すべての始まりは高校時代のじゃんけんだった。掛川西高等学校に入学した永田新(教=静岡・掛川西)は入学早々、高校の応援団指導部を補佐する委員会に入ることになった。そのきっかけはじゃんけんで負けたことだ。ただ、そのじゃんけんが永田の応援人生を…

 すべての始まりは高校時代のじゃんけんだった。掛川西高等学校に入学した永田新(教=静岡・掛川西)は入学早々、高校の応援団指導部を補佐する委員会に入ることになった。そのきっかけはじゃんけんで負けたことだ。ただ、そのじゃんけんが永田の応援人生を大きく動かすことになった。応援団指導部の先輩を目の当たりにした永田はかっこよさにひかれて応援団指導部に入ることとなる。高校時代を永田は「きつかった」と振り返る。週6で行われる厳しい練習。「消耗していく毎日だった」と永田は語る。だが、それが早稲田大学応援部代表委員主将、永田新の原点となる。


 神宮で応援する永田

 早稲田大学応援部には高校時代からあこがれを抱いていたという。動画配信サイトなどを活用して、早稲田の応援の型を覚えようとしていた。高校3年生の時には早稲田の第一応援歌『紺碧の空』を振ることができるようになった。そんな早稲田愛にあふれた永田は念願の早稲田大学への入学が決定し、迷わず応援部の門を叩いた。入学と同時にコロナ禍に見舞われ、オンラインでの練習が続く日々であまり憧れの応援部に入部した実感はなかった。それでも、大好きな早稲田大学に入学できたうれしさや感謝をモチベーションに厳しい新人時代の練習をこなした。

 コロナ禍でも、永田は応援部の一員として活動している実感を得た出来事として、新人時代に行われた早稲田大学校歌のテストを挙げる。綺麗な一拍、そして歌詞を正しく歌えるかということが要求される試験を突破し、早稲田で応援する実感が芽生えた。2年生となり、部員に昇格すると永田は新人を指導する役職に就任する。「新人のことをたくさん考えて、(新人にとって)いい結果になるためには自分はどうするべきなのかをたくさん考えた。」と2年生時代を振り返った永田。おんぶ等、早稲田大学応援部の伝統特訓である陸トレが本格的に始まり、自分が思い描いてきた応援部の練習に燃えて、厳しい練習も同期を引っ張りながら乗り越えてきた。


 主将として校旗の前を歩いてきた永田

 厳しい下級生時代ながらもポジティブに振り返ってきた永田だが、ここから試練が訪れる。3年生に進級した永田は総務補佐に就任する。総務補佐とは下級生全体の統括を行う役職である。3年生の中でも、これまで厳しい練習に根を上げることなくこなして、同級生を引っ張ってきた永田が総務補佐に任命される。「下級生の前に先頭に立って導く立場の者として、自分が想定したよりも下級生を引っ張ることができなかった。」と永田は振り返る。「総務補佐として活動した半年間、何も残せなかったのが一番の挫折」と評した。この挫折経験をもとに永田は自分一人のポテンシャルに頼るのではなく、いろいろなことに配慮して自分の行動も周りにとって納得できるものにしようと決意する。周りを引っ張る『導く者』としての永田の矜持が芽生えた瞬間だ。


 ステージでも熱い応援で魅せてきた

 4年生となり、早稲田大学応援部代表委員主将に就任。「応援部に入部したからにはずっと目標にしていた」と代表委員主将について語る。永田が引っ張ってきた令和5年度早稲田大学応援部の全体目標は『一丸』。スローガンのような全体目標ではなく部員新人全員が目指せるような目標を設定した。そして、野球部を優勝に導くために応援席が一つにまとまるということが必要不可欠だと永田は考えた。応援部が熱意を見せれば観客も熱意を見せる。応援部と観客が最高の相乗効果を見せれば野球部を勝利に導くことができる。そう信じて、永田は神宮で声を枯らし続けた。代表委員としては、総務補佐時代の経験を活かし、主将として実力的な面でも見せる。心を震わせるパフォーマンスを心掛けた。応援部を引っ張る者として、永田は「自分が常に勝てると信じること」を常に心から意識した。「応援部に求めるもの、観客に求めるもののすべてを自分が持った上で絶対に勝てると信じる。そうすれば、みんなが絶対に勝てると思わせてくれると感じるはずだ。」と永田は主将としての心構えを語った。永田が求める『一丸』。そして、永田の心構えは最後の東京六大学野球秋季リーグ戦最後の早慶戦にて、体現される。1回戦では9回に逆転を許す重苦しい展開となった。指揮台に上がっていた永田の表情は勝利を確信しているものだった。逆転して盛り上がる慶應の応援に飲まれることなく、むしろ飲み込むような『ダイナマイトマーチ』で、最終回の逆転を呼び込んだ。永田が引っ張る応援に応援席は『一丸』を見せた。永田の引っ張る姿勢が『一丸』を導いたに違いない。


 早慶戦で『一丸』の応援を作り出した永田

 代替わりを迎え、永田は早稲田大学応援部を引退した。後輩にはやりたいことはしっかりとやり切ってほしいと引退時に語った。『何糞魂』。永田が自分を表す言葉である。何事も苦しい時が自分を形作る。高校時代から始まった7年間の応援人生。辛くて苦しい時が多かったはずだ。だが、その辛くて苦しい経験が永田新という人間を形成し、『リーダー』として早稲田大学応援部を導いてきた。学ランを脱いだ後も応援部を引っ張ってきた漢の経験は永遠に生き続ける。

(記事 橋本聖、写真 橋本聖、横山勝興)