2022年オフ、沼田翔平は巨人を戦力外となり、ヤクルトに育成契約で入団。プロ5年目の昨年は勝負のシーズンとなったが、イースタンリーグで19試合に登板し1勝8敗、防御率5.13と、納得のいく結果を残せなかった。 しかし表面上の数字を見るだけ…

 2022年オフ、沼田翔平は巨人を戦力外となり、ヤクルトに育成契約で入団。プロ5年目の昨年は勝負のシーズンとなったが、イースタンリーグで19試合に登板し1勝8敗、防御率5.13と、納得のいく結果を残せなかった。

 しかし表面上の数字を見るだけでは、沼田のたしかな成長と強い気持ちを知ることはできない。この2月、沼田は沖縄・浦添での一軍キャンプに抜擢。「どんな時でも腐らずにやってきました」と支配下登録に向け、練習に明け暮れているのだった。


支配下登録を目指し、日々練習に取り組むヤクルト・沼田翔平

 photo by Koike Yoshihiro

【連日のアメリカンノック】

 ヤクルト二軍の戸田球場で、沼田が居残り練習で尾花高夫投手チーフコーチ(当時)からアメリカンノックを受けていたのは、昨年5月12日のことだった。

「5月の半ばまでは投げれば打たれる、投げれば点を取られる......でしたからね」

 尾花氏が当時を振り返る。

「そこで彼と2時間ほどミーティングをしました。まず野球をやっている目的は何なのか、どういう投手になりたいのかを明確にしようと。支配下の登録期限まで2カ月ちょっとしかなかったのですが、そこを目指していこう。育成のまま終わっても、結果を出せば来年につながるし、チャレンジしようと話しました」

 その当時、沼田は開幕から6試合に登板した時点で0勝4敗、防御率9.51と沈んでいた。沼田が言う。

「僕は一度クビになった人間ですし、打撃投手みたいに打たれていましたので、なんでも取り入れますとお願いしました。いま習得しないといけない武器は何なのか、長期的に取り組むことは何なのか。それらをかみ砕いて、かみ砕いて......」

 話し合った末、スタミナを強化して、強い体をつくることでふたりの意見は一致した。

「2、3イニングは抑えられていたので、じゃあそこからバテなかったら抑えられるのか、バテないで投げるにはどうすればいいのか。先発して『体力がないから投げられません』では中継ぎにも負担をかけてしまいます。先のことを考えるとスタミナだなと」(沼田)

 前述したアメリカンノックは、通常は10球捕りをインターバル1分で3セット行なうのだが、沼田は「ほかの選手と同じではダメだ」と、インターバルを30秒と短くし、5セットに増やした。

「正直、5セットはやりたくないですよ、つらいですし。でも尾花さんに『しんどいことから逃げてきたことのツケが回ってきているんだぞ』と言われたことが、すごく胸に刺さったんです。ここでまた逃げて、変わらなかったらダメじゃないかと」

 灼熱の7月、8月になっても、ほぼ毎日のようにアメリカンノックは続いた。

「言葉は悪いですが、シーズンを捨てたから毎日のようにできたんです」

 衝撃的ともとれるこの言葉の真意を、沼田が説明する。

「もちろん、根っこの部分では絶対に捨ててないですよ。でも力足らずなことを考えると、待たなきゃいけない部分があった。焦ったところで、結果が出せる内容ではなかったですし、そこは割り切りました。ボールの強さであったり、能力を上げていくには、追い込む練習をしないといけません。試合で投げながらそれを続けるというのは、シーズンを捨ててない人には難しいことなので」

 この信念を貫けたのは、ジャイアンツ時代に鍵谷陽平、田中豊樹、野上亮磨といった先輩たちからの助言を思い返したからだという。

「なかなか支配下になれなかった時や、再び育成になった時に『見ている人は絶対に見ているから。腐らずにしっかりやりきりなさい』と。そこでやめていたら、ヤクルトにも拾ってもらえなかったかもしれません。その言葉があったから、昨年7月の支配下登録の期限が過ぎても、落ち込むことなく続けることができました」

