「大学入学後は陸上競技で初めて悔しい思いをたくさんして、つらいことがすごく多かった」。高校3年時1500メートルで総体覇者となり、ルーキーとして大きな期待を背負って入学した半澤黎斗(スポ4=福島・学法石川)の4年間は、順風満帆ではなかった…

 「大学入学後は陸上競技で初めて悔しい思いをたくさんして、つらいことがすごく多かった」。高校3年時1500メートルで総体覇者となり、ルーキーとして大きな期待を背負って入学した半澤黎斗(スポ4=福島・学法石川)の4年間は、順風満帆ではなかった。2年時に出場した東京箱根間往復大学駅伝(箱根)では区間19位、3年時はケガに苦しみ出場がかなわず。ラストイヤーでもケガや体調不良にさいなまれ、トラックシーズンで満足のいく結果を残せなかった。だが、最後の箱根でチャンスが巡ってきた。競技人生最後の大舞台に挑む半澤の胸の内に迫る。

※この取材は12月12日に行われたものです。

「現在の練習は順調」


質問に答える半澤

――現在のご自身の調子はいかがですか

 12月に入ってから調子が上がってきて、今はすごく順調に練習が積めています。あとはしっかり調整ができれば、本番でしっかりパフォーマンスを発揮できるかなというところまで来ています。

――半澤選手から見て、現在のチームの状態や雰囲気はどうですか

 出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)で4年生中心にケガ人が出たり、調子が上がらない選手がいたりしたのですが、12月に入って自分も含めて調子が上がって、練習に合流する選手が増えてきて、チームとしては上向きかなと思います。

――前回の箱根では当日のオーダー変更で出走とはなりませんでしたが、当時の心境やそこからどう気持ちを切り替えたか振り返っていただけますか

 自分の調子が上がりきらないのもありましたし、ケガがあったこともあり控えに回ることになっていたので、当時は本当に『チームのためにできることをする』という気持ちに切り替えてやっていました。箱根が終わってからは、ラスト1年でチームとしても3冠を目指してやっていく中で、すぐに気持ちを切り替えて練習に取り組むことができたと思います。

――当時は悔しい気持ちはありましたか

 事前の練習や夏合宿を含めて、明らかに他の選手よりも劣っていたことが自分でも分かっていたので、他の選手が走った方がチームとしての100パーセントの力を発揮できると思ってしまった自分がいました。もちろん悔しかったですが、当時は純粋にチームが勝つための選手選考だったかなと思っています。

「トラックシーズンは納得のいかない結果に」


東京六大学対校大会に出場した半澤(右)

――箱根後はケガや体調不良が続いたそうですが、やはり満足のいく練習はできなかったのですか

 シーズン前半、とくにトラックシーズンは主に体調不良が原因でなかなか練習できなかったり、一度練習すると体調を崩してしまったり、自分の中でもこれまで経験したことないようなことが起こりました。そこに関しては、相楽さん(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)と相談しつつ練習内容を決めたり、少し休みながら練習したりしていました。

――差し支えのない範囲でどのような体調不良だったか教えていただけますか

 具体的な病名が出たわけではないのですが、体がだるかったり微熱が出たりしていました。夜はずっと寝られなくて、きつい状態で朝練に行くこともありました。競技のことや自分のその後のキャリアなどを含めて、いろいろ悩んでいた時期でもあったので当時はメンタルの部分もあり、きつかったのかなと思います。

――関東学生対校選手権(関カレ)を振り返っていかがですか

 4月に東京六大学対校大会(六大)に無理やり合わせて、そこから1カ月で何とか関カレまでというところで準備していました。ぎりぎりの状態で出場してなんとか入賞というのを目標にしていて、予選落ちというかたちで終わってしまいましたが、後輩の菖蒲(敦司、スポ2=山口・西京)と石塚(陽士、教1=東京・早実)はすごく力がありましたし、最上級生として引っ張っていきたいという気持ちがあり、練習を引っ張ったり、経験を伝えたりということを意識してやっていました。

――その後の6月も体調不良で走れない時期があったと思うのですが、当時はどんな状況、心境だったのですか

 前半はずっと同じような状況で、六大、関カレも体がきつい中で調整や練習をしたりという状況でした。継続的に3月から7月の前半あたりくらいまでは調子が悪く、練習を満足にできる状態ではなかったです。

――ご自身の最後のトラックシーズンを振り返っていかがでしたか

 自己ベストも出せませんでしたし、結果もついてこなかったので、納得できないシーズンになってしまったなという思いはあります。その中でもチームとして関カレ全種目で入賞者を出して、チームとしての成果が見えたのは、4年生としてチームを引っ張っていく中でひとつの形になったのは良かったかなと感じます。

