元男子バレーボール日本代表福澤達哉が振り返る「春高バレー男子」 今年1月に行なわれた「春の高校バレー」。男子は、決勝で福井工大福井に完勝した駿台学園が連覇を達成した。日本代表でも長く活躍した元パナソニックパンサーズの福澤達哉さんに、今大会の…

元男子バレーボール日本代表

福澤達哉が振り返る「春高バレー男子」

 今年1月に行なわれた「春の高校バレー」。男子は、決勝で福井工大福井に完勝した駿台学園が連覇を達成した。日本代表でも長く活躍した元パナソニックパンサーズの福澤達哉さんに、今大会の印象や、注目した選手などを聞いた。


MVPに選ばれた、駿台学園の亀岡聖成

 photo by 坂本清

【優勝の駿台学園は「かなりレベルが高かった」】

――今大会は、日本代表・髙橋藍選手を輩出した東山高校が、福澤さんの母校である洛南高校に京都大会の決勝で破れて連続出場が「4」で途絶えるなど、予選から多くの波乱がありました。その傾向についてどう思いますか?

福澤 各地の大会をすべて見られたわけではありませんが、これまでは「エース」を擁したチームが勝ち上がることが多かった。しかし、エースがいるだけでは勝つのが難しくなっている印象を強く受けました。最近のトレンドとして、相手のエースに対するブロックとディフェンスの連携を高い次元で築いているチームが多いですね。

――福澤さんは春高の解説も務め、その際に「このレベルのプレーを、高校カテゴリーで見られるのはすごい」とコメントしていました。エースの強打対策をする高校が増えてきた中で、優勝した駿台学園(東京)はその最たるチームですね。

福澤 そうですね。駿台学園については、前回大会で優勝した時点で「かなり"高校生らしからぬ"バレーボールをするな」と感じていました。2013年から駿台学園の指揮を執る梅川大介監督(VリーグのNECレッドロケッツでアナリストを務めた経験を持つ)が、データバレーを持ち込んだことが高校バレーの大きな転換点になりました。

 前回大会の決勝でも、駿台学園は鎮西(熊本)のエース・舛本颯真選手(現・中央大)を組織的に抑え込んで、セットカウント0-2からの逆転勝利につなげた。今年は、そのトータルディデンスに磨きがかかっていました。

 昨年の駿台学園には佐藤遥斗(現・早稲田大)というエースがいましたが、今大会はそんなエースがいない中で1点を取りにいく"うまさ"があった。組織として連携ができているから、攻撃も含めてバレーがスムーズに進んでいく。かなりレベルが高かったですよ。

【MVP亀岡聖成の守備は「すぐに上のレベルでも通用する」】

――梅川監督はどのようにチーム力を高めているのでしょうか。

福澤 試合が始まる前の公式練習もすごく特徴的でしたね。単なるコンビ練習ではなくて、3対3や6対6といった実戦に近い練習をしていました。メンバーは固定せず、シチュエーションごとに組み合わせを変えながら練習していた。それが、きちんと相手を見た上での、状況判断能力が高いプレーに繋がっているんだと思います。

「誰が出ても勝てるチーム作りをしているな」と感じました。どういう状況でも、きちんと自分たちで解決策を導き出すことができる"バレーIQ"の高さを養っていますね。選手の競争意識も高めながら、モチベーションを高く保っている。普段の練習まではわかりませんが、おそらく同じような練習を行なっているんでしょう。

――男子バレー日本代表にもつながるところがあるでしょうか。

福澤 ありますね。昨年のW杯で、日本代表が世界を相手にやっていたバレーと同じようなシステムを作っていました。細かい部分は違うでしょうが、「意図している部分、大事にしてるところは共通する部分があるな」と。

 特に繋ぎの部分ですね。リバウンドを取ってからの展開も、「なぜこういう動きをするのか」を選手たちが理解した上でプレーを選択している。今大会の駿台学園も、レフトの選手がリバウンドを取ってからライトへ、というようにコートの幅を広く使うことも多かった。単純に「この選手がライトにいるから、ライトにトスを上げる」ではなくて、流れの中で「こうすれば、相手はついてこられないだろう」といった判断を、選手全員ができていたように見えました。

――そのバレーを支え、MVPも受賞したアウトサイドヒッターの亀岡聖成選手のプレーはいかがでしたか?

福澤 ディフェンスの技術は、すぐに上のレベルでも通用するほど高いです。サーブレシーブ、スパイクレシーブのポジショニングも、相手の動きを見て瞬時に判断していました。「この1本を取られたらまずい」という場面でも確実にサイドアウトを取っていましたし、相手からしたらすごく嫌な展開に、亀岡選手が持ち込んでいました。セッターの三宅綜大選手はまだ2年生ですが、あれだけ安定したサーブレシーブが返ってくるから、いろいろな攻撃の選択ができていましたね。

【組織的なトータルディフェンスに対抗するには?】

――対戦相手の福井工大福井は、決勝まで進んだのが初めてでした。どのように戦っていましたか?

