『響』 「弓道は自分に全てがかかっている。相手のミスを願わなくても自分が頑張れば勝つことができる」。昨季早大弓道女子部の主将を務めた亀卦川響(法4=東京・早実)は弓道の魅力についてこう語る。「捨てるところは捨てて、どの試合を一番の目標にする…
『響』
「弓道は自分に全てがかかっている。相手のミスを願わなくても自分が頑張れば勝つことができる」。昨季早大弓道女子部の主将を務めた亀卦川響(法4=東京・早実)は弓道の魅力についてこう語る。「捨てるところは捨てて、どの試合を一番の目標にするのかを決める」ことでメンバーに選出された部員を優先するのか、「試合に出られないメンバーの気持ちをわかることができる主将」として全部員の心情を汲むのか。最後まで壁にぶつかり続けながらもその大役を立派に務め上げた。先輩からも後輩からも信頼の厚い亀卦川の4年間を振り返る。
弓道を始めたきっかけは、中学1年生の時、知り合いの先輩に勧誘され見学にいったこと。そこから10年もの歳月を弓と共に歩んできた。関東大会の出場経験があり、「楽しかった思い出が多い」と話す。しかし、その裏では練習環境や中学時代からの後輩である山﨑琴葵(社3=東京・早実)の活躍に対して複雑な思いがあり、「不完全燃焼で高校弓道を終えた」と感じていた。亀卦川はその悔しさを胸に、大学弓道部への入部を決断した。1年生の時は、コロナの影響により試合が行われない状況だった。しかしモチベーションを失うことなく、1日の矢数量が圧倒的に増えたことによる楽しさ、毎日正式な道場で、きちんとした環境に恵まれて弓を引ける嬉しさなど、高校とはまるで違う練習方法について充実感を得ていた。しかし、1年生の後半からは長く苦しい時期が続く。同期である鈴木来実(スポ4=茨城・清真学園)と内藤碧(商4=東京・桜修館中教校)、男子部の渡部瞭太(文4=東京・海城)と田沼翔太(スポ4=東京・桜修館中教校)など「外からの視点で見るよりも近くで体感するからこそ、高校時代から名の知られている選手たちと自分との差を大きく感じていた」と当時の心境を語った。
2年生になって、その学年としては異例なことに副務を任されることになった。「あまり2年生の弓道の記憶がない、副務の仕事をやっていた記憶しかない」と振り返る。他の部員が練習している中、自分は仕事をこなしている。しっかりしているからという理由で副務を任されることになったが、それを素直に受け取っていいのか、弓を引いている印象よりも仕事をしている印象が強くなってしまうのではないか、複雑な心境を抱えていた。コロナの状況が回復し、試合はオンライン形式で行われるようになった。しかし、試合に出場することはほぼかなわず、出られたとしても当てられない。技術面では高校時代についてしまった癖と早気(はやけ)を克服することに必死だった。矢数をかけ、画像を通して自分の射を見つめなおすことの繰り返し。「後輩たちが入部してきたことや的中率が一気に落ちたことにより焦りを感じていた」。3年生のシーズンは先輩と後輩が強かった時代。「今年1部に昇格できたとしても、あまり試合に出ていない自分たちの代が部を引っ張っていくことになる来年はどうしよう」と亀卦川の焦りはさらに加速した。そんな中、後半にかけて的中率が上がっていき、同期の中で唯一リーグ戦への出場を果たした。第1戦目の青学大との試合に途中出場し、8射7中の成績を残す。亀卦川にとって「4年間の中で1番忘れられない試合」となった。
リーグ最終戦でプレッシャーを抱えながら落を務めた
