フェンシング部の第2回卒業生対談に登場するのは、蓮井陽菜(スポ4=香川・高松北)と柴田華(スポ4=神奈川・横須賀大津)の女子エペ陣だ。蓮井は女子エペのエースとしてチームをけん引し、柴田は本職の近代五種と並行しながら人一倍ストイックに活動に…
フェンシング部の第2回卒業生対談に登場するのは、蓮井陽菜(スポ4=香川・高松北)と柴田華(スポ4=神奈川・横須賀大津)の女子エペ陣だ。蓮井は女子エペのエースとしてチームをけん引し、柴田は本職の近代五種と並行しながら人一倍ストイックに活動に取り組んできた。専門種目が同じで「ずっと一緒にいた」という2人は、互いについて「憧れでもあり、刺激をもらえる存在」「心の支え」だと話す。春から高校教師として働く蓮井と、近代五種でのパリ五輪出場を目指して戦い続ける柴田。それぞれのホームは違えど心の距離は近いまま、一番の理解者であることに変わりはないだろう。
※この取材は2月18日に行われたものです。
「仲の良さが早稲田の1番のいいところ」
女子エペのエースとして、多くの試合で勝負強さを見せた蓮井
近代五種ではナショナルチームの一員として世界で活躍する柴田
――この対談では競技人生全体を振り返っていただきたいなと思います。まずおふたりがフェンシングや近代五種を始めたきっかけを伺ってもいいですか
蓮井 私は中学校の部活動からフェンシングを始めました。中高一貫校で中高とやって、大学もそのままスポーツ推薦で、フェンシングで入ったっていう感じです。始めたきっかけは、小学校の頃に県のスーパー讃岐っ子という育成事業みたいなものがあって、それでいろんな競技を体験できるんですけど、例えば陸上とかサッカーとか、マイナーなところでいうと高飛び込みとか、本当にいろんな競技を体験する中で、フェンシングを初めてやって、楽しいなって。それで入る中学校にフェンシング部があったので、入った感じですね。
――中学校からフェンシング部があるって珍しいですよね
蓮井 そうですね。私は香川県出身なんですけど、中学校でフェンシング部があるのが私の中学校だけだったので、珍しいかなって思います。
――中高一貫校ということは、受験されてそこに入ったと
蓮井 そうですね。でもフェンシングがあるから入ったとかでもなく、たまたま(フェンシング部が)あったから入部しようみたいな感じでした。
――3種目ある中からエペを選んだ理由はなんでしょう
蓮井 最初はフルーレがメインというか、全員がフルーレをしていて。エペの大会に初めて出たのが、中学2年生の時でした。そこで「意外と勝てるぞ」と、遠征も行けるようになって、そこからもうエペに振り切りました。顧問の先生も早稲田出身の人なんですけど、その先生がエペを専門としてたので、そこで専門的に教わるっていう感じでした。
――なるほど。では柴田さんはいかがですか
柴田 はい。私は近代五種から始まったわけではなくて、中学1年生の頃に射撃と水泳、陸上の3種目から始めました。始めたきっかけとしては、もともと水泳と陸上は単体で習っていて、その2種目はどちらも中途半端な位置で、下すぎず上すぎるみたいな感じで(笑)それで射撃含めた3種の体験会を近代五種協会が開いていたのを母が見つけて、それに参加してみて、協会の方に水泳と陸上の能力を見て、声をかけてもらったっていうところから始めました。
――フェンシングを最初に始めたのは、高校生からということですか
柴田 フェンシングはなんとなく中学2年の後半ぐらいから、剣とかは持ったりしていたんですけど、全然本格的にやっているとかではなくて、月に何回かの練習会の時にちょっと剣を持ってみて、という感じでした。
――初めてフェンシングやってみた時は、どんな感じでしたか
柴田 結構難しかったです。でもそのまま近代五種競技を続けようとは思っていなくて、3種目でもう終わろうと思っていたんですけど、協会の方に「最初はフェンシングの服も一式こっちが揃えるからちょっとやってほしい」って言われて、始めました。
――ありがとうございます。中、高とやってきて、進学先として早稲田を選んだ理由はなんでしょう
柴田 そうですね、トップアスリートの入試があったっていうところが1番大きいです。私、頭は良くないのでそういう推薦系を見ていたら早稲田があったので、ちょっと受けてみようかなと早稲田を受けました。
