卒業生対談の最終回に登場するのは、藤澤将匡主将(スポ4=宮城・仙台城南)とダグラス・ビューワーニック(スポ4=埼玉・星槎国際)の男子フルーレ陣だ。2人は2022年の王座決定戦で、川村京太(令5スポ卒)とともに優勝を果たし日本一に輝いた経験…
卒業生対談の最終回に登場するのは、藤澤将匡主将(スポ4=宮城・仙台城南)とダグラス・ビューワーニック(スポ4=埼玉・星槎国際)の男子フルーレ陣だ。2人は2022年の王座決定戦で、川村京太(令5スポ卒)とともに優勝を果たし日本一に輝いた経験がある。実力があるがゆえに期待値が高く、最高学年としてのプレッシャーは人一倍であっただろうが、それを見事に跳ね除け最後まで戦い抜いた。小学校6年生からの長い付き合いである2人の、ユーモアあふれる対談をお楽しみあれ。
※この取材は2月25日に行われたものです。
付き合いは小学生の頃から…シンガポール遠征で一緒に寝坊した思い出も
主将として部を率いた藤澤。普段は温厚だが、試合になると闘志に満ちた姿を現す
ダグラスの気迫のこもったプレースタイルはチームに勢いをもたらす
――おふたりは春休みは何をして過ごされていますか
藤澤 相変わらず、フェンシングは週2、3くらいで普通にやっていますし、あとアルバイトとかをしていて、そんな普段と変わらないです。
ダグラス 僕は来年から大学院に行くんですけど、スポーツ科学部の4プラス1年制度みたいなもので、5年で卒業するんですね。ってなると、今就活しないと2025年に働き始められないので。就活しつつ、筋トレとフェンシングを間にやっているって感じですね。
藤澤 この間、ダグラスが練習に来ると思って張り切って行ったのに来なくて、京太先輩にボコボコにされて帰ってきました(笑)
――忙しくて行けなかった感じですかね(笑)
ダグラス そうですね。
――ではさっそく対談を始めていきます。この対談では競技人生全体を振り返っていただきたいなと思うんですけど、まず、おふたりがフェンシングを始めたきっかけから伺ってもいいですか
ダグラス 僕は小学校6年生から始めたんですけど、もともとはバスケとかサッカーとか色々なスポーツをしていました。アメリカから帰ってきたときにやめて、何もしていないっていう時期があって。そのタイミングで、小学校に「フェンシングしませんか」っていうチラシがきて、体験会に行って、その当時のコーチに「今日この後焼き肉けど行く?」って言われて、それに誘われて行きましたね。
――焼肉がなかったらフェンシングを始めていなかったかもしれないですか
ダグラス まあそんなことはないと思うんですけど(笑)始めるきっかけにはなりましたね。
藤澤 自分は小学校2年生からやっているんですけど、小学校2年生の初めの頃に同級生がフェンシングをやっていまして、その友達に誘われるっていうかたちでフェンシングを始めました。その時、サッカーとか水泳とかいろんなスポーツをやっていたんですけど、その中でも友達と一緒にやれるっていうのと、剣がかっこいいなっていう子供の単純な気持ちで始めました。
――おふたりとも他のスポーツをやっていたのですね。そういうスポーツ経験ががフェンシングに活かせたな、みたいなことはありましたか
ダグラス 僕は、スポーツかわからないですけど、ヒップホップをしていたんですよ。それで、動きを見て真似するってことをやってたおかげで、フェンシングの動きはちょっと日常にはない動きではあったけど、すぐに馴染んで…という感じではあったので、それは結構活かされたのかなとは思います。
藤澤 水泳を3歳とか4歳の頃からやっていて、たぶん小学校1年生ぐらいの時には200メートルぐらい泳げていました。あとは小学生の時からずっと身長が大きくて、なおかつ水泳だったりサッカーだったりいろんなスポーツやっていたおかげで運動神経も良かったので、全国に行っても身長がでかくて運動ができるっていうのだけで勝ってきたので(笑)運動神経が他の種目で養われてフェンシングでも活きたのかなと思っています。
――専門はずっとフルーレですか。藤澤さんは高校時代にエペで全国大会に出場されていたような…
藤澤 1個上の先輩で(エペを)やっている方がいらっしゃいまして、その先輩の相手がいないっていうことで、自分がスパーリングパートナー的な感じでやっていて、 先輩が試合に出る時に自分も一緒に試合に出たら、たまたま結果が出て、そこからちょくちょく出るっていうかたちでした。
ダグラス 僕は将匡くんはエペ陣だと思っていました。
――そうなんですね(笑)ダグラスさんはずっとフルーレですか