【オフにヤクルトと育成再契約】

 その成果は着実に表れ、夏頃から沼田のピッチングは投げるたびに安定感が増していった。9月は4試合に先発し、3試合連続でクオリティースタート(6回を投げて自責点3以内)を達成。スタミナが強化されるとともに、体の強さも実感し技術的にも向上した。

「あれだけ練習をして、体に刺激が入ったことで『こういうボールを投げられたら』と思っていたことが、だんだん形になってきたんです。たとえ技術があったとしても、体ができていなかったら再現できないこともありますので」

 10月のフェニックスリーグでは、髙津臣吾監督が視察に訪れた試合で7回2失点と好投。11月は台湾でのウインターリーグに参加し、3試合に先発。2勝0敗、防御率0.47というすばらしい結果を残した。

 台湾では、日本はいい環境であるがゆえに、おろそかにしていた部分があったんじゃないかと、練習2日目に痛感したという。

「台湾のボールはツルツルだったので、叩きつける人もいれば、バックネットに投げてしまう人もいました。今までと同じ投げ方だと、ボールが指にかからない。スピンしないし、どっちにボールがいくかもわからないんです。そこで『このようにしたらどうなるか』と、対応しながら投げたことはいい経験になりました」

 そしてオフ、沼田はヤクルトと育成再契約を結んだ。2月の一軍キャンプでは遅くまで球場に残り、地道な練習を繰り返した。キレのある真っすぐ、スライダー、カーブ、シュート、そして昨年習得したという「大きいの」「小さいの」という2種類のフォークも磨いている。

 自身の投球スタイルについて聞くと、「ピッチングに性格が出るタイプ」と沼田は言った。

「勝負どころで力んで引っかけてしまったり、相手が真っすぐを待ってるとわかっている時でも『それでも勝負したろ』となってしまう。それが悪いほうに出るタイプなので、今年はその気持ちを一生懸命こらえて、性格悪くいきたいですね(笑)。ここでカーブを投げたら相手はどういう顔をするんだろうとか。僕のボールはフライになりやすい性質なのに、それがゴロになったりしたら相手は気持ち悪いでしょうし。そういうボールを試合でうまく使えたら、成績にもつながるんじゃないかと思っています」

 今シーズン、沼田が目指すのはもちろん支配下登録だ。

「そのために、先発として試合は必ずつくりたいです。5回までは投げきりたいし、あわよくばそこからどれだけ投げられるか。とにかくリリーフに負担がかからないように頑張ります」

 巨人時代は一軍で7試合に登板するも、勝ち星はなく、防御率9.45という数字が残っている。その時のピッチングに悔いが残っているかと聞くと、「ありません」と返ってきた。

「逆にあの技量で、よく一軍で投げさせてもらえたなと。その時と比べれば、今は一軍で投げる準備はできていますし、自分のなかでそのイメージもできています」

 前出の尾花氏は、この2月に鹿島学園高(茨城)の投手コーチに就任。同時にスポーツ界における行きすぎた指導を改善できないかと、『選択理論心理学』を学び、講演会も行なっている。沼田の成長する姿を、外から見守ることになった。

「沼田は、自分がこれをやると決めて、練習して結果に結びつけた。成長しましたよね。持っているものはいいのだから、『自分はできるんだ』と自信を持ってほしい。練習している以外でも野球のことを考えて、もっともっと、自分がどんな野球選手になりたいのかを明確にしてほしい。今回、一軍キャンプに呼ばれたのだから、それを最後のチャンスというくらいの気持ちで、支配下、そして一軍を勝ちとってほしいですね」

 目標を明確にした努力は、きっと実を結ぶはずだ。

沼田翔平(ぬまた・しょうへい)/2000年6月24日、北海道生まれ。旭川大高から18年育成ドラフト3位で巨人に入団。プロ2年目の20年6月に支配下登録されると、5試合に登板。22年は2試合の登板に終わり、翌年は再度育成でスタートするも、シーズン後に戦力外通告を受ける。同年11月にヤクルトと育成契約。