チームを第一に  エースとして、主将として、たった1人の4年生として。都田楓我(スポ4=鹿児島南)は1年次から、あらゆる角度で早大水球部を牽引してきた。だが最高学年として迎えた今季は、インカレ初戦敗退など結果に苦しむことも多かった。それでも…

チームを第一に

  エースとして、主将として、たった1人の4年生として。都田楓我(スポ4=鹿児島南)は1年次から、あらゆる角度で早大水球部を牽引してきた。だが最高学年として迎えた今季は、インカレ初戦敗退など結果に苦しむことも多かった。それでも常にチームの道しるべとなり、後輩達を前へと奮い立たせてきた都田の、陰ながら抱いてきた葛藤やチームへの想いに迫った。


 早慶戦を前に円陣を組むチーム都田

  小学3年生の頃、通っていたスイミングスクールの先生に水球の遠足へと誘われたことが、都田と水球の出会いだった。「他の習い事は全然続かなくて、気がつけば水球だけが残っていました」と、笑みを浮かべながら当時を振り返る。「常に環境に恵まれて、強いチームで戦わせてもらってきた」と語るように、高3次にはインターハイ優勝を経験。その後の進路には迷った時期もあったが、「1年生から試合に出場することで、自分が成長できるのではないか」という直感を信じ、少数精鋭型の早大への進学を決めた。

 その見込み通り、都田は入部早々ルーキーらしからぬ活躍を見せる。新型コロナウイルスの影響で初の公式戦出場が8月の早慶戦まで延びたが、その試合で先制ゴールを決めるなど今後への期待を感じさせた。またこの年の早大は、日本学生選手権(インカレ)3位、日本選手権4位と輝かしい成績を残した。当時はその栄光に導いた上級生達の圧倒的な実力に対し純粋に感激していたというが、自身の学年が上がるにつれ「1年生の自分に合わせてプレーをして下さっていた」場面が多く思い起こされ、理想像とするようになった。都田は4年間で最も印象に残っている試合についても、この年のインカレでの日体大戦を挙げる。絶対的な学生王者を前にあと6点まで迫り、都田自身もチーム最多の5得点と確かな実力を示した。この活躍により東京五輪の代表選考合宿にも招集されるなど、この時期を「大学4年間のピークだった」と形容する。


 2020年のインカレ・日体大戦。ルーキーながらチームに大きく貢献した

 その言葉を選択する裏には、1年次に大学最高レベルの実力を持つ環境を経験したからこそ、翌年以降思うような成績が出ないことに抱いた苦悩がある。そこで主将に就任した今年度は、勝てるチームづくりに加えて「誰からも応援されるチーム」を目指した。寮周辺のゴミ拾いや練習前のプール掃除といった、地域への貢献活動や練習環境の整備を通して、毎日プールで練習できる環境が当たり前ではないことを後輩達に示した。

 また個人としては、ユニバーシティゲームズの日本代表として世界と戦った。初の代表選出にワクワクしながら過ごした時間を、「日本を背負って戦えることが純粋に楽しかったです。海外選手の技術やフィジカルに圧倒されつつも、自分の1対1が通用したことが嬉しかったですし、代表選手と話す中で水球に対する色々な考え方を知ることができました」と振り返る。


 大学3年の早慶戦。結果は惜敗に終わるも、エースとしてチーム最多7得点を挙げた

 都田は今季の大半の試合後にチームの段階的な成長をポジティブに語った反面、自身に対する鋭い指摘を続けた。そんな俯瞰的な視点を持ってきたのは、特に4年生になって以降、勝利に対する責任と自身のプレースタイルとの両立、という大きな葛藤を抱いていたからだ。学年を重ねるごとに結果へのこだわりが増していくと同時に、今季唯一の4年生となった都田は1人でその重圧を背負った。そしてその意識は、プレースタイルの変化という形で現れた。都田は従来、1対1のコンタクトプレーを得意とし、いわば点取り屋としてこれまでのチームに貢献してきた。だが主将としての責任感から、戦績を最も重要視するようになると、無意識に他の選手のアシストに集中する場面が増えた。その周囲を優先する柔軟な姿勢は、今季の明るくフラットなチームの雰囲気を醸成した。全体の意見交換の場では下級生の選手からの発言が盛んになり、新たな戦術の導入など主体的な工夫も多く見られた。その一方で都田の胸中には、「自分らしいプレー」に対する物足りなさが残っていた。


 今季の初戦となった関東学生リーグ戦・筑波大戦。キャプテンとしての強い覚悟を感じさせた

 都田の大学最終戦は、昨年10月に行われた日本選手権最終予選となった。早大は1点差での逆転負けを喫し、惜しくも日本選手権への切符をつかむことができなかった。その試合直後には、「一番はやりきったという思いが強いです。ずっと水球しかやってこなかった人生なので、一旦離れてみたいなと思っています」と、どこか清々しさも感じさせる口調で競技引退を示唆した。その言葉通り4月からは、会社員に軸足を置き、地元・九州での新生活をスタートさせる。だが一つ異なるのは、都田の水球人生はまだ終わらないということだ。今年、水球元日本代表でインフルエンサーとしても活動する荒井陸氏が、社会人チーム『AIDEN』を設立。都田はそのメンバーとして加入が決まり、再び日本選手権の地を目指すこととなった。何が都田を再び突き動かしたのか。それは、競技と距離を置いてよみがえった、1年生での日本選手権出場の記憶だった。主将としての取り組みに対する「やりきった」気持ちは変わらないものの、プレーヤー・都田楓我として、未練を残したまま競技人生を締めくくることに歯がゆさを感じた。「一度は一緒にやってみたいと思っていた同期が多く参加することにワクワクしたと同時に、ここでなら自分のプレーを取り戻せるかもしれないと思いました」。その言葉は、新たな挑戦に向かう明るい希望に満ちあふれていた。


 今季のインカレ・専大戦。都田の存在が左サイドから放つ安心感と迫力は唯一無二だ

  この1年、節目となる試合で多くの選手が口にしていたのが「お世話になった(都田)楓我さんに勝利をプレゼントしたい」という、尊敬と感謝の想いだった。後輩達のために、チームのために、どんな厳しい状況でもできることを考え、温かく皆を包みこむ謙虚さゆえに、その背中は追いかけてられてきたのだろう。そんな都田が残した多くの教えと、果たしきれなかった無念は、来年以降も早大の勝利の源泉として活き続ける。そして都田自身も、「楽しい後輩達に恵まれた」早大水球部での思い出を胸に、次のステージで野望を叶えるべく、前例のないリスタートを切る。

(記事 中村凜々子 写真 長村光氏、中村凜々子)