福澤 しっかり準備ができていたと思いますよ。特に第1セットは、決勝まであまり使っていなかったパイプ攻撃を増やすなど、「自分たちから仕掛けよう」という意図が見て取れました。第1セットを福井工大福井が取っていれば、より面白い試合になったでしょう。

 ただ20点以降、駿台学園がブロックやレシーブで対応してきたことで、福井工大福井のエース・堤凰惺(つつみ・おうせ)選手のバックアタックが決まらなくなった。駿台学園はバックライトのアタックに関してはブロックのマークが薄く、レシーブで対応していたので、あそこが1本通っていれば、その後の展開も変わったのではないかと思います。

――組織的なディフェンスの駿台学園が、攻撃の選択肢が多く決定力の高い福井工大福井を上回った形になりますね。

福澤 今は攻撃パターンもリアルタイムでデータが出てきますから、福井工大福井の選手たちのスパイクコースの傾向も駿台学園の選手たちに伝わっていたはず。バックアタックに対するディフェンスの精度が、セットを重ねるごとに上がっていきました。

 他のチームは、もう一歩踏み込んでそこを突き破らないといけない。エースへのマークが厳しくなる中で、それを上回る引き出しを増やさなければいけません。組織的なトータルディフェンスに対抗するには、エースの個の力を高め、それを生かす戦い方を極めていけるかどうかがカギになると思います。

――昔は大学でもデータバレーを取り入れているチームは少なかったですが、今や高校でも当たり前になってきているんですね。

福澤 駿台学園がそういうバレーで連覇したことで、今後はどうなっていくのか。私も注目しています。

――駿台学園は優勝候補でしたが、他に福澤さんが注目した高校はありますか?

福澤 母校の洛南ですかね。久しぶりに東山を破っての出場ですから、多くの方が注目していたでしょう。

――具体的に、洛南高校のどこに注目していたんですか?

福澤 春高の本戦は早い段階で敗れてしまいましたが、東山との京都大会の決勝でも、サーブでの攻め方、セッターの組み立てもよかったですね。ミドルを絡ませながら、エースに頼る場面ではしっかり頼る。そのバランスが非常によかったです。エースの中上烈選手も、2年生ながらブロックを利用した決め方ができていて、将来性を感じました。

 洛南に勝った大村工業(長崎)は、いいディフェンスで対応していました。長崎の高校は昔からディフェンスがいい印象がありますが、伝統なのかもしれませんね。

【今こそ求められる「大エース」】

――東北高校(宮城)も、春高の上位常連の鎮西との3回戦で熱戦を演じるなど奮闘していましたね。

福澤 かなり高さがある魅力的なチームでしたね。ただ、エースと周りの選手のバランスは、もう少しメリハリがあってもいいかもしれません。今大会は、エースがチームの一員として"収まって"しまっている高校が多かった。福井工大福井も同じですが、頼るべきところはエースに託し、それを印象づけた上で周りの選手をどう生かすのか。そういう戦い方が理想的だと思います。

 データバレーや組織的なディフェンスがトレンドになる中で勝っていくためには、そういったバレーができるようになった上で、エースの個の力が必要になるはず。私は、苦しいトスが上がった時に、すべてリバウンドを取りにいくのが正解だとは思っていません。時にはブロックを力強く打ち破り、相手チームの計算を狂わせる「大エース」が求められるようになるかもしれません。

――男子バレーは大学でプレーした後にVリーグへ、という流れが普通でしたが、高校卒業して間もなく西田有志選手や髙橋藍選手などが日本代表でも活躍したように、高校バレーのレベルがそこまで高くなっているということですね。

福澤 高校でしっかり戦術や技術を学んで、大学でフィジカルを伸ばすという傾向がありましたが、その垣根もなくなってきている。多くの選手が高い技術を持っている中で、違いを見せつけるためにはやはりフィジカルが重要になってくると思います。

 そういった点も含め、高校バレーのレベルが非常に高くなっていることの証明だと思います。いい流れですし、今後が楽しみですね。

(栗原恵が振り返る女子:プレーが「胸に残った」就実、大友愛の娘は「ずっと狙われていた」>>)

【プロフィール】
福澤達哉(ふくざわ・たつや)

1986年7月1日生まれ。京都府京都市出身。洛南高校時代に春高バレーに2度出場、インターハイでは3年時に優勝を果たした。卒業後は中央大学に進学し、1年時の2005年に初めて日本代表に選出。ワールドリーグで代表デビューを果たすと、2008年には清水邦広と共に最年少で北京五輪出場を果たす。大学卒業後はパナソニックパンサーズに入団。ブラジルやフランスのリーグにも挑戦しながら、長くパナソニックの主力としてプレーした。2021年8月に現役を引退して以降は、解説者など活躍の場を広げている。