ダグラス ずっとフルーレをやってきたんですけど、大学入ったらなんかサーブルもやっていました。
――エペやサーブルもある中で、フルーレを中心に取り組んでいますが、フルーレが得意な理由とかってありますか
ダグラス 日本でフェンシングを始めるってなったら、そもそも入り口がフルーレの人が多いんですよ、特に僕たちが始めた時って。ってなったときに、ちょっと言い方はあれかもしれないですけど、生き残ったらフルーレをしている感じだったんです。フルーレでそこまで成績を出せないって人が、エペなりサーブルにいってすごい強くなるっていう人が多くて。僕は運良くフルーレで強くなれて、そのままフルーレを続けているって感じですかね。
藤澤 自分の場合はもう小学校2年生からずっとフルーレやっていて、それこそエペとサーブルが、さっきダグラスも言っていたと思うんですけど、フルーレで結果出せなかった子がやるものっていう風潮が昔はやっぱり強かったので、 自分はフルーレで成績を出しているうちはフルーレにこだわりたいなと思っていました。高校に進学した時点である程度エペでも成績は出たんですけど、やっぱりそれでもフルーレを一番練習していたので、高校とか大学に進学した時にはフルールにこだわりたいなと思っていました。何回もエペに転向しなよとは言われていたんですが、貫きました(笑)
――ありがとうございます。ではおふたりが進学先として早稲田を選んだ理由はなんでしょう
ダグラス 僕は中学生の時に入っていたフェンシングクラブの先輩が早稲田の出身で、1度練習に行って、なんとなく早稲田行きたいなと思っていました。高校3年間は埼玉でフェンシングをしながら学校に通っていて、そこでいろんな大学の練習に行かせてもらったんですけど、やっぱり早稲田の練習の雰囲気が一番自分に合っているのかなと思ってたので、正直他のところはあんまり考えてなかったです。それこそ(早稲田は)”自由”って言葉が合っていると思いました。
藤澤 高校1年生の海外遠征の時に、たまたま早稲田の先輩と知り合いまして…あ、そこにはダグラスもいました。それでお話をさせていただいて、知り合いになって、その次の年のインターハイで、大学を考えていた時に一番最初に声をかけてきてくれたのが、早稲田大学だったんですよね。やっぱり私立のトップで、なおかつ競技成績が日本でもトップレベルのところから一番最初に声をかけられたっていうのが嬉しくて、その時点でもう早稲田一択かなと思っていました。それでたまたま話してみたら、ダグラスも早稲田に行くっていうので「あ、これはもう川村京太先輩もいるし行くしかねえよな!」という感じで、早稲田大学を選びました。
――じゃあ本当になるべくしてこのメンバーで日本一になったんですね。藤澤さんとダグラスさんは高校時代からのお付き合いですか
藤澤 いや、小学校6年生です。小6の夏頃からずっと知り合いです。ちなみに仙葉遼輔(国教4=秋田南)と自分は小学校2年生からの付き合いです!
――東北繋がりですね!前回の対談で仙葉さんも同じこと仰っていました。藤澤さんとダグラスさんもかなり長い付き合いですが、お互いの第一印象とかは覚えていますか
ダグラス もうどっちも見た目に特徴があるので…僕は、藤澤将匡を見て「こいつ同級生かよ?」って思いました。背がでかすぎて。
藤澤 自分も単純に「外国人の子がいる!」っていう感じだったんですけど、喋ってみたらゴリゴリの関西弁だったので面白いと思いました。
――この約10年間でお互いの印象は変わりましたか?性格とか…
藤澤 ダグラスは変わってないですね(笑)昔のままです。
ダグラス 将匡も変わってないと思うけど…見た目が怖くなったり優しくなったりはあるかもしれないです。
藤澤 高校1年生のとき坊主だったので(笑)高校がなかなか厳しい高校で、もしかしたら坊主にさせられるのかもしれないと思っていて。それで、入学してから途中で坊主になるよりも、最初から坊主にして友達を作った方が第一印象変わらなさそうという打算のもと、坊主にしました。
ダグラス (笑)
――そういうことですか(笑)でも結局坊主にする必要はなかった感じですか
藤澤 なかったですね。気合ですね、気合。
――ありがとうございます。プライベートでも仲がいいと思うのですが、これまでの付き合いの中で一番の思い出といえば何がありますか
藤澤 フェンシングの思い出になっちゃうんですけど…シンガポールへ一緒に遠征に行った時に同じ部屋だったんですね。その際に、自分が目覚ましをかけるって言ってかけたはずだったんですけど、なんか鳴らなくて寝坊してしまって、2人で怒られたことがあります。あの時はすみませんでした!