初めてBチームでスタートした夏合宿 悔しさもあったが、収穫も

――夏は試合がなく鍛錬期だったと思いますが、どんなことを意識してチームとして、個人として練習されていましたか

 まずチームとしては、出雲からピークをしっかり合わせて3冠を目指すという目標だったので、Aチームは例年よりも量を落とさず質を高めて、ということを意識していました。自分自身は4年目にして初めてBチームで夏合宿を経験しました。駅伝を戦うにあたってBチームからの底上げというのは一番大きな課題であり、早稲田の戦力を作る上でも夏合宿のBチームの活動はすごく大事になってきます。なので練習はもちろんですが、普段の生活の中のミーティングや、選手同士がいい意味で干渉し合えるような環境作りに関しては、自分の中で考えながら合宿を過ごせたかなと思います。

――夏合宿でBチームになったときは悔しい思いがありましたか

 Bチームと言われたときは、自分がまさかBチームに落ちるとは思っていなかったのですごく悔しかったですが、いざ練習してみると自分の性格的にもみんなを良くするにはどうしたらいいか考えたり、そのためにどういう行動をするか考えたり、人のサポートをするのが結構好きだなと気づくことができたので、プラスになったと思います。

――Bチームで夏合宿を始め、途中からAチームに合流できた要因は何だったと分析していますか

 合宿が始まる前から相楽さんと話して、3次合宿をめどにAチームに上がるという計画を立てていました。また、自分自身も練習がうまくつながって体調も治ってきて、メンタル的にも自分の中で切り替えて練習することができていたので、計画通りにAチームに上がることができました。

――Bチームでは半澤選手が中心となっていたと伺いました。そうしたチーム内での役割を意識した1年間でしたか

 今年は例年にはなかった副主将という立場を作っていただいて、自分がその立場に1年間立つことになりました。わざわざ副主将という立場を作った意味を考えて行動しなければいけないなと考えていたので、Bチームの雰囲気作りや練習の環境作りという点で、合宿ではいい雰囲気でできたと思います。

――最後の駅伝シーズンをどんな思いで迎えましたか

 チーム結成当初から3冠を目標にして、そこに対してできることを、チームとしてはもちろん個人でもやってきたつもりです。出雲と全日本が終わって、実際全く通用せず惨敗だったので、最後の箱根ではしっかり優勝できるようにこの1カ月みんなで話し合って練習しています。

試行錯誤の1年 下級生とのコミュニケーションも工夫を

――今年のチームの強みはなんだと思いますか

 4年生に強い選手がそろっているところです。エントリーメンバーには4年生が7人います。早稲田の特徴だと思うのですが、4年生が強いと毎年言われていて、自分たちの学年でもミーティングでそういう話が出たり、そういうチームを作っていこうという話が出ていたりしたので、そこは強みだと思います。また1年生の2人がすごく元気で、そこも強みかなと思っています。

――チーム作りにおいてどのようなことを大切にされていますか

 他の大学と違い人数が少なく、一人一人がチームに与える影響が良くも悪くも大きいと思います。そこを少しでもいい影響を与えられるよう、会話の量を増やしてみんなが思っていることを全員の共通認識とするため、ミーティングのかたちを変えてみたり話し合う内容を変えてみたり、いろいろ試行錯誤しながら千明と相談してやってきました。

――4年生が強いチームですが、下級生の意思も大事にするという

 これまでは下からの意見が吸い上げにくい環境だったので、自分たちもそれを経験して「言いたいことを言えないのはちょっと嫌だよね」という話から、みんなが思っていることをきちんと言えるようなチーム作りしようというのが始まりでした。

――4年生同士でミーティングをすることは多かったですか

 多かったと思います。今何を直していかないといけないのかという改善点を洗い出すことと、それを直すためにルールにするべきかそれとも一人一人の意識を変える言葉かけするのか、どれが最善の選択なのかということを話し合いました。

――下級生とのコミュニケーションを増やしたことによって、変わったことはありますか

 とくにメンバー入りしている石塚と伊藤(大志、スポ1=長野・佐久長聖)に関しては、僕たちが1年生の時だったら言いづらかったようなことも提案してくれたり、練習も積極的に引っ張ってくれるようになったり、いい意味で1年生らしくない1年生になってくれて、チームとして成長できたかなと思います。

――夏から駅伝シーズンにかけて、4年生がなかなかそろわない状況でした。その点に関してはどう捉えていましたか

 3年生にすごく迷惑をかけたと感じています。井川(龍人、スポ3=熊本・九州学院)、創士(鈴木創士、スポ3=静岡・浜松日体)や2年生の菖蒲は2つの大会を引っ張ってくれて、下級生にはすごく申し訳ないという気持ちでした。だからこそ最後の箱根では「俺たちが絶対なんとかする」という強い気持ちで今練習しています。