蓮井 やっぱり大学のイメージ的にも早稲田大学ってすごいいいなっていう気持ちがありましたし、1個上の先輩が早稲田に行っていたとか、顧問の先生が早稲田だったという理由も大きいのかなとは思います。
――実際入ってみて、まず同期の第一印象としてはどういう印象がありましたか
蓮井 同期ね、最初は4人だったんですよ。入った当時は、私と藤澤将匡(スポ4=宮城・仙台城南)、ダグラス(ビューワーニック、スポ4=埼玉・星槎国際)、仙葉遼輔(国教3=秋田南)の4人だったんですけど、それに加えて柴田とかアンソン(周旻朗、国教4=香港・セントステフェンズカレッジ)とか、早希(重信、教4=早稲田佐賀)が2年生で入ってきたって感じです。最初は「女子1人か~」と思いましたね。でも途中から、柴田とか今留学から帰ってきたばっかりの楊安牧(基幹3=東京中華)っていう子とか、あと早希(重信、教4=早稲田佐賀)も入ってきて、女の子が増えて「うわ~楽しいな」ってなりました。
柴田 私の場合、近代五種だったので馬術部とフェンシング部のどっちかに入ろうかなっていうので迷っていたんですけど、入学当時は結構コロナも流行っていたので、別にそんなに急いで部活も決めなくていいかなと。それで最終的に色々話を聞いたり練習に行ってみたりして、ちょっと遅れてフェンシング部に入部しました。
――フェンシング部を選んだ決め手は
柴田 フェンシングが結構苦手だったというのもありますけど、馬術部は練習場所も遠かったのと、あと朝の練習で朝が早かったという理由もあって、フェンシング部に決めました。
――蓮井さんから熱烈なアプローチなどはありましたか
柴田 全然覚えてないですね(笑)あでも、入ってすぐは、今では考えられないんですけど(蓮井が)藤沢と結構ぎこちなくて、名字で呼んだりしていて、そんな感じなんだと思いました。
――そのぎこちなさはどういうところから(笑)
蓮井 お互いフェンシングしているけど、名前も知らない、顔も知らない状態で。私がすっごい人見知りなこともあり…いつの間にか仲良くなっていましたけど、最初は本当に「蓮井さん」とか呼ばれていました(笑)今ではネタにして話しています。
――そうだったんですね。お互いの第一印象はどんな感じでしたか
柴田 全然覚えてないけど、もうとりあえずフェンシング激強!という感じでした。
蓮井 更衣室で、自己紹介を軽くして。「よろしくね」って、人見知りな私から話しかけたんですよ。種目が一緒だから練習時間もずっと、ファイティング相手だし。フェンシング部って、部活始まりは一緒だけど種目ごとに分かれることが多いので。あとオフ期間とかもね。種目一緒だったらずっと一緒なので、仲良くなるのは早かったかなとは思います。
――人見知りな蓮井さんが自ら声をかけたのは、なにか理由はありましたか
蓮井 なんだろうな。やっぱり女子が来て嬉しかったっていうのはすごい大きかったかなって思うし、やっぱり同期は大事だし…という感じです。
――なるほど。では、女子エペの特有の雰囲気みたいなものがあれば教えていただきたいです
蓮井 先輩方がめっちゃフレンドリー、優しい方ばっかりで、他の種目に比べてもエペ陣は特にみんな仲良しという感じでした。
柴田 エペだけの集まりとかも結構あったりして、集まりがあればOBやOGの方も結構来てくださって、仲は本当にいいと思います。
――部活としては、同期の中でもぶつかったりした経験があると聞いたのですがそのあたりはいかがでしたか
蓮井 え、いつだろう。ぶつかったかな。
柴田 自分もそういうの疎くて、周りがぶつかっていても気づかない(笑)。
選手名① 私たち2人は結構のほほんとやっていたよね(笑)部のことは結構主務とかキャプテン、副キャプテンが話し合いをしてくれていて、うちらは全然その重大さに気づいていない、っていうことが多かったなあ…。
――でもそういう部員もいることで、潤滑油みたいになってチームがうまくまわるのかもしれないですね
柴田 申し訳ない部分もありつつ、ありがたかったですね。
蓮井 そうそう、本当に。そっち側の人がそうやってやってくれていたからこそ、私たちものびのびできたところはありますね。
――そうだったんですね、ありがとうございます。早稲田は他大学と比べてとっても明るいイメージがありますが、おふたりから見て早稲田はどんなチームだと思いますか
