかけにもなったという。
インタビュー中も笑顔の絶えない今牧
早大を選んだ理由は、水泳と学業を両方とも頑張りたいという思いを実現できる場所だったからだ。レベルの高いところで文武両道を達成している先輩たちの姿への憧れも手伝って、今牧は早大の門をくぐる。しかしそこに待ち構えていたのはコロナ禍での異例続きの競技生活だった。大会では出場選手の人数制限がかけられ、3年生までは無観客開催も続き、試合の雰囲気をつかんだり自分の力を発揮しにくい状況だった。しかしその経験は、当たり前だと思っていたものが、実はとても得難いものであったのだと気づくきっかけになったと振り返る。そして大学生活を振り返って最も悔しかった試合と嬉しかった試合を聞いたところ、なんと同一の大会だという。それは引退試合でもあった4年生として迎えた最後のインカレ(日本学生選手権)だ。悔しかったのは4日間あった昨季のインカレの、初日からの3日間。大学4年間で最も挫折を感じた期間だった。インカレまでの1か月間の練習では「自分の水泳人生で一番」と言うほど調子も良く、手応えと自信を感じながら迎えた大会初日。100メートル自由形に出場したが、実際に試合で泳いでみるとうまく泳ぐことができなかった。結果は23位で予選敗退。泳ぎ自体の問題なのか、精神的な問題だったのか、どこに原因があるのか分からない。他のチームメイトは初日から勢いがあり、自分自身のネガティブな部分は絶対に見せてはいけないと考えていたが、心中は穏やかではなかった。そんな状況で臨んだ、大会最終日の50メートル自由形。自分の力だけでなく、チームメイトの存在や活躍のおかげで不安を払しょくでき、競技人生最後のレースを優勝というかたちで締めくくった。インタビュー時にも何度もチームメイトの方を振り返り、優勝という結果をチームメイトの歓喜の笑顔とともに噛み締める。自身としては悔しい部分もあったが、チームとして見れば「100点満点に近い結果だった」。女子は目標としていた総合点を大幅に上回り、自己ベストの数、リレーでの結果などを見てもいいインカレになったとうなずく。
主将としては、コミュニケーションの頻度と質を意識して、選手によって練習拠点が異なるチームを一つにまとめていた。全体ミーティングや月に1度の全体練習で、学内学外の壁なくコミュニケーションがとれるように心がけた。学内だから、学外だからという意識ではなく、全員がチームメイトであるという意識を持っていたという。また今牧は学内練習を選択していたが、女子の中では学外練習を選ぶ選手も多く、一時期女子の学内選手が自身のみだったことがあった。その期間は競う相手もいない中でのびのびとできた半面、レベルの高い男子選手の中でついていけないもどかしさを感じ、さらにその気持ちを誰とも共有できない。どうやって楽しく練習をやっていけばいいのか分からなくなることもあった。昨年の春ごろから学内選手が増え、励まし合い切磋琢磨しながら練習できる存在ができたことは大きかったという。「自然と声をかけたり、話しかけたくなってしまっていましたね」と笑った。後輩選手に今牧の印象を尋ねると、「たくさん話しかけてくれますし、とても優しいです」という言葉をよく聞く。今牧にとっても後輩は支えになっていたが、同時に今牧も多くの選手の力になっていたことがよく伝わってくる。4年間ともに戦ってきた同期は、「圧倒的な味方」。高校生の頃から活躍して、様々な実績を残してきた同期はとても頼もしかった。もちろん同期の誰もが、挫折や失敗を経験し、壁にぶつかることもあった。しかし「それを自分の力で乗り越えていける力を、全員がこの4年間で証明していた」。その力があるからこそ、これだけ水泳がうまくなったのだと学ぶことができたという。後輩に対して現在思っていることを聞くと「後悔を残さずにやり切ってほしいし、それを応援していきたい」と顔をほころばせる。チームをまとめる際にも大きな助けになってくれたという後輩たちなら「きっといいチームを作っていける」と太鼓判を押した。
今牧はインカレの表彰台でチームメイトの声援に手を振って応えた
大学でも水泳を続けると決めた際に、「水泳はこの4年間でやり切る」と決意していた。その中でも一番の目標として設定していたのはインカレでの優勝。そこに向けて悔いの残る終わり方だけはしないようにと、トレーニングにも妥協なく取り組んだ。苦しいことも嫌だなと思うこともあったが、水泳を辞めたいとは思わなかったという。今牧にとって水泳をするモチベーションは、いかに自分のレースや練習でのタイムで周囲をポジティブな雰囲気にしていけるかだった。自分が速くなることや泳ぎが上達するということが一番のモチベーションではなかったのだ。偽善的かもしれないけれど、と前置きした今牧は、自分が速くなるのための水泳ではなく、周りの人を鼓舞したり勇気づけたりできる泳ぎを目指していた、と語る。「自分のために水泳を頑張っていたら、きっとどこかで折れていた」。自分のためだけにこんな苦しいことはできない。自分が頑張ることでチームメイトたちに力を与えられたら、チーム全体を盛り上げることができ、それもまた自分の力につながる。今牧は水泳を通した先にあるものを見つめ、それを実現させるために自身の泳ぎを磨いてきた。そしてその視線の先にはいつも仲間やチームメイトがいた。恐らくその仲間たちが今牧を見つめ返す視線には、厚い信頼が表れているだろう。
ずっと水泳中心の生活を送ってきた今牧。引退後は新しいことに挑戦したり、時間や気持ちにも余裕が生まれてきた。一度やってみたかったというアルバイトをケーキ屋で始めるなど、大学生としての生活を謳歌している。水泳をやり切ったと心の底から言えるからこそ、競技に対する未練やずっとやってきたことを離れる寂しさはない。今はこれからの人生で競技として水泳をやることはないだろうと考えている、と話した今牧は、「純粋な一人の水泳ファンとして、選手たちを応援していきたい」と眩しく笑った。
(取材、編集 新井沙奈、大村谷芳、神田夏希)