ダグラス いやいや、とんでもないです(笑)。これの補足をするともう1つエピソードがあって、藤澤くんがシャワーに入っていたら「ダグラス!」って呼ばれて「なに?」って言ったら、「鼻血出た!」って言われて。「え!?」ってなって、ティッシュを渡すっていう思い出もありますね。
――色々とハプニングが重なった遠征だったんですね(笑)。おふたりに関わらず、大学の同期での記憶に残る思い出はありますか?スポッチャでのオールっていう方が多かったですが…
藤澤 そうですね、同期全体だとスポッチャとかも行きましたし、同期男子だけでいえば何回もカラオケオールは行ってますね。みんなカラオケが好きですし、ダグラスは歌がうまいので、いつも最後はダグラスの”怪獣の花唄”で締めています。
――十八番なんですね。藤澤さんはどんな歌をよく歌いますか
藤澤 宇宙戦艦ヤマトとか、変わった曲を歌います。
ダグラス 言うと思った!
直々の後輩・竹内選手には「考えながら練習してほしい」そして「もっと楽しんで」
日本一に輝いた2022年の王座決定戦
――ではこの4年間で一番思い出に残っている試合を教えてください
藤澤 やっぱり王座で優勝したときですかね。王座優勝した時は、最後京太先輩と中村太郎先輩(法大)が戦っていたんですけど、最後の1本の時に、自分たちの角度からだと京太先輩が突いたっていうのがわからなくて。自分とダグラスが、突いたかどうかを確認するために一緒にガバッて前に行って、京太先輩がガッツポーズして帰ってきて抱きついたのが本当にいい思い出ですね。
ダグラス 突いたのも見えていなかったし、突かれたんじゃないかなっていう突き方だったんですよ。それですぐには喜べなくて、「おお…?おおお!」っていう変なふわっていう気持ちがあって、そこから喜びが爆発したなっていう思い出があります。
――逆に悔しくて印象に残っている試合はありますか
ダグラス 正直優勝できなかった試合は全部悔しいなっていうのはあって。でもやっぱり大学3の全日本学生カップは、前年の関東学生選手権で2位になって、 すごいノリノリのタイミングで結果を出せなかったので、すごい落ち込みました。
――ダグラスさんは一昨年の早慶戦でもすごい落ち込んでいた印象があるのですが、そこはいかかがですか
ダグラス やっぱり早慶戦ってすごい特別っていう感じがするので…。それこそ日本一にもなったメンバーで、そこまで慶應に負けていなくて、そのシーズン中はむしろボコボコにした試合もあった中で負けてしまったっていうのはやっぱり悔しかったですね。
藤澤 チームで悔しかった試合は、勝てそうで勝てなった試合、それこそ早慶戦はすごい悔しいなっていう印象があるんですけど、ぱっと自分が思いついたのは、大学2年生の時の全日本です。その時、自分の調子がもうむちゃくちゃ悪くて、めちゃくちゃチームの足を引っ張ったことがありまして。京太先輩にはめちゃくちゃ励まされたんですけど、個人的に悔しい試合だなと思っています。
――藤澤さんは最後の1年間は主将になられて、プレッシャーもあったかと思いますが、実際に振り返ってみて手応えはいかがですか
藤澤 もうプレッシャーだらけでしたね。早慶戦もやっぱり、2連敗っていうのが史上初ということで、3連敗できなかったですし、強い先輩方がいなくなってしまって新体制で自分たちがどれぐらいやれるのかいったところで、結果を出さなきゃいけなくて、そこの難しさもありました。1年間、結果を出さなきゃいけないっていう立場だったからこそ、ずっとプレッシャーはかかっていました。個人的にプレッシャーを感じやすいタイプで、ずっと抱えていましたね。
――ダグラスさんはそんな藤澤さんを一番近くで見ていたと思うんですけど、ダグラスさん自身はチーム内でこういう働きをしよう、とか意識していたことはありますか
ダグラス 僕は特に意識していたことは正直ないです。というのも、別に学年に関係なく、声出しとかも自分たちから行動してきていたと思うので。唯一変わったこととすれば、本当に最上級生になって、その全ての責任は自分たちにかかるんだなとか、あとはシンプルに来年以降心配だなっていうので、後輩の指導にちょっと力を入れていたのかなという気はしますね。
――その指導の手応えはいかがですか。今後フルーレを引っ張っていく竹内(スポ2=岡山大安寺中教)くんとかは…
ダグラス 全くないです。どうしようって感じです。
藤澤 (笑)
――今も結構練習に行って、竹内くんに指導したりしているのですか