蓮井 いい意味でのゆるさ、仲の良さは本当にいいなって思いますね。人数が少ない分ぎゅっと、団結力も強かったり、大会でもあれだよね、全員で応援行くの早稲田ぐらいなので。人数が少ないからこそできることもあったり。そういう伝統的な部分が、ずっと続いてる感じなのかなとは思います。
柴田 私も一緒で、やっぱり仲の良さが早稲田の1番いいところだとは思っていて。種目で人が足りなかったりして大変な時とか、(団体戦3種目を)女子4人で戦ったこともあったんですけど、その大変さが逆に本当に仲の良さを引き出したのかなと思います。
――柴田さんは外部で近代五種の試合にも出る時に、早稲田の存在が力になったという部分もありますか
柴田 そうですね、他の大学で近代五種やっている人もいるんですけど、こうやって理解を得られているっていうのはありがたいかなと思っています。試合が近くなったら(練習や試合を)休んだりするんですけど、みんな応援してくれて。遠征の前とかもみんなが声をかけてくれて、それは本当に嬉しかったです。
「憧れ」「刺激をもらえる存在」「心の支え」「ストイックなトップアスリート」切磋琢磨し駆け抜けた4年間
長い時間をともにした蓮井と柴田。これからも互いに心の支えとなるだろう
――プライベートでの1番の思い出はなんでしょう
蓮井 そうですね、よく集まるので…ラウンドワンとか。
――重信さんも同じことを仰っていました!
蓮井 高校生みたいなことをやっています(笑)
――ダグラスさんの歌がうまい、と聞いたのですが、そんな感じで競技以外におふたりが得意としているものはあったりしますか
柴田 ダグラスが際立ちすぎて全部持っていかれるよね(笑)
蓮井 何でもできちゃうよね。
――ちなみに重信さん自身は、お酒、飲みのテンションみたいなことを仰っていました
蓮井 いや、全然ないです!一番に寝てましたよ(笑)
柴田 自称です、それ。
――そうなんですね、でもお酒が好きでビール会社に就職するとか
蓮井 好きなのはそうかもしれないですね。
――そんな感じで、おふたりが得意なことは何かありませんか
蓮井 えー、なんだろうな、何もないわ~(笑)ボウリングもだめだったよね。
柴田 何もない(笑)
――わかりました(笑)では、先ほどの質問と重複しているかもしれないのですが、おふたりはお互いにチーム内でどんな存在に見えていますか
柴田 陽菜は辛い時も結構一緒にいてくれて、憧れる存在でもあって、自分も刺激をもらえる存在といいますか…陽菜が学生カップで優勝した時があったんですけど、その時は私はそんなに結果が良くなくて、その(蓮井の)結果を見て頑張ろうって思えたり。フェンシングの試合に陽菜が個人で出ていた時も結果をLINEで送ってきてくれたりして、それはすごく嬉しかったです。
蓮井 すごいストイックだなって思います。部活終わった後もみんなはクールダウンしてるのに、(柴田は)欠かさず筋トレを1人でやっていたり、オフ期間に「練習やりませんか」ってLINEグループで声かけていたり。トップアスリートだなって思います。なかなか団体を一緒に組めなかったんですけど、結構ね、LINEはしていました。個人戦の時も「ダメだったわ~」とか「次頑張る」みたいな、本当に軽いLINEなんですけど、それも私の中では心の支えになっていたなと思います。
柴田 嬉しいです。涙出そうなくらい。
――4年間を振り返っていただいて、1番思い出に残ってる試合を教えてください。柴田さんに関しては早稲田の試合でも構いませんし、近代五種の試合でも
蓮井 団体戦はやっぱり盛り上がるというか、チーム一丸となってっていうのがあったので…私、大学生になって4回、団体戦の一本勝負があって。勝てた試合は「やっと勝てた!」って本当に嬉しかったし、それプラス周りのベンチからの応援もすごい「わーっ」って言ってくれるので、 そこで勝てたのが1番嬉しかったです。あとは最後の早慶戦で勝てたのは、めっちゃド緊張したんですけど、よかったー!って思いました。いろんな意味で濃い試合になったなって思います。
――早慶戦、本当に感動しました。その4本あった一本勝負の中で、最も印象に残っているのはどの試合ですか
