ワンゲルを愛し、ワンゲルに愛された男 「本当に山が好きなのかはわからない」と言いつつ「家にいると山に帰りたくなる」と笑顔を見せるのは、73代ワンダーフォーゲル部の主将を務めあげた大佐古直輝(政経4=埼玉・開智)。大佐古は、入学当初こそ準硬式…
ワンゲルを愛し、ワンゲルに愛された男
「本当に山が好きなのかはわからない」と言いつつ「家にいると山に帰りたくなる」と笑顔を見せるのは、73代ワンダーフォーゲル部の主将を務めあげた大佐古直輝(政経4=埼玉・開智)。大佐古は、入学当初こそ準硬式野球部に所属していたものの、4年間野球へのモチベーションを持ち続けることは難しいと判断しワンダーフォーゲルに転向した。多種多様なアウトドアスポーツに取り組むところ、人間がコントロールできない自然の中で多くのリスクと向き合うところに惹かれ入部を決めたという。そこから4年間、「(部活以外の学生生活で)思い出という思い出はない」と言い切るほど、ワンダーフォーゲルに全力を注いできた。
背中で引っ張る73代主将・大佐古
そんな大佐古が思い出に残っている活動として一番にあげたのは、新人時代に東北を自転車で1周した夏合宿。「今同じ合宿をやってもあまり楽しめないと思う。初めてのこと尽くしの新鮮さが楽しかったです」と振り返った。一方で苦労した合宿には、同じく新人時代の春合宿(山スキー)をあげた大佐古。スキーが得意でない同期が多い中、数十人が一体となって行動しなければならなかったため、全体的に時間がかかりきつかったと話した。しかしその経験を経た彼らが代を取った年の春合宿では、大佐古の率いる隊が早大ワンダーフォーゲル部史上初めて、ある有名なルートでの山スキーを成功させた。妙高を起点とし、日本百名山にも選定された標高2500mの火打山を登り、そこから山麓の街まで滑り降りるという王道なルートだが、長距離を一気に滑降するのは部として珍しい形態であり、大佐古は「今後の活動の選択肢を広げられるような成功」と語った。
また、春の取材で挑戦したいと話していた日本オートルートの縦走も、無事に成功したようだ。立山室堂から薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六岳を経て新穂高温泉へ下山するルートなのだが、安全面の観点からOBに引き留められていたという。それでもステップアップを踏みながら念入りに事前準備を行い、最終的に大佐古、72代の主将を務めた新居将史(令3創理卒)、そして次期主将の野本隼汰(創理3=東京・早大学院)の3人で遂行。「こんなものか、と思えたことがよかった」と、自身の成長への手ごたえを口にした。
クライミングのために食事制限を設けるほどストイックであり、それは今後も継続するそう
「同期が優秀で、申し訳ないくらい大変ではなかった。自分がやることをやっているだけでよかった」「大所帯の部活の主将と比べたら、たいしたことはないと思います」と終始謙虚な姿勢を見せる大佐古だが、ワンダーフォーゲル部の主将は部員の命を背負っていると言っても過言ではないほど、責任は重大だ。当然1人1人が慎重な行動をしなければならないものの、やはり上に立つ者が頼りなければ活動は成り立たない。そんな中、部員たちは大佐古のストイックな姿を見て常に感化されてきた。同期であり、73代の主務を務めた小林葵(文構4=埼玉・早大本庄)は、大佐古について「誰よりもアウトドアスポーツが大好きな人間。技術もやる気も一番」と太鼓判を押す。さらに大佐古と長い時間を共にした野本も「彼は(部で)一番山が好きなので。好きなものに対する努力の量が尋常じゃない。尊敬していますし憧れです」と語る。一方で本人は「(山が)嫌いでないことは確か。他のことがあまり楽しいと思えない感じで、好きなのかはまだわからない」と頑なに主張。しかし社会人になってもクライミングを中心に活動は続けるということで、徐々に自身の挑戦するレベルを更新しながら、その答えを探しに大佐古は今日もまた山へ向かう。(記事 槌田花、写真 ワンダーフォーゲル部提供)