「”強い早稲田”を多くの人に見せられるように」。1年前、フルーレの藤澤将匡(スポ4=宮城・仙台城南)が主将に就任した際に話した言葉だ。3年生のとき、川村京太(令5スポ卒)とダグラス・ビューワーニック(スポ4=埼玉・星槎国際)とともに日本一…

 「”強い早稲田”を多くの人に見せられるように」。1年前、フルーレの藤澤将匡(スポ4=宮城・仙台城南)が主将に就任した際に話した言葉だ。3年生のとき、川村京太(令5スポ卒)とダグラス・ビューワーニック(スポ4=埼玉・星槎国際)とともに日本一を経験した藤澤。しかし同年の早慶戦では、優勝がかかった男子フルーレの試合に敗れ、史上初の2連敗を喫するという悔しい出来事もあった。早大フェンシング部の歴史をつくってきたOB・OGたちのために、そして何より自分たちの名誉のために、「今の早稲田も勝てるんだ」ということを証明したい。藤澤はその一心で、年々受け継がれてきた”自由さ”を尊重しつつ、時に仲間とぶつかり合いながらチームの強化を図った。


77代の早大フェンシング部

 藤澤のフェンシング人生は小学2年生の頃に幕を開けた。もともと水泳やサッカーなど様々なスポーツに触れていた藤澤は、友人の誘いでフェンシングと出会い、「友達と一緒にできるっていうのと、剣がかっこいいなっていう子供の単純な気持ちで始めました」と幼いながらに初めてフルーレ剣を握った。それまでのスポーツ経験で培った抜群の運動神経と恵まれた体格を活かし、着実に結果を残し続けた藤澤。「フルーレにこだわりたいと思っていた」ものの、高校時代にはエペの団体戦で全国優勝を果たすなど、圧倒的な実力でフェンシング界にその名を広めていった。そんな藤澤に早大から声がかかり、「私立のトップで、なおかつ競技成績が日本でもトップレベルのところから1番最初に声をかけられたのが嬉しかった」と、早大への進学を決意。川村が在籍していたことや、小学生からの長い付き合いであるダグラスが早大に進学予定だったことも、藤澤の決心を後押しした。


手堅いプレーが持ち味の藤澤

 しかし、大学での競技生活は順風満帆とはいかなかった。藤澤が最も悔しかった試合として挙げたのは、2年生のときに出場した全日本選手権の団体戦。「自分の調子がめちゃくちゃ悪くて、すごい足を引っ張ってしまった」と、準決勝で宿敵・法大に敗れた悔しさを口にした。しかしその経験をバネに、翌年の王座決定戦(王座)で雪辱を果たす。東西のリーグ戦を勝ち抜いた4校が日本一をかけて戦う王座の初戦、男子フルーレ陣は同志社大を大差で下すと、決勝戦で再び法大と対戦。川村とダグラスがポイントを稼いでくるなか、藤澤は強者揃いの法大に点差を離されないよう、必死の粘りを見せる。リザーブとしてベンチに入っていた後輩の竹内隆晟(スポ2=岡山大安寺中教)は、最もしびれた場面の1つに「藤澤先輩が(法大のエース)林祥蓮選手にやられたあとに最後2本を取り切ったところ」をあげた。藤澤が正念場で流れを変え、チームの逆転を呼び込んだのだ。最後は川村が一本勝負を制し悲願の日本一を達成。藤澤は「自分たちの角度からだと、最後に京太先輩が突いたのがわからなくて。それを確認するためにガバッて前に行って、ガッツポーズして帰ってきた京太先輩に抱きついたのが本当にいい思い出」と振り返った。

 そして迎えた最後の1年。主将となった藤澤に重くのしかかったのは、強い先輩が抜け、自分たちだけで結果を出さなければならないという強豪校ならではのプレッシャーだ。新体制になって初の対外試合(早立戦)では全勝を収めるも、5月の関東学生リーグ戦では男子エペが二部降格の危機にさらされるなど、冷や汗をかいた時期があった。その一方で、新戦力の活躍もあり、関東学生選手権で女子フルーレが準優勝、さらに全日本学生選手権ではサーブルが男女ともに銅メダル獲得と、期待を超える結果も手に入れた。”強い早稲田”は健在だと証明した。ただ藤澤自身は、男子フルーレで思うように勝ち進めなかったことの方が多いかもしれない。それでも最後の早慶戦は、日本代表として世界で活躍する選手と互角に戦ったり、チームとして3年ぶりの総合優勝を果たしたりと、手応えを感じられた一戦となっただろう。


早慶戦で総合優勝と、最高のかたちで主将の役目を終えた

 藤澤がつける大学の競技生活の点数は「50点」。「達成したことと悔しかったこと、大学生活で積み重ねてきたものを客観的に見たら50点くらい。全然満足できなかった」と話した。もう少し高い評価があってもいい気もするが、ここに藤澤のストイックさや謙虚さが表れているともいえよう。卒業後もフェンシングをたしなみつつ、「人生を楽しみたい」と話した藤澤。胸を張って「100点満点」といえる社会人生活を送ることができるよう、心から願っている。

(記事・写真 槌田花)