悩み続けた4年間  「悩んだ4年間だった」。加藤沙也花(スポ=愛知・猿投農林)は漕艇部での4年間をこう表現した。2年生までに2度のケガを経験し、主将としてチーム作りに苦心したという加藤沙。決して平坦な道のりではなかったが、充実した加藤の4年…

悩み続けた4年間

  「悩んだ4年間だった」。加藤沙也花(スポ=愛知・猿投農林)は漕艇部での4年間をこう表現した。2年生までに2度のケガを経験し、主将としてチーム作りに苦心したという加藤沙。決して平坦な道のりではなかったが、充実した加藤の4年間を振り返る。

 母親がボート経験者だったこともあり、高校生のころからボートを始めたという加藤沙。高校でボートは辞めようと考えていたが、高校の1年先輩が早稲田大学に入学した縁で、入学前から前々監督にお世話になっており、早稲田大学に入学を決めた。入学前は、元々辞めようと考えていたこともあり、大学ボートについてはあまり詳しくなく、「日本のトップクラスの早稲田大学」の漕艇部というイメージしかなかった。


 全日本選手権女子エイトでメダルを獲得し、仲間と共に写真に納まる加藤沙

 入学してすぐに、新型コロナウイルスが蔓延したこともあり、7月、6月から緩やかに全体練習がスタートした。しかし、1年生の夏にはケガを負ってしまい、1年生の間はほとんどボートに乗ることはなく、学生トレーナーの先輩が作成してくれたメニューをもとに、筋トレをメインに練習をしていた。2年生は、1年生の間にほとんどボートに乗れなかったこともあり、加藤沙にとって、実質大学ボートの始まりの年であった。大学から始まるスイープ種目、ペアで加藤沙は全日本選手権、全日本大学選手権(インカレ)(2021年は同時開催)に出場した。初めての種目である難しさもあった。しかし、それ以上に新型コロナウイルスの影響で大会が1カ月ほど延期になったことで、長く練習すればするほど、1カ月前の方が良かったといった「迷走みたいな感じ」になったという。ただ、結果としてペアで6位に入賞。この経験で、大学で初めて触れたスイープ種目を大会でレースができるまで成長できた。2年生は、「難しいこともいっぱいあったけど、すごいいろんなことを学べる年でもあった」と振り返る。

 結果も残し、順調に思えた加藤沙であったが、2年生の12月には、1年時とは違う箇所をケガしてしまう。1カ月は全く運動をすることができず、3年時の早慶レガッタ、全日本選手権の選考会にも出場できなかった。遠い9月のインカレを目標にするしかなく、「ボートに対してめちゃくちゃ悩んで、苦しかった時期でもある」と振り返る。一度は競技から引退することも考えたが、同期が大会で活躍している姿を見て、「もうちょっと頑張ろう」と思えたという。結果、インカレではペアで3位に入賞し、「早稲田大学漕艇部の結果に貢献することができた」ことが良かったと振り返る。


 早慶レガッタで33連覇を達成し、笑顔でポーズを決める女子クルー(右から2番目が加藤沙)

 4年時には主将に就任。個性が強いと語る同期のなかで、加藤沙は、自身は「学年の中で、1番強くて、結果残してるってわけではなかった」が、ケガをした経験があったからこそ、色んな人の気持ちが分かるから推薦されたという。早慶レガッタのクルー選考の際には、監督が変わって学生主体の選考となった。自身も選考対象である一方で、主将として選考しないといけない難しさがあった。また、舵手付きフォアという新種目に変わったこともあって、個人の強さだけでは選出できない難しさがあったが、「選ばれたからには胸を張って絶対に勝ちに行こう」と結束し女子は33連覇を達成した。この1年を振り返り、総合優勝を目指したインカレでは、目標を果たすことはできなかったが、「絶対来年に繋がる年にはなった」と語る。

 この4年間を「悩んだ4年間」と表現した加藤沙。大学でボートを続けること自体も悩み、2度のケガで競技をできない期間もあった。ケガが治っても、主将としてチームをどうするべきか悩んだ。悩み続けたこの経験を糧に、加藤沙は次のステージへと進む。

(記事、小島大典 写真 齋藤汰朗 田部井駿平)