蓮井 そうですね、昨年のリーグ戦で…1本負けていたところに追いついて、同点になっての1本勝負だったので、そこで勝てたのは嬉しかったです。前の日に一本勝負を落としていたので、(次は)絶対に勝ちたいと思っていて。もう前日からめちゃめちゃ緊張して「うわ、また1本勝負だ~」って。それで取れた1本はすっごい嬉しかったです。4回のうち2回勝てたんですけど、あとの2回はどちらも専大、同じ相手にに負けちゃったので、そこは悔しい思いもありますね。まあ、仕方ないんですけどね(笑)
柴田 団体で1番印象に残っているのは、最後の全日本。専大が相手で、向こうもフルメンバーだったので大差で負けちゃうんじゃないかなって思っていたんですけど、個々の力以上に団体の力を出せたかなっていう試合でした。これが1番、団体の良さとして表れた試合だったのかなと思って、結構印象に残っています。近代五種の試合としては、去年の9月に行われたアジア大会が1番印象に残っています。アジア大会は1番最初にオリンピック出場権を獲得できるところで、まずアジア大会に出場することをみんな目標にしていて、それが獲得できたら次はオリンピックを目指すっていうところで、みんなそこに懸けてやってきて。結果、個人としては全然いい結果にはならなかったんですけど、団体で銀メダルを取れて、日本の近代五種史上最高順位タイの記録で終われました。個人的な力は及ばなかったんですけど、やっぱり団体の良さっていうのが、フェンシングともに近代五種でも出たかなっていうのは感じました。
――近代五種はまだ続ける予定ですか
柴田 そうですね、今年の8月9月まで。最後にパリオリンピックを目指して終わろうかなって思います。予選はもう始まってきていて…この2週間後ぐらいにまたワールドカップシリーズが始まってくるんですけど、その国際大会でオリンピックランキングポイントを稼いでいって、その国際ランキングの上位者が選ばれるという感じですかね。
――応援しています!では続いて、後輩たちへのメッセージをお願いします
蓮井 私の大学生活、4年間がすごいあっという間だったので、本当に全力を出し切ってほしいなと思います。あと、私はリーグ戦が1番緊張してメンタル的にもきつかったんですけど、そんなきつい時はチームで話し合ったりすることがすごく大切になってくると思うので、連携を取りながらやっていってほしいです。あとは早慶戦とか、早稲田や慶応じゃないと味わえないものだと思うので、そこらへんは楽しんでほしいなと思います。
柴田 そうですね、私もほぼ一緒になっちゃうんですけど、限られた4年間って本当に結構あっという間だと思うので、フェンシングもそうですけど、フェンシング以外でも、まだ大学生にしかできないことをたくさん楽しんでほしいなって思います。
――最後に、今後の意気込みをお願いします
蓮井 私は地元が香川県なんですけど、4月から県の高校の保健体育の先生になります。まだ配属校は全然決まっていなくて、部活動でフェンシングを見れるかどうかもわからないんですけど、自分がやってきたフェンシングのある高校にあたったら、そこでしっかり学んだことを還元していきたいなとは思いますし、部活動だけじゃなくて、スポーツの楽しさを伝えていきたいなと思っています。教員は大変だと聞くので、頑張ります!
柴田 私はとりあえず、今年の目標と言いますか、競技人生はラスト半年間なので、やれることは最後まで精一杯やりたいな、頑張れるところまで頑張りたいなっていうのが1つの思いです。競技を引退したあとは、普通に社会人として一般企業で働くんですけど、働くってなったら…今まで競技しかしてこなかったのでどんな感じかっていうのは全然わからないんですけど、鬱とかにならないように頑張ります(笑)
――ありがとうございました!
(取材・編集 槌田花)
◆蓮井陽菜(はすい・ひな)
2001(平13)年11月12日生まれ。157センチ。香川・高松北高出身。スポーツ科学部4年。春休みにはタイに旅行へ行った蓮井選手。卒業後は地元の香川県に戻り、高校の体育教師として教鞭をとります。生徒から大人気の先生になること間違いなしです!
◆柴田華(しばた・はな)
2002(平14)年2月26日生まれ。163センチ。神奈川・横須賀大津高出身。スポーツ科学部4年。あと半年間は近代五種に打ち込むという決断をした柴田選手。パリ五輪への切符をつかめるよう、早スポ一同応援しています!