――故障があった千明選手、太田直希(スポ4=静岡・浜松日体)選手の様子は、半澤選手の目にはどう映っていましたか

 ちょうど千明と太田のケガのタイミングで僕は教育実習に行ってしまったり、大事な時に大事な4年生の元気がなく欠けてしまったりすることが続いて、チームの雰囲気自体は少し落ちていました。千明と太田は自分のケガを治すことに精いっぱいになっていたので、チームのことを考えきれてない時期があったかなと思います。

「箱根への思いは人一倍強い」 活躍する姿見せ、被災した地元・福島に恩返しを

――出雲と全日本の結果をどのように受け止められていますか

 優勝を目指していた中で6位というのはすごく悔しい結果ですが、レース途中で先頭に立つシーンがあり、戦えないと感じたわけではありませんでした。その点はプラスでした。改善点としては、走るべき選手がそろっていないことです。いなければいけない選手がいないというのは、駅伝にとっては大きい損失となってしまうと感じたので、そこに対する準備は箱根に向けて今までよりもしていこうと思います。

――チームの走りはいかがでしたか

 『前半は先頭付近でレースを進めて、後半はしっかり粘る』という自分たちがやりたい駅伝はできていたと思います。ただ、それを行うまでの実力がまだ足りなかったと感じているので、あとはその実力をつけるだけかなと思います。

――10月は教育実習に行かれて思うように練習できなかったと思いますが、レースの経験値や練習量に影響はありましたか

 母校に教育実習に行ったのですが、練習自体は朝1回しかできなくて、練習の量や質は低くなってしまいました。ただ、高校生の頃の自分を思い出したり、自分が高校生の時よりも活気づいていい雰囲気で練習していたと感じたので、こういう雰囲気をもっと自分たちのチームに取り入れられると感じたり、プラスの部分を見つけられました。また夏に結構走り込んで疲労があったので、いい疲労抜きになったかなと思います。

――出雲、全日本では出走とはなりませんでしたが、箱根で最後のチャンスが巡ってきました。最近の調子はいかがですか

 練習も今のところ完璧にこなせていて、自分の中でも4年間でいちばん走ることができている感覚もあり、『最後』というメンタル的にも自分の中で充実した練習が送ることができています。あとは最後にしっかり走って結果を残すだけかなと思います。

――過去のインタビューから、トラックシーズンでも箱根に照準を合わせているという印象ですが、それだけ箱根にかける思いというのは強いですか

 陸上を始めたきっかけが箱根で、箱根で活躍したい思いがあったので、そこに対する思いは人一倍強いと思います。箱根で活躍して多くの方に見ていただきたいという思いがあり、それをしっかりかなえられるようにしたいと思います。

――箱根では地元の復興に貢献したいとおっしゃっていましたが、地元のご家族やご友人は箱根に注目されていますか

 地元は原発の近くで、震災で避難して今はまだ全然帰ってきてない友達や町民の方々がたくさんいます。半分も帰ってきていないと思います。10年間ずっと会えていない友人がいることもあって、箱根という一番注目してもらえる大会で活躍することが『恩返し』や復興のために自分ができる一番のことかなと思います。だからそういう自分の姿を見てほしいと思います。

――箱根前のアンケートで、地元のことをもっと伝えたいとおっしゃっていましたが、どんなことを伝えたいですか

 自分がしっかり走って、「頑張ってるよ」ということを通して伝えたいです。

――箱根の具体的な目標があれば教えてください

 2年前に6区を走って悔しい思いをしているので、6区でリベンジしたいという気持ちがあります。今年の大会も5区6区は早稲田にとってすごく重要な区間になると思うので、そこでしっかり耐えてつなぐことができれば優勝が見えてくるかなと思います。そこでしっかりといい走りをしたいと思います。目標タイムは58分30秒を目安にいきたいです。

――大学入学後は悔しい思いをたくさんしてきて、純粋に競技を楽しむことができなかった期間もあったとのことでした。この4年間を振り返っていかがですか

 正直高校時代がうまく行きすぎていたというのもあり、陸上競技で初めて悔しい思いをたくさんして、つらいことがすごく多かったのですが、振り返ると本当に楽しかったなという思いがあります。その中でも同期のみんなにはいつも一緒にいてもらったので、最後に優勝してみんなで笑って卒業したいです。

――最後の箱根に向けて、意気込みをお願いします

 優勝を目標にしているので、自分が区間賞を取って負けるよりは、自分が区間賞を取れなくても優勝のための走りができればいいと思うので、優勝するために必要な走りをしたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 西山綾乃、堀内まさみ)


◆半澤黎斗(はんざわ・れいと)

1999(平11)年12月3日生まれ。165センチ。福島・学法石川高出身。スポーツ科学部4年。5000メートル13分54秒57。1万メートル29分04秒24。箱根を見たことを機に陸上競技を始めた半澤選手。2年時に出場を果たしましたが、悔しい結果に。3年時は出場とはならず、これが箱根でのラストチャンス。色紙に書いて下さったような『倍返し』の走りに期待です!