ダグラス そうですね。シンプルにフェンシングが好きなので、練習相手をしてあげるんですけど、全然もう…。週に1回しか練習していない僕に、15点中3点っていうこともあるので。
藤澤 そうですね。2日前、自分も5-0にしてきました。
――どういうところが足りないなって感じますか
ダグラス 何個挙げてほしいですか(笑)この時間じゃ収まらないかもしれないですけど、もっと考えて練習してほしいなって。なんていうか、傷つかないメンタルはあるんですけど、試合に出るとビビってしまうというか。すごい緊張しいで。あ、面白いエピソードが1個あって。リーグ戦の時に、フルーレの重要なメタルっていうジャケットみたいな銀色の道具を忘れてしまったんです、彼が。で、僕が2枚持ってたんですけど、どっちも”Bewernick Japan”って書いていて。まずそれを着て出るのが面白いじゃないですか。試合は負けてしまったんですけど…竹内くんがすごい緊張していて、本当に何も良さが出なくて悔しい思いをしていたんですけど、僕が1番嫌だったのは、貸したジャケットが死ぬほど臭かったことなんです(笑)本当に緊張して変な汗をかいていた感じがして。すごい緊張していたんだなっていうのは、それ越しに伝わってきましたね。そういう意味でも、残りの2年間は男子フルーレで最上級生になるんですけど、もっと楽しんでほしいです。気楽にはいけないかもしれないけど、残り2年しかないはずなので、楽しんでほしいなとは思っています。
藤澤 そうですね。さっきダグラスも言っていたと思うんですけど、考えてやってほしいですね。本当に持っているものはそこまで悪くはないんですよ。アタックのスピードであったりだとか、接近戦のクオリティーであったりだとか、持っているものはそんなに悪くないので、うまく使えばもっと頑張れるはずだっていうのが、多分俺とダグラスの共通認識なので。できるはずなのにできないっていうのが、やっぱり 一番残念だなと思うので。普段から「自分がこうしたい」っていうよりかは「相手がどうするだろう」っていう、自分だけじゃなくて相手の思考だったり工夫だったりを考えて練習してもらえれば、きっと本番でも怖気ずに頑張れるのではないかなと思います。やっぱり普段から考えながら練習に取り組んでほしいなと、常日頃思ってます。
――そういうことは本人に直接言ったりしますか
藤澤 言います言います。厳しくするだけじゃなくて、褒めてもいるはずなんですけど…うまくいかない、はまらないですね。
――今後に期待ですね!そういえば、以前重信マネジャーからお話を伺ったときに、部内で衝突したこともあるということを聞いたのですが、具体的にはどんなところで話し合いが行われていたんですか
藤澤 難しいんですけど、なんて言えばいいんですかね…。部活ってなんだろうっていうことで、衝突したことがありますね。早稲田大学体育会の中で、うちのフェンシング部ってやっぱり他の部活動と比べて、いい意味で緩いところがあるんですけど、それでもきちんとしなければいけないところはしなきゃいけないなと思っていて。でもその緩いところと部活動としてあるべき姿っていうところの曖昧さが、ここに来て悪いところで影響が出ちゃったのかなっていう時があったので、そこで部活動ってなんだろう、部活としてやっていくためにはどういった働きを1人1人がやらなきゃいけないんだろうね、というかたちでちょっと衝突したことはありました。結論は落ち着いたかどうかは定かではないですけど、話し合い1つで、その場限りで終わる話でもないなと思ったので、その後の取り組みであったり、日頃の行いから少しずつ修正していけたのかなと思います。
――なるほど。ダグラスさんは何かありますか
ダグラス そうですね。衝突が起きた原因を考えた時に、たぶん僕たちにとっての常識とぶつかった相手の常識が違うかったんだなっていう感じがして。例えば、僕も将匡もだいぶ前からフェンシングをしていて、逆にマネジャーは大学からフェンシングを知って携わったってなると、やっぱり持っている常識は違うじゃないですか。そうなったときに僕たちの常識で物事を進めていくと、そこに食い違いがあって、徐々に離れていってしまったのかなっていう気はしています。でもそれこそ今は、将匡も言っていたけど、解決したかって言われたら落ち着いてない気もするんですけど、いい方向に変わろうとしているって感じはあるので。この衝突とかは、たぶん今後もあるけどしっかり乗り越えて、いいかたちでまた強くなっていってほしいなっていう気持ちがありますね。
――言える範囲で大丈夫ですが、例えばどんな常識の食い違いがありましたか
