彩り 「人生の彩りだった」。伊藤礼(スポ=新潟南)はボクシング部で過ごした4年間をこう表現する。1年時からチームのエースとして、そしてラストイヤーは主将としてチームをけん引してきた伊藤。早大で過ごした4年間は彼にとってどのような時間だったの…

彩り

 「人生の彩りだった」。伊藤礼(スポ=新潟南)はボクシング部で過ごした4年間をこう表現する。1年時からチームのエースとして、そしてラストイヤーは主将としてチームをけん引してきた伊藤。早大で過ごした4年間は彼にとってどのような時間だったのか、その思いに迫る。

 伊藤がボクシングを始めたのは新潟南高に入学後。高校に上がるタイミングで新しいことを始めてみたいという思いに加え、「テレビで見ていてかっこいいなと思った」という純粋な理由からだった。その後は着々と力をつけ、インターハイや国民体育大会などの全国大会も経験した。

 早大に入学後は、フィジカル面をより意識した練習に取り組むようになった。また、1ラウンドあたりの時間も高校の時より長くなるため、体力も求められるようになった。コロナ禍の影響もあり、1年時の試合は12月の早慶定期戦(早慶戦)のみだったが、この早慶戦が大学4年間の中でも最も印象に残っているという。大学に入学して初めての試合、自身にとって初めての団体戦、そして何より早慶戦ならではの雰囲気。仲間の応援にも後押しされた伊藤は早大勢唯一の白星を挙げ、1年生ながら敢闘賞も受賞した。


4年時のトーナメントで自身初となる決勝のリングに立つ伊藤

 2年時は、初めてとなる関東大学トーナメント(トーナメント)で準決勝まで駒を進め、早慶戦でも前年に引き続き勝利を収めた。だが、副主将として臨んだ3年目のシーズンは伊藤の脳裏に苦い記憶が刻まれている。トーナメントでは前年以上の結果が期待されたものの、まさかの初戦敗退。12月の早慶戦でも2年時に勝利を収めた阿部飛雄馬を相手に苦戦を強いられ、判定負けを喫するなど、悔しい結果が続いた1年となった。

 主将として迎えたラストイヤー。伊藤は覚悟を決め、背中でチームを引っ張ってきた。練習では「誰よりも一生懸命ボクシングに向き合うこと」、練習外では「コミュニケーションを積極的に取ること」を意識したという。春のトーナメントでは初めて決勝に駒を進め、準優勝を果たすなど、結果でも引っ張ってきた。しかし、12月の早慶戦ではチームとして慶大相手にまさかの7連敗を喫し、8年ぶりに目指した勝利には手が届かなかった。「もう少しできた人もいた」ため「悔しさも残った」というが、この1年間主将として、エースとして自分がやれることは全てやってきた。だから言い切れる。「後悔していることはない」と。


現役ラストマッチとなった4年時の早慶戦で相手を攻める伊藤

 冒頭の言葉にはボクシングという競技、そして早大で過ごした4年間はあくまで自分の経験の一つに過ぎず、人生のゴールではないという意味が込められている。だからこそ伊藤はこの4年間で経験した全てのことが「今後の人生の糧になる」と語った。7年間の競技生活に幕を下ろし、今後の人生に新たな彩りをもたらすべく4月からは別の道を歩んでいく。

(記事 加藤志保 写真 渡辺詩乃、加藤志保)