主将として迎えた4年生のシーズン。主将へは立候補と推薦により決定した。立候補の理由は3年生の時、当時主将だった井上采香氏(令4文構卒)の存在が大きい。亀卦川は3年時、主務として部を支えつつ、共に仕事をすることの多かった井上氏の背中を見続けてきた。「主将として大変そうなところも、苦しそうなところもたくさん見てきた分、そこを吸収して上手くやっていけるのではないかと思った」ことが立候補の理由の1つだった。いざ主将になると、1選手として部活動に励んできたところから、メンバーを選ぶ側になったことへの立場の変化に対して、もがき苦しむ日々が続く。「試合に勝つため」にメンバーとそれ以外の選手を区別し、メンバーが集中して高い的中率を出せるような練習内容を組む。すべての試合に対して一生懸命に臨むのではなく、どの試合を1番の目標にするのか順位付けをした。しかし、自身の経験上「試合に出られない部員の気持ちを痛いほど分かることのできる主将」であった亀卦川は、メンバー外の部員のためを考え裏試合の機会を例年より多く設けるなど、全部員のモチベーション維持を心掛けた。どちらの立場も理解できる亀卦川は、主将としての在り方に悩み続けた。「メンバーでない部員のためを思って裏試合の機会を設けた結果、メンバーの集中を削ぐようなことに繋がってしまったこともあった。試合が近づいてきたら割り切って、メンバーだけに注力すべきだったかも」と反省の言葉を口にした。しかし、「自分は試合にあまり出られなかった立場だから、そこを救ってあげたかった気持ちは大きかった」と、主将としてどちらの立場を選択すべきだったのか、1年間抱え続けた悩みを明かした。大学弓道最後の年のシーズン、後半からはリーグ戦に多数出場することがかなった。「切り替えが本当に難しかった。当時、部内で的中率上位8人に入っていたとはいえ、落ちとして出場するほどの実力が自分にあるのか、負い目を感じていた」と語る。それまではあまり選手として出場してこなかった亀卦川にとって、1選手として出場しながら主将の立場もあること、落の役割として当てなければならないことは大きなプレッシャーになっていた。
部の方針について、同期と衝突することもあった。同期の中でも幹部の3人は性格上似た者同士の集まりで、目の前の問題をどうにかしようという方向で1年間突き進んできた。他2人の同期は、幹部3人とは違う視点の意見をくれ、とても助かっていたという。「どの試合に注力するのか、この結果がよかったと自信を持てるものは1つもなかった」と振り返る。インカレの時期は、もう少しメンバーの5人を中心とした練習を組んであげればいけなかった、「4年生の中で1番後悔している」と口にした。リーグ戦では1部に残れたことはよかった、と嬉しそうに話しながらも、個人の選手としては後悔が残るものとなった。最後まで悩みながらの1年間を、共に乗り越えてきた同期の話を亀卦川はにこやかに語った。
主将として壁にぶつかったとき、前主将の井上氏ならどのように考えるだろう、と参考にしていた。先輩たちの存在について尋ねると「一生越えられない壁だからこそ、一生憧れ続ける存在」と話した。また後輩についてはただただ可愛い、とどこか誇らしげに話す。3年生までは後輩たちの的中率が気になってしまう部分があったが、4年生で主将となると嫉妬や妬みといった感情は一切なく、下に当ててくれる子たちがいることに安心感を得ていた。特に山﨑は、亀卦川を大学弓道部への入部に突き動かした要因の1つになるほど大きな存在。しかし、主将になってからは「自分がどんなに不調でも山﨑は当ててくれる」と感じていた。シーズン後半になってからは当ててくれる後輩が増え、「いい意味でメンバー選びに悩んだし、後輩が当ててくれればくれるほど嬉しい」と後輩愛が溢れた。
自分の大学弓道4年間を「唯一無二」とした亀卦川
今後の弓との関わり合いについては、「ここまで続けてきて、辞めてしまうのはもったいないと思うが、しばらくはいいかなという気持ちがある」と明かした。中学生の頃から引いていないとそわそわする程、嫌でも毎日引かなければならない10年間を過ごしてきた。4年生として、主将として部に関わる前から、副務や主務といった幹部職を歴任してきた。「いまは苦しみすぎて、本当に弓道のことが好きなのか分からない状態」と言葉が漏れた。しかし、社会人という新生活のスタートと共に一旦弓道からは離れるが、「それでも続けたいと思えたら、本当に弓道が好きだと実感できるし、また始めようかな」と前向きな気持ちを明かした。先輩からも同期からも、後輩からも信頼が厚く頼られる存在である。さまざまな苦悩を抱えながらも仲間とともに乗り越えてきた、その背中は大きくも優しいものだった。
(記事 富澤奈央、写真 新井沙奈)