ダグラス これはフェンシングに限らずなんですけど、やっぱりスポーツをやってきた僕たちにとって、例えば挨拶ってすごい当たり前なんですね。それで先輩のところに走っていって「おはようございます」とか、僕はちょっと生意気なやつなので、遠くから「おはよう!」って言うんですけど、それとは別で、(競技が)大学始めの後輩も何人かいて、そういう子が連絡をしないとか、挨拶に来るにしてもちょっと遅くて「え、俺ずっといたよね」みたいな。それはどうなんだろう、みたいなすれ違いがあったんですけど、それは僕たちの常識で考えていたのかなっていう感じもして。もちろん挨拶はしろとは思うんですけど、そこに対する指導も必須だったなって思います。
――そうだったんですね。でもそこから良い方向に向かおうとして、みんなで話し合ってチームをつくっていった感じですね。では大学でのフェンシング生活を振り返って、点数をつけるとしたらどれくらいになるか教えてください
藤澤 自分は50点ですかね。団体で優勝できたり、ところどころで成績は残せはしたんですけど、同じくらい個人でも結果を残したかったなっていう思いもありますし、達成したことと悔しかったこと、大学生活で積み重ねてきたものを客観的に見たら、まあ50点ぐらいなのかなと。全然満足できなかったなって思います。
ダグラス 僕は99点です。というのも、個人で日本一にはなれていないですし、満足できていない部分もあるんですけど、僕はすごい前向きに考えているので、あんまり過去を振り返らないというか。これまで4年間で出しきった感じはあるので、団体で日本一にもなりましたし。楽しかったなっていう気持ちはある一方で、もっと頑張れたなと思って、マイナス1点って感じですね。
――ありがとうございます。先ほど竹内くんに向けてのメッセージはたくさんいただきましたが、後輩全体に向けて、なにか伝えたいことがあればお願いします
ダグラス 僕からは、まずは怪我をしないように頑張ってほしいなって思います。振り返ってみたら、僕が結構怪我に苦しめられたので、フェンシングに対して頑張るのはもちろんそうだけど、フェンシングが終わった後の身体のことを考えると、無理をしないとか、怪我をしっかり治すっていうところをしっかりしてほしいなという思いはあります。
藤澤 そうですね、部活動を楽しんでほしいですね。4年生はプレッシャーを感じる年でもありますし、うちの部活動の場合、練習内容も選手で決めなきゃいけないっていうところで、ある意味、勝とうが負けようが自業自得みたいなところがあるので、結構1人1人の責任が重かったりはするんですけれども。その中でもフェンシングを楽しんでもらって、試合も楽しんでやってもらいたいです。練習とかもなあなあで楽しくやるっていうよりかは、切磋琢磨して努力すること自体が部活動の楽しさだなって思うので、やっぱり部活動を楽しんでほしいなとは思っています。
――それでは最後に今後の意気込みをお願いします!
藤澤 難しいですけど、やっぱり人生を楽しみたいですね。フェンシングは今後も、ちょくちょくではありますけど続けていきたいなと思いますし、何よりも、特に4年生でいろんな責任はあったりしましたけど、結局自分が楽しまなきゃ何事も楽しめないんだなっていうことを学べたので、どんなことがあっても、まあ辛かったりしたらまわりを頼っていいし、自分が楽しいと思えるようなことをやっていきたいので、そういったかたちで自分の人生を楽しんでいきたいなって思いました。
ダグラス 僕は、挑戦し続ける人生を歩めたらいいなって思っています。挑戦していることで成長できるし、楽しいなって。過去を振り返ってもそんな感じがしたので、そうやって生きていきたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 槌田花)
卒業する2人と、これからの男子フルーレを託された竹内(左)
◆藤澤将匡(ふじさわ・しょうま)
2001(平13)年5月14日生まれ。181センチ。宮城・仙台城南高校出身。スポーツ科学部4年。落ち着いた雰囲気をまとい、取材にもにこやかに対応してくださる藤澤選手ですが、勝負どころでは気迫のこもった雄叫びを上げ、相手をひるませます。堅実なプレーに加え、こうしたギャップも魅力の1つです!
◆ダグラス・ビューワーニック
2001(平13)年9月4日生まれ。171センチ。埼玉・星槎国際高校出身。スポーツ科学部4年。「歌がうまい」と評判のダグラス選手。洋楽から邦楽までカバーし、同期全員を魅了したようです。持ち前の器用さとフレンドリーな性格を武器に、これからも様々な場所で活躍を